このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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戸河内中学校打梨分校・打梨小学校(うつなし)   
撮影:H19.06.30  廃校:S40.03.31・S46.03  統合先:戸河内中学校・小学校
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西風さんの情報で、校舎は中学校のもので、小学校は向かいにある、真新しい集会所がそうでは   ないかということなので、安芸太田町のH.Pで調べると、昭和40年に、町内5箇所の教場を   戸河内中学校に統合したとでていますので、もしかしたら中学(教場)なのかも知れません。   この校舎は、戸河内から鱒溜ダム、立岩ダムを経由して吉和に抜ける道の道路脇に有るのですが、 前を何度も通っているのに、道が狭くてよそ見は危険なため、視野の中にはあるのだろうけど気に  留めていなかったので、全く存在に気が付きませんでした。で、何故分かったのかって言うと、   この校舎と向かい合わせにあった、打梨小学校の分校である 那須小学校 のことを調べていて名前が   出てきたので、もしやまだ残っているのではと思い、芸北への写真撮影の帰りに立ち寄って見ました。

  
元の校門を入って直ぐ右に、打梨小学校跡の石柱があります。 平屋建てですが結構背丈の高い、中学校の校舎。右が、寄棟造りの小学校の校舎です。 確かに裏から見れば、学校そのものですね。
中学校は昭和40年に戸河内中学校に、小学校は昭和46年に戸河内小学校へ統合です。 元の校門の外から。 右の二階建ては宿直室だそうです。玄関を斜め横から。
校門の石柱には、大正十二年九月建立と彫られています。 直ぐ横を走る道路から。屋根は、半切妻で破風がついていますね。  西風さんの情報では、手前の長屋は先生たちの官舎だったそうです。

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