このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
志村一里塚 |
中山道
志村一里塚
志村一里塚西側
志村一里塚東側日本橋から数えて3里目の一里塚が志村の一里塚である。大正11年3月8日付で国指定の史跡となっている。一里塚が完全な状態で残るのは数少なく、都内ではここと北区西ヶ原の一里塚だけである。東側は昭和7年、西側は昭和42年に植え替えられている。
所在地
志村1−12
小豆沢2−16
板橋宿平尾一里塚跡
信号付近旧中山道 | 近藤勇像 |
JR板橋駅の近くの板橋宿平尾に一里塚があった。駅前の道と中山道が交差した信号の左辺りに一里塚は在ったという。案内板、碑等は無い。ただこの辺りかと想像するのみである。また駅前には新撰組隊長の近藤勇の墓所がある。この地で近藤勇は処刑された。慶応4年(1868)のことである。 |
本郷追分一里塚跡
高崎屋酒店 | 解説板から |
ここは日光御成道(旧岩槻街道)との分かれ道で追分と呼ばれていた。中山道では最初の一里塚になる。この角地に18世紀中頃までは榎木が植えられていたという。角の酒屋は高崎屋で宝暦年間の創業。もう一つの塚は反対側の森川美濃守の下屋敷に榎木が植えられていた。江戸切絵図では「森川金右衛門」とある。現在の東京大学農学部の正門付近と思われる。 所在地 文京区向丘1−1 |
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