このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

酔古ざつがく


 

カチャーシー

 最も沖縄的な踊りである。即興的な喜びを表す踊りで、結婚式や宴席、お祭りなどでよく踊られる。手の動きなど独特のものがあり、簡単そうで難しい。沖縄の人はこのカチャーシーの曲が流れると、自然とからだと手が動き出してしまうようである。四国の阿波踊りなどと直感的には関連性があると感じるがその伝播の道筋は分からない。阿波踊りや佐渡おけさは九州のハイヤ節との関連を指摘されているが海流に乗り南から影響を与えたと考えても良いような気がする。

ジュリ馬

戦前、那覇の辻に色町があり、そこにいた女性たちをジュリと呼んでいた。尾類と漢字で書くらしいが女郎の転化した言葉だと思われる。二十日正月の日に戦前、辻で行われていたお祭りでジュリたちが馬の形をした作り物を付けて、町中を踊りながら練り歩く行事であった。
こんにち、ジュリは存在しないが年輩の人には記憶に残っている。ある知り合いが自分の子供にジュリの意味をよく知らず樹理と名を付けて、年寄りから眉をひそめられてしまった話しがある。知人にしてみれば今風のかわいい名と思っていたようだが、世代でのずれがあるようである。

新聞の訃報

沖縄の新聞には琉球新報と沖縄タイムスがある。大概の家ではこのどちらかの新聞を読んでいる。本土の全国紙を取っている人は少ない。地元の新聞であるから当然、県内の記事が多くなる。全国紙を読む本土の人間と、地元紙しか読まない沖縄県民の意識の差は必然的に出てくるようである。
沖縄で生活するうえでは断然、地元紙のほうが便利である。事細かにいろいろな情報が載せられている。記事ではないが新聞の訃報もそうである。本土の全国紙では著名人の訃報しかのらないが沖縄では付き合いの広い家では広告として訃報を載せる。その訃報を見て実に大勢の人たちが弔問に訪れる。
訃報には喪主の名だけでは無く、親類一族すべての名前が載せられ、家系すべての関連が分かってしまう。なかには在ペルー、在ハワイなど国外の移民した親戚の名前も載せられる。親族意識の高揚に一役かっている。親族の名前の一覧が載っているので興味を引くのは年寄りの名前である。カマド、ナビーなどの名前である。高齢の女性の名としては一般的なものである。一枚の新聞からもそれが確認できるのである。ナビーの名は最近、話題になった映画の題名になっている。残念ながら私はまだこの映画を見る機会を得ていない。ぜひ、その内、見たいと思っている。
 

葬式

沖縄の葬式のアイテムとして 荒縄、ほうき、蚊帳、草履、一升瓶、傘などがある。これは本島北部の離島で見たものである。いろいろと道具を並べてみたが何やら判じ物のようである。荒縄は屋敷の回りに張り巡らし、死という災いが外に出て行かないようにする結界の為であると思われる。この縄は葬式用として左に縄をよったものである。ほうきも同じ意味で結界としての役割をする。現在ではあまり行われないようであるがかつては門の所に横にして置かれたという。葬列が通る道筋のある一軒の家では門の前に横にしたほうきが置かれていた。蚊帳も同じ意味であると思われるがこれは遺体を安置した部屋につるされる。昔は遺体をすっぽりおおう形で蚊帳がつるされたが現在では前面にすだれのように一面だけつるすようである。草履は死出の旅支度であろうか。私が見た草履は現代風なビーチサンダルであった。一升瓶は勿論、泡盛であるがお墓に供えられるものであった。一升瓶を棒に吊し、二人の男がそれを担ぎ墓地まで運んで行くのである。傘は遺骨を抱える遺族に差し広げられていた。何を意味しているのかは分からなかったが何やら昔の高貴な人に差された日笠の風情が漂っていた。
葬儀が行われたのは自宅であった。部屋の中の飾り物はすべて取り払われていた。掛け軸は巻かれ、額はかたづけられ、時計も外されていた。初めて見る光景であった。本土の地方によってはある風習なのかも知れない。私だけが知らない事なのであろうか。現在、都市部では家以外の斎場やセレモニーホールなどで行われることが多くなり、その様な風習も忘られてしまったのだろか。
額や時計を外す理由はガラスが良くないのだという。そこから霊が抜け出るか入り込むかして良くないらしい。
墓に納骨して葬儀は終わるのであるが、身を清めるために、シマザケ(泡盛)が使われていた。手の平に少し受けて手を洗うという感じである。本土ならば塩を使うのであるが所変われば品変わるである。

BACK   NEXT
トップページ   沖縄もくじ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください