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沖縄の馬場 Ⅱ

琉球競馬

 沖縄県内には戦前200近くの馬場があったといわれている。ここでは那覇以外の馬場を紹介しようと思う。琉球競馬は農村の娯楽として戦前まで沖縄各地で行われていた。馬場としての使命を終えてしまったが農村公園、馬場公園、児童公園、公民館の広場、道路、駐車場、学校の校庭などに姿を変えている。競馬開催の時期は地域によって色々とあった様で各行事の余興として行われていた。沖縄の各行事を列記すると
原山勝負 19世紀に始まった、各間切の重要な農事奨励法。春秋2回、耕地の手入れ、農作物、山林の植栽手入れ保護等の成績を品評した。 
旧暦1月20日 二十日正月 正月行事の締めくくる日 
旧暦3月3日 浜下り 白砂や海水で体を清めて健康を祈願する日
旧暦4月15日(アブシバレー) 畔払い、虫払い(悪虫を追い払う儀式)旧暦4月の吉日に行われる行事で、14、15日ごろに行われることが多い。
旧暦5月4日(ユッカヌヒー) ハーリー 豊漁と航海安全を祈願
旧暦5月5日(グングヮチ・グニチ) アマガシと一緒に仏壇や火の神(ヒヌカン)に供える
旧暦5月15日のグングヮチ・ウマチー(稲の初穂祭)
旧暦6月25日のカシチーウーユミ(新米でカシチー=おこわを炊いて神仏に供える行事)
旧暦8月11日(ジュウイチニチー)ヨーカビー(悪霊払い)
旧暦8月15日 (十五夜) 
シヌグ(豊年祭)
ウンジャミ(豊漁祭)
5月17日 波の上宮例祭
10月20日 沖縄神社例祭日の奉納競馬

競馬を意味する方言としては馬走り(ウマハラシー) 馬勝負(ンマスーブ)馬揃い(ンマズリー) 馬追(ンマウーイ)などがある。
 
ありし日の宜野湾馬場

糸満の馬場

座波馬場

 糸満市兼城にある兼城小学校の校庭が座波馬場跡である。競馬は大正末まで行われていた。全長2.4町 (約262m)であった。馬場の周りは松並木となっていた。
校庭は工事中のため、プレハブ校舎が建てられていた。

座波馬場

兼城小学校

八重瀬の馬場

東風平馬場

 八重瀬町東風平にある東風平公民館前に馬場跡は縦長の広場として残っている。昭和始めまで競馬は原山勝負の余興として春秋の二回と旧暦の五月五日に開催されていた。馬場は全長1.4町 (約152m) 幅9.3間(約16m)であった。

東風平馬場

東風平馬場

具志頭馬場

 八重瀬町具志頭の具志頭公民館前の長さ210m程の細長い広場が具志頭馬場跡である。幅2/3程は草地になっている。

具志頭馬場

具志頭公民館

新城馬場

 八重瀬町具志頭の新城公民館の広場が御拝領馬場といわれた新城馬場跡である。この馬場は長上原ンマィーとも呼ばれていた。 馬場の全長は1.3町 (約141m)であった。大正12年頃まで使用されていたようである。

新城馬場

シーマーヤーの碑

豊見城の馬場

翁長馬場

 沖縄県豊見城市翁長にある翁長馬場跡は現在「翁長共同利用施設」となっている。馬場跡の広場は恐らく当時そのままと思われる。翁長は大渡海岸に上陸したジョン万次郎が半年の間一時留め置かれた場所である。これを記念してここには記念碑が建てられている。残念ながら馬場跡の碑は無い。

翁長馬場 

ジョン万次郎記念碑
保栄茂馬場(ウマイー)
 豊見城市保栄茂にある馬場跡は現在でも芝生が広がる保栄茂馬場公園となっている。保栄茂はビンと発音し、文字からはちょっと読めない難読地名である。6年に一度、大豊年祭(十五夜)の伝統行事・巻ち棒(マチ棒)が行われる場所でもある。

髙嶺馬場

 豊見城市字高嶺の高嶺児童公園がかつての馬場跡である。公園入り口に小さな馬場跡の碑が建てられている。
  

北部の馬場

伊佐川馬場

伊差川を通るスクミチ(宿道)の一部は馬場であった。1903年(明治36年)6月 伊差川馬場において羽地間切原山勝負開催されている。
明治39年の馬場で、羽地間切の原山勝負が行なわれた。負けた方は、その村の総代を竹馬に乗せて、引き廻し公衆に見せて制裁を科す習慣があった(戦前新聞集成1)。
1890年(明治23) には羽地の伊差川馬場で国頭郡小学校連合運動会が開かれている

 ※原山勝負 19世紀に始まった、各間切の重要な農事奨励法。春秋2回、耕地の手入れ、農作物、山林の植栽手入れ保護等の成績を品評した。勝村には褒賞を与え、負村には制裁を加えた。同時に競馬などの余興も行われた。

伊佐川を通る宿道の一部が馬場であると言うがどうも狭すぎるようである。運動会なども開かれたようであるので現在の宿道を含む伊佐川公園がそれに相当するのではないかと想像している。

伊差川馬場 (宿道)
伊差川馬場 (宿道)
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