このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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錦町立広瀬小学校高木屋分校(たかごや)
撮影:H19.08.11  廃校:1969年

いや〜、疲れました。それも精神的にかな。 西黒沢 に向かう道も冷や汗ものだったけど、こちらはもっとすごかった。      最初カーナビを見ながら、ダム工事のため付け替えられたR434を走っていて、画面には高木屋と出ているのに道が無い。    どこから入るのだろうと引き返していて、何気なく山の上のほうを見ると、遥か高い場所を一瞬軽トラが下ってくるのが見えた。 「え〜〜。もしかしてあの道を行くんかいな!」と、少々嫌な気持ちに。平瀬トンネル直ぐ脇にある坂道を上がり、        軽トラが走っていた道への分岐の取っ付きを見ると、これが自動車が一台通るのがやれやっとといった狭い道。         あまり行きたくない気持ちになったけど、ここまで来て引き返すわけにも行かず、「え〜〜い、ままよ!」と入って行ったのは  いいけど、いきなり除草作業中の一団と遭遇。軽トラを狭い道のど真ん中に止めて作業中です。                車を少し離れた位置に止め、歩いていって、「私が移動させますんで!」と、何とか離合できそうな場所に軽トラを移動。    後は、「対向車が来ませんように!来ませんように!」と祈りながら、背中と手のひらに汗をにじませて向かいました。    

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高木屋小学校
こんな感じの道を、手と背中に汗をにじませて2〜3km行きます。 当時の三分の一程度に解体され、小さくなった校舎です。 もし行かれる方で、バイクを持っていたらバイクで行きましょう。バイクだと、山側を走れば気分的にも楽です。谷側は走らないこと。 そして、四輪車で脱輪したら数十メートルの谷底という場所も何箇所かあります。もちろん二輪もですけど。            
元の玄関側から撮影。   反対側です。  校舎の横には、昭和天皇の御大典(即位)の記念碑がありました。 地区は二世帯四人しか住んでおられないそうです。多いときには50〜60人の児童がいたということなのですが。

素晴らしいと感じた民家です。もともと茅葺ですが、もうトタンで囲われています。横に長く伸びた造りがとてもよかったです。


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