このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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錦町立広瀬小学校向畑分校(むかいはた)
この小学校への道も疲れました。 高木屋小学校 の撮影の後、取っ付きの道路入り口まで下りてきて左折して坂道を下り、 錦川に架かる平瀬橋を渡ると、狭く短い鳥越隧道の正面に出ます。そこに左向畑の表示があり、迷わず左折。 ところが舗装された坂道を少し登ると、山肌を削っただけの凸凹の仮設道路になってしまい、「え〜〜。こんなの行くの?」と、 不安になりながら更に登ってゆくと細い細い、高木屋に向かう道と同じような舗装路に出ました。それが向畑に向かう道でした。 そこでいきなり対向車に遭遇です。「えっ。対向車が来たらどうしよう!」と思いながら2kmほど進むと、かなり山奥の道路下に 真新しい住居が一棟ポツンとあります。藤村さんといわれるらしいのですが、立ち寄って学校跡までの情報をお聞きしました。 元は向畑に住んでおられたようで、「もう10分くらいで着くよ!」とのことでしたが、心で「え〜〜。まだ10分もこの道を走るの」と、 少々不安になるほど、細く荒れた道が続いています。地区が非住になってしまい、道路の整備もされていないようです。 (向畑はすでに無住になっており、道路は近い将来車での通行が不能になる可能性があると思います)
高木屋も西黒沢も似たような道で疲れます。対向車が来たらアウトです。 昭和46年の廃校ですが割りとしっかりとしていました。
前述の藤村さんの旧宅のようです。 道の上から。林の中を抜けて開けたら直ぐ見えます。 玄関が開いているので中に。
「ひろざねさこんのかみ」と読むのかな? 卒業生の似顔絵がたくさん残っています。 使われていた農機具がありました。 昭和天皇と香淳皇后の写真、今上天皇御夫妻の肖像画が。広実左近頭は、どうやら平家の落人のようですね。向畑には多いときで約60軒の家があり、医者も居たそうです。
元の宿直室でしょうか。廃校後も集会所に使われていたので、そのころの布団でしょうね。
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