このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
那覇 辻
沖縄歴史地図より 明治初年 | 明治39年 「沖縄県管内全図」より |
大正10年測図 陸地測量部 5万分の1 「那覇」より | 左図(黒・黄)に現在図(緑・赤)を重ねる |
沖縄の遊郭は1672年摂政羽地按司朝秀(唐名:向象賢:しょうじょうけん)が泉崎村の仲の島に作ったのが最初という。その後、渡地(ワタンジ)や辻(チージ)にも認められた。この三カ所の遊所は明治まで続くのであるが明治41年には辻1カ所へと統合される。これにより辻は大いに繁栄する事となる。昭和初めの記録では妓楼は141軒を数え、人口は三千人であった。だが昭和19年10月10日の空襲により那覇は焼け野原となり、辻遊郭も消滅してしまった。 |
トップページ 旧道行脚 沖縄もくじ |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |