このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

長崎・島原

2005年2月12日〜13日

長崎の街は旧正月一色。街中に提灯が飾られ、それは見事でした。特に築町近くの中華街や旧唐人屋敷の周辺では大勢の人が集まりそれはそれは大にぎわいでした。長崎ランタンフェスティバルと銘打ったこの旧正月の催し物、長崎には何度も足を運んでいますが、これほどの人垣の経験はありませんでした。

長崎ランタンフェスティバル

稲佐山より長崎の夜景を臨む


島原城(復元:中はキリシタン関係の博物館)と武家屋敷跡

このお城の主は「島原の乱」の原因を作ったことで知られた松倉重政。城の建築の名手とされるだけあって、風格も城の規模も文句なし。しかし、4万石の所領を10万石と見積もり、領民に過酷な収奪を課し、キリシタンの大弾圧を行ったことから「島原の乱」が起こった。武家屋敷の石垣は当時の城下の姿を偲ばせる。道の真ん中の水路は生活用水として当時から使われていた。

島原の町中には至る所に温泉や清水が湧き出しています。中には鯉が泳いでいる水路もあり、その水のきれいさには驚きです。雲仙の山から導かれた自然の恵みですね。上の写真は島原の名物「具雑煮」。穴子や鶏肉、ごぼう、かまぼこ、あげ、しいたけ等、具がたくさん入った文字通りの雑煮。\1200なり。まいう!

「島原大変肥後迷惑」の噴火を起こした眉山(手前)その奥が雲仙普賢岳(平成新山)(島原城天主展望台より)

左は有明海の海苔筏、上の写真の真ん中あたりに諫早湾をブッチ切った潮受け堤防の水門が見えます。(島原鉄道の車内より)

洪水で破壊された石橋群の復旧もかなり進んでいました

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