このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大学の発祥 

古地図で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を古地図と発祥碑で訪ねてみます。

大東文化大学


東京都千代田区富士見
碑文から

大東文化大学発祥の地
 本学の前身である大東文化学院は, 大正十年の貴衆両院による「漢学振 興に関する建議案」の決議に由来し, 大正十二年九月二十日, この地に 設立された。
 その後, 昭和二十四年四月, 新制 大学の認可を得, 現在の大東文化大学 (板橋区高島平1-9-1)として発展 し来っている。
 ここに, その歴史を刻し, 建学の 志を新たにする。
     平成元年四月吉日
          学校法人 大東文化学園
          大東文化大学




 明治末の地図
大正12年に当時の麹町区富士見町6丁目に校舎と事務所がおかれていた。 
法政大学はは1889年(明治22年)11月、麹町区富士見町6丁目16番地の土地315坪を購入し、1890年(明治23年)4月、255坪の木造校舎が着工され、6月に竣工している。1921年(大正10年)には麹町区富士見町4丁目(現在地)に校舎を新築して移転。地図は法政大学があった時のものである。
 
沿革
1921 大正10 第44国会にて「漢学振興ニ関スル建議案」が可決
1923 大正12 第46回国会の決議に基づき、国費をもって、財団法人大東文化協会を設立、大東文化学院(本科・高等科、旧制専門学校)を設立認可

1923 大正12 校舎と事務所を麹町区富士見六丁目十六番地に置く(九段校舎)
1944 昭和19 校名を大東文化学院専門学校と改称
1949 昭和24 大東文化学院専門学校を廃止
1949 昭和24 法人名を財団法人東方文化協会と変更
1949 昭和24 新制大学に移行、(東京文政大学)文政学部(日本文学専攻・中国文学専攻・政治経済学専攻)設置。

1949 昭和24 東京文政学院(各種学校)設置認可
1951 昭和26 法人名を学校法人文政大学、校名文政大学と改称認可
1953 昭和28 校名を大東文化大学と改称

千代田区富士見

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