このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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青春18きっぷ+αで行く四国と山陰の旅 その6
津和野に到着し、駅前の旅館に一泊。昭和初期の造りで、レトロな外観&客室でした。
時代を感じさせるポスターなども貼ってありました、次回もここに来ようっと。(^^)
一夜明けて、8月6日。乗る列車まで時間があるので、津和野観光に行きました。
ここは乙女峠聖堂、長崎から強制連行されて来た隠れキリシタンが投獄された悲劇の地でもあります。
聖堂内には、礼拝堂も残っておりました。
津和野駅の裏山にあります。体力に自信のある方でないと、坂道でへたる事必至!
へたった奴→(^^;;;
裏山を駆け下り、山口線の踏切を渡って辿り着いたのは津和野カトリック教会。
先ほど訪れた乙女峠の悲劇を二度と繰り返さないようにと、ドイツ人宣教師が戦後に建てた教会だそうです。
余談ですが前日の夜、晩飯を食べに行った中華料理屋の親父さん曰く、「津和野にはいい歴史はあまりない、悲劇の地ばかりだ。」と。
歴史を学ぶ上で興味深いですね、再訪の余地ありです。
なおここには、聖堂と乙女峠記念館なるものがあり、様々なグッズが販売されています。
津和野駅から南へ徒歩15分。
一度旅館に帰って身支度を整え、荷物を持って出発。
旅館の裏にあった安野光雅美術館です。
時間がなかったので、外観を撮影するに留まりました。
また今度来る機会があったら見に来よう。(^^;
津和野駅にそのまま向かいます。
第13ランナー 山口線2541D 益田行き
キハ40 2119単行 山口鉄道部(広クチ)所属

津和野から乗車した2541Dは、またも40の単行、そしてリニューアル車。
観光客や、益田に行く買い物客で座席は大方埋まっており、2人掛け片側ボックスシートに座りました。
昨晩来た道を戻り、もう一度日本海側に出ます。
石見横田を出たあたりから天候が悪化し、益田到着時には雷雨と化しました・・・。
益田に到着すると、駅前から「ゴロゴロドッカン!」の大音響が!
どうやら落雷の模様、駅前のどこかに落ちたようです、おっかねぇ〜(^^;;;
益田の駅前で昼食を済ませ、いよいよ山陰海岸を一路九州へ向かって下ります。
第14ランナー 1575D 長門市行き
キハ120 20単行 長門鉄道部(広クチ)所属

この旅2回目のキハ120、しかも今度はオールロングシート・・・。
長門のキハ120には、あまりいい思い出はありません。
以前この列車と同じスジで西へ下った時、車内でウトウトしてしまい、首を痛めた記憶が。
今度はどんな旅になるか・・・。(笑)
踏切故障か何かで益田を6分延発しました。
江崎を出ると天候も回復し、キハ120ご自慢の展望のきく前面窓から去り行くレールを一枚。
島根県もいつのまにか去り、山口県に入りました。
車内は買い物帰りの人でほぼ満員、帰省と見受けられる人もいました。
日本海沿いの漁村の駅、宇田郷では上り1570Dとすれ違う為3分停車。すれ違い相手はキハ47の2連でした、この区間では1往復しかない47運用のうちの上り1本です。
「いそかぜ」が廃止され、益田ー長門市間も車種のバラエティが減りましたね・・・。
東萩の手前で再び雨が降り出し、雨足が強くなり無線による抑止で駅間の線路上に停止。
大丈夫かいな?と思いましたが、すぐに運転再開となりました。
東萩、萩から高校生が大量乗車、車内は立ち客も出る盛況。
数分遅れて長門市に着きました、雨こそ止んだものの、まだ天気は優れません。
(写真無し)第15ランナー 美祢・山陰本線1627~734D 仙崎行き、厚狭行き
キハ120 18単行  長門鉄道部(広クチ)所属


山陰本線は既に京都ー幡生間を乗車しておりますが、その支線、長門市ー仙崎間は未乗だったので、この機会に乗車してみようと思い立ち、乗車しました。
運用はほぼ美祢線と一体になっており、山陰本線から直通する列車はありません。
美祢線からそのまま乗り通す人も多かったです。
長門市を出ると、山陰本線と別れ北東へ。
民家の軒先のような所を走り、青海島の付け根の港町、仙崎に到着。
古い木造駅舎でした、駅舎内には観光案内所も併設されています。
仙崎といえば、女性童話詩人、金子みすずのふるさと。
仙崎の町中にも金子みすず関連の施設があるようです。
画面奥にも、金子みすずの写真が飾られています。
前述した観光案内所にもミニ金子みすず記念館があり、学びを深める事もできます。
またゆっくり仙崎に散策に来たいものです。(^^)
(写真無し)仙崎から返しの734Dで長門市へ戻ります。
車内では観光帰りのおばさん三人組が、買って来た服を出して来て、即席ファッションショーが始まりました!(爆)
「これ、いいんじゃない?」「いやいや、こっちも」ーおばさんのパワーはすごい・・・。(^^;;;
長門市に着くと、隣のホームに←が停車中。
そう、次に乗車するのはコレです、今や貴重なキハ58系!

第16ランナー 9833D 快速「四日間の奇蹟3号」新下関行き
キハ28 2137+キハ58 1026 山口鉄道部(広クチ)所属


この夏、山口県豊北町角島でロケが行われた映画「四日間の奇蹟」のロケ地を廻る観光客の為に設定された臨時快速です。
新下関発着、滝部折り返し便有りというのがミソで、ユニークな運転方法です。
しかも使用車種は山口のキハ58、ファンの人気も集中しました。
しかし肝心の映画はさっぱりのようで、本来利用するはずの観光客は皆無に等しかったです。(--;
発車までまだ時間があったので、1番のりばから全体をば。
この塗色はゴハチに結構似合っていると思います。(^^)
こちらは指定席車、キハ28 2137。
ドアが開いたので、早速車内に入ってみます。
2両とも0系新幹線発生品のD23型リクライニングシートにアコモ改善されています。
2両ともほぼ同じインテリアですので、ガラガラだった指定席車、キハ28 2137の車内を一枚。
下関まで終始利用者0でした、これじゃ全車自由席でも問題ないのでは?
ヘッドマークのアップです。
角島大橋、灯台と、ピアノを弾くシルエット(北の国からの純を演じた吉岡秀隆?)が描かれています。
「富士はやぶさ」「彗星あかつき」「下関ふくフク」などのHMを手掛けた下関クラフトセンターの作でしょう、いい作品ですね。(^^)
自由席車のキハ58 1026に陣取り、16時47分長門市を出発。
夕暮れの西長門海岸を快走します。
人丸、長門粟野などの駅を、エンジンの音も高らかに通過して行きます。
急行時代の快走が蘇ります、キハ58 1026は新製時から一貫して中国地方を走り続けている車両。
もしかしたら、「さんべ」「ながと」の運用にも入っていたのかもしれません。
人丸を過ぎると、右手に向津具(むかつく)半島が見えてきます。
ここには川尻岬や、唐の皇帝玄宗の愛妃、楊貴妃が漂着したとの伝説がある「楊貴妃の里」があります。
阿川の先まで、しばらく車窓を飾ります。
そして角島の入り口、特牛に到着。
ここは列車名にもなった「四日間の奇蹟」のロケ地で、映画では「伊上畑駅」の駅名で登場したそうです。
「四日間の奇蹟号」運転期間中には、角島行きの臨時バスも接続したようです。
駅ノートもあるようで、ゆっくり来てみたい駅です。
特牛駅の詳細については、 こちら (kuroさんのページです)をご覧下さい。
木造駅舎と、まわりの緑のコントラストが絶妙です。(^^)
特牛で1人降りて2人乗車、ロケ地を見に角島に行ったであろうカップルらしき2人組でした。
湯玉では5分ほど運転停車。
キハ47×2の長門市行き974Dと交換。
3月改正から、広島と山口のキハ40系運用が一本化された為、山陰本線で多種のキハ47を見る事ができるようになりました。
逆に、芸備線でタラコ色のキハ47を見る事もできます。
山陰本線西部の列車のジャンクション、小串を颯爽と通過、後続の下関行き889D(たった2両しかいないキハ48!)が後ろに流れて行きました。
北九州、下関の奥座敷、川棚温泉に停まり数人の乗客を乗せ発車。
列車密度が高くなる下関口ゆえ、ここからは運転停車が多くなります。
黒井村では6分ほど停まり長門市行き824Dと交換。
祭りでもあるのか、反対のホームには浴衣姿の人が多く見受けられました。
824Dはキハ47の4両、帰宅列車なのか相当な人が乗っていました。
国鉄時代はおそらく客レだった列車でしょうね。
その後安岡でも運転停車。
しかしその後は快調に飛ばし続け、幡生で山陽本線に合流。
和歌山、桜井線で使用された105系が改造を待つ下関車両センターを横目に幡生駅を通過します。
幡生を過ぎるともう九州の玄関口、JR貨物のEF81重連が貨物を待つ姿も見え、港町っぽくなって来ると下関に18時44分、到着。
JR九州の415系や山陽本線の115系が待機しています。
「終点の」と書かなかったのは、この後この列車は方向転換し、山陽本線を新下関へ向かうから。
新幹線接続を念頭に置いているんでしょうね。
運転士さんも交代し、下関からの新しいお客さんを乗せ、18時47分、出発して行きました。
さぁ、駅のうどんコーナーで夕食をとります。
第17ランナー 5677D 門司行き
キハ40 2003+キハ47 3006+キハ47 2012
山口鉄道部(広クチ)所属


下関からは一駅だけの九州乗り入れDC。
10月改正で全列車廃止となった関門を越え九州に乗り入れるDC列車です。
先行の415系に乗れば先に門司に着く事が可能でしたが、廃止になるもの、しかも気動車とあっては、乗らない訳には行きません。(^^;
編成は3両、下関を過ぎ、彦島に渡るとすぐに関門トンネルの入り口。
海峡にエンジン音を轟かせながら最深部から駆け上がります。
トンネルを出ると、そこはもう門司駅の構内、ぁ〜九州に帰って来た!(笑)
デッドセクションは気動車なので関係なくパスし、すぐに門司到着。
8分の旅の終わりです。
到着後すぐにエンジンが切られ、およそ2時間後の滝部行きに充当される為、しばしの休息をとります。
門司に着くと隣のホームでは、寝台特急「富士・はやぶさ」が併合作業を終え、EF81を付けて出発を待っていました。
車内を見ると、ガラガラ・・・。
九州ブルトレの斜陽化を見せつけられた一面でした。
19時15分、12両の客車は東京目指し、関門トンネルへ消えていきました。
第18ランナー 251M 南福岡行き
415系FM?編成(鋼製車・九州色)+FM15??編成(ステンレス車)
(写真は長崎にて撮影)


本当なら小倉まで行って時間を潰し、ドリームにちりんに乗り継いでもよかったのですが、時間があったので博多まで行ってみる事に。
入って来たのは下関始発の415系8連。
後側のステンレス1500番台、ロングシートに陣取りました。
北九州の重化学工業地帯を過ぎ、折尾を出ると後はガラガラ。
時折上り線を貨物列車や811,813系、883,885系「ソニック」などが走り抜けて行きます。
東郷付近で車内を一枚。
ほとんどの車両がこんな有り様・・・。
北九州から博多への人の流れは、夜は少ないようです・・・。
久しぶりの(Jo15編成以来)九州の電車、懐かしいという気満々。(笑)
九産大前を出ると車内もぼちぼち埋まり出し、千早あたりでようやく乗車率が上がって来ました。
博多での1時間半は知り合いとの談話に費やし、夜食などを購入して、いよいよ最後の列車に乗ります。

第19ランナー 5097M 特急ドリームにちりん 宮崎空港行き
783系CM1編成 南福岡電車区(北ミフ)所属

最終ランナーはこの旅初の特急。
隣のホームには佐世保行き最終「みどり」も停車中。
特急が集まる博多駅の片鱗を見せつけられました。
小倉までは5割ほどの入りで推移。小倉から新幹線から乗り継いだ人でたちまち満員となりました。
関西の人達なのか、関西弁でギャーギャー騒がれ、眠れた物ではありませんでした。(--;
大分での長時間停車も車内で無為に過ごし、4日ぶりに佐伯まで戻って来て、そこからは来た道を戻ります。
そして翌朝、宮崎に到着、晴れたり雨が降ったりの変な天気。
何はともあれ、楽しい旅でした。
閲覧されている皆様、ここまでおつき合いありがとうございました。m(__)m
(編集後記)もっと早く完結したかった・・・。(爆)
皆様、申し訳ありませんでした。m(__)m
これからも宜しくお願いします。
2005年12月7日               takuma

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