このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大学の発祥 

古地図で訪ねる大学の始め

大学の発祥地を古地図と発祥碑で訪ねてみます。

東京電機大学


東京電機大学発祥の地

発祥の地の地図

 碑文から
   電機学校発祥の地
   1907年9月11日 電機学校この地に設立さる
   幾多の有為なる人材を世に送り、その使命を今
   東京電機大学に託す



江戸切り絵図

5千分一東京図 明治始めの地図 お茶の水


東京電機大学

明治末の地図 お茶の水

東京電機大学
1907年 明治40年「電機学校」として創立 正則英語学校に間借り 開校から半年後、校舎は錦城商業学校、大手町と移り、大正15年には生徒数は1万名以上にのぼり、東京都千代田区神田錦町2丁目2番地に初めて自己所有の校舎をもちました。これは錦町2丁目の中央大学の校舎を購入し、現校舎のある現在地に移転している。大正3年には昼間部を設置。
江戸切り絵図では発祥地は山城国淀藩主稲葉長門守の屋敷で現校舎は旗本の蒔田数馬之助の屋敷であった。ここは三菱商業学校、中央大学の前身の英吉利法律学校そして現東京電機大学となっている。発祥碑地図で電機学校発祥地を見ると
5千分一東京図では親睦商社( 旧勧工場)、ここは法政大学の前身である東京法学校が購入した校舎であった。また、明治末の地図では東京物理学校となっているがここは1886年 明治19年、勧工場を夜間だけの東京物理学校が間借りしていた場所でもある。
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