このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
青春18きっぷ+αで行く四国と山陰の旅
高知観光も終わり、路面電車で高知駅へ戻って来ました。
駅弁を買って、列車に乗り込みます。
ホームに行くと土佐くろしお鉄道の奈半利行き快速が停車中でした。 これはTKT9640形、標準仕様の7番です。 オープンデッキのやつもTKT9640形です、ん〜ややこしい!(^^; 側面帯には各駅のキャラクター(やなせたかし先生作!)が描かれています。 | |
第6ランナー 250D 阿波池田行き(写真は後免にて撮影) 車両:阿波池田側よりキハ54 5+キハ32 16+キハ32 18 四コチ(高知運転所)所属 いよいよ列車が入線して来ました、キハ54の単行かと思いきや、後ろにキハ32を2両付けて来ました。 32の方が空いていたので、そちらへ乗車。 しかし、継ぎはぎだらけの座席に閉口。相当ガタが来ているようです。(--; さすがにバス用部品と廃車発生品を多用した車ですからね。 13:39、高知を発車、高知平野を快走していきます。 しかし、32が揺れる揺れる!あまりにも揺れがひどいので先頭の54に移動しました。 先頭の54は至って静かでした。 | |
土佐一宮では阿波池田発の243Dと交換。 なんと58+28でした、先頭のキハ58は検査上がりのようで綺麗でした。 これは後ろに繋がっていたキハ28 2417。 サクが写っているのは御容赦を。m(__)m 土佐一宮を出ると車窓右に高知運転所が見えます。 「ムーンライト高知」用の客車や、先程乗ったキハ58もいました。 | |
後免を出ると奈半利へ向かう土佐くろしお鉄道ごめんなはり線と分岐し、列車は北東に進路を変え、四国山地の麓へ向かいます。 しばらくは車窓に高知平野が続きます。 | |
14:09土佐山田に到着。 土佐山田では、最後部のキハ32を切り離します。 手際良く切り離し作業が進み最後部のキハ32は解結後、折り返し高知行きになります。 ここはアンパンマンミュージアムの最寄り駅、駅からはアクセスバスも出ているようです。 | |
土佐山田で12分停まり、南風18号を先行させて14:21発車。 すぐさま急峻な四国山地を登りつめて行きます。 300m近い高低差をよじ登り、新改に着きます。 新改はスイッチバックの駅、まずはダブルクロッシングを曲り、奥のホームへ進入します。 なお「南風」などの特急は立ち寄らず、直進して通り過ぎます。 | |
そして奥にあるホームに進入します。 緑の中にある爽やかな駅でした。 キハ54など、地域密着形の気動車は、前面右側から前面展望ができ、さながら展望車気分が味わえます。(^^) | |
停車中に一枚、駅名標と古そうなホーロー板。 味わいのある駅でした、また来てみたい・・・。 | |
客扱いを終えた後、運転士さんは逆転レバーを切り替え、列車をバックさせ引き上げ線へ向かいます。 これではずみを付けて、一気に坂を上るわけです。 しばらくして信号が青になり土讃線本線に戻り、山深く分け入って行きました。 | |
再び山が開け、繁藤に到着。 繁藤では12分停車、この時間を利用して駅前散策へ向かいます。 | |
駅前へ出てみました、木造駅舎です。 国道が駅前を走っています。 ここはかつて、災害によって多くの犠牲者を出した地でもあります。 昭和47年7月5日、折からの集中豪雨により駅横の追廻山が土砂崩れを起こし、復旧作業を行っていた最中に二度目の土砂崩れが発生し、救助を行っていた人や停車中の高松行き普通列車もろとも巻き込み、穴内川に滑り落ちました。 この災害によって地元住民、普通列車の乗客ら60人の尊い命が奪われました・・・。 今でも駅裏に慰霊碑があるそうです。 今では崩れた追廻山も緑を取り戻しています。 犠牲者の方の御冥福をお祈りし、旅を続けます。 | |
車内に戻り、発車を待ちます。 しばらくすると3番線に高知行き4251Dがやって来ました。 検査上がりたてと思われるピカピカのキハ32でした。 向こうは乗客もまばらでした。 | |
そして数分後、2番線を南風11号が通過。 2000系の3両でした。 コレが遅れたせいで、こちらも遅れを引きずり3分遅れで発車。 一路阿波池田へ急ぎます。 | |
鉄橋の上の駅土佐北川や大杉、土佐穴内、太田口を通り、ひたすら穴内川のV字谷の間を走って行きます。 土讃線は緑深い路線ですね。 そうこうしているうちに高知県最後の駅、土佐岩原に到着。 ここでは4分停車、のはずでしたが、対向の南風13号が遅れている為、またも待たされる結果に。 暇なので、ホームに出てみました。 | |
南風13号が遅れて通過。 岡山方面で何かあったのでしょうか?さっきから特急ばかり遅れているし。 またも遅れを引きずり5分遅れで土佐岩原を発車しました。 | |
土佐岩原を出て高知、徳島の県境へ。 この区間でのキハ54の車内です。 昼の列車の割には結構乗っています、後ろの32も結構乗っていたし。 夏の行楽シーズンだからでしょうね。 | |
徳島県に入って最初の駅、大歩危へ。 景勝地大歩危の最寄り駅です。 ここら辺では、「かずら橋」なども有名ですね。 駅は平地にありますが、駅前の住宅は崖に建てられています。 台風の時とか怖そう・・・(--;; なおここで「南風20号、しまんと4号」に追い抜かれるのですが、時間になっても来ず、こちらは足止めを食らうことに・・・。(^^; やがてN2000系も入った「南風20号、しまんと4号」が来て、先に去って行きました。 なおこのせいで5分遅れで発車・・・。 阿波池田での乗り換えがどんどん危なくなって来ました。 大歩危からは、高松、関西方面に帰る観光客が乗車して来ました。 | |
駅裏の様子。 吉野川の上流も流れており、ここら一帯は自然の息吹が感じられる景勝地になっています。 | |
大歩危と対極を成す小歩危、平家の隠れ里への入り口祖谷口を経て、三縄へ。 この時点で7分遅れ、254D高松行きへの接続はいかに・・・? | |
トンネルを抜け、山の上に甲子園出場で有名な池田高校が見えると、そこはすでに阿波池田、この列車の終点です。 余韻にひたる間もなく跨線橋を駆け上がり、待ってくれている254Dに乗り換えです。 第7ランナー 254D 高松行き(写真は讃岐財田にて撮影) 車両:高松方よりキハ58 216+キハ65 27+キハ58 293+キハ65 34 四マツ(松山運転所)所属 何と後ろ2両は最近話題の国鉄色リバイバル車! はやる気持ちを抑えてキハ65 34に乗ります。 今や国鉄色のキハ65もこの1両だけ、貴重な存在。 | |
シートは四国イスですが、デッキも残っており、四国の急行列車の面影を残しております。 16:37、10分遅れで阿波池田を発車、佃で徳島線を分け、吉野川を渡り、一路県境の猪ノ鼻峠へ。 この列車は琴平まで普通列車ですが、坪尻には停車しません。 秘境駅で有名なこの駅をかすめて(スイッチバックをスルーで)、一路北へ。 讃岐財田では南風17号とすれ違いの為5分ほど停車。 早速、池田では撮れなかったロクゴを撮ります。 同業者の方が5人ほど同乗されていました。 南風17号が颯爽と通過、こちらも6台のエンジンを高らかに響かせながら、再び走り出しました。 | |
塩入を出ると峠も終わり、讃岐平野へ。 うどんの麺用なのか、小麦が大量に植わっていました。 さすがは香川県! | |
琴平に到着、琴平からは電化区間です。 この駅も古い駅舎です、結構有名な西洋風の駅舎ですね。 また再訪したい・・・。 ここから快速サンポートとなり、高松を目指します。 | |
金蔵寺でキハ54+32の4277Dと交換。 発車して数分すると、右にカーブし始め、宇和島、松山からの予讃線と合流して多度津に着きます。 65の乗務員室の窓越しに一枚、四国だけの近郊型電車121系の姿も見えます。 | |
多度津では先頭、後の両方に「快速サンポート」のHMが取り付けられます。 往年の四国急行のHMみたいで・・・うーんカッコいい!(^^) (注)多度津の停車時間はわずかなので、乗車しながらの多度津でのHM撮影はお気を付け下さい。 最悪の場合、ホームに一人取り残されることがあります。 僕は同業者の方とともに車掌氏に許可を頂きました。 ドアが開いて10秒以内で撮影ー車両に戻り、が望ましいです。(^^; | |
高知、松山方面からの瀬戸大橋の玄関口、宇多津に到着。 ホームには113系が。 岡山方面から多度津、琴平への普通電車は、児島を出ると、次はここに停まります。 我らが254Dはすぐに発車、本四備讃線の高架をくぐります。 | |
これぞ四国名物?三角地帯! 川を挟んで、3本の鉄路が宙を舞います。 下から見ると壮観ですな〜(笑) 坂出に着き、すぐに発車。思いがけず何と ROKUさん に遭遇! 一度会ってみたかっただけに感激! 鉄な話題で盛り上がりました。 さて254Dは、急行時代のような爆走を見せます。 途中端岡に停車しますが、それでも坂出ー高松間20分! 8000系特急(15分)にもひけをとらない走りです。 | |
高松運転所を横に望むと、終点高松はもうすぐ。 18:05、四国の玄関口高松に到着しました。 ROKUさんとはここでお別れ、この日行われた津島神社大祭関連の気動車増結を見に行かれたそうです。 またお会いしましょう。(^^) 写真はキハ65 34と徳島行きキハ47の並びです。 | |
この日254Dの先頭を務めていたキハ58 216。 四国色も個人的に好きな塗色です。(^^) 同じく徳島行きキハ47との並び。 | |
改札口から見た高松駅構内。 「気動車王国」時代の連絡船と接続していた駅から、98年に300m香西よりに移転しました。 きれいな駅でした。(^^) 左から徳島行きキハ47、乗って来た254D、マリンライナー5000系2本です。 | |
改札口を出て駅舎を見てみました。 ガラス張りのきれいな駅舎です。 全日空ホテルクレメントとも好対照でした。 早速今夜の宿に行き、荷物を置きます。 |
宿で1時間休憩した後、再び高松駅へ。 旅館には何も無かったので(汗!)、駅のコンビニで食料を仕入れます。 駅前も見物しましたが、宮崎駅前にも幅を効かせている某サー●スマンションの開発が進んでいるようでした。(爆!) まぁここ高松は穴●工務店の地元ですから。(^^; | |
本屋で立ち読みした後ホームへ。 すると今治行きの気動車列車175Dが、65+58+65+58の4両でした! (通常は2両) これは件の津島大祭関連の増結です、前日に松山から貸し出されたとか。 これはキハ65 26、ロクゴは凛々しいです。(^^) | |
4両編成でその重厚な車体をホームに横たえます。 こうして見ると急行「いよ」「うわじま」のようです。(^^) | |
19:57、今治に向けて出発して行きました。 出発後、力強いエグゾーストとともに見ての通りすごい残り香に高松駅は包まれました。。 これぞ急行型気動車!といった感じです。(^^) 旅館に戻ります、おやすみなさい〜〜〜〜 |
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