このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 近鉄回想録写真館


■大阪・名古屋線系統



680系(元奈良電気鉄道デハボ1200形)


● 主要諸元
形式モ680形(Mc)ク580形(Tc)
番号681・682581・582
両数22
主電動機MB-3020-B4
出力125kw/h×4
駆動方式WN平行カルダン
車体寸法
(mm)
長さ18,14018,140
2,7002,700
高さ4,1204,026
自重(t)32.527.0
定員(人)
[うち座席]
56
[56]
52
[52]


● 車両の解説


 京都線が近鉄に合併される前の昭和29年に奈良電デハボ1200形・デハボ1350形として登場。当初は2形式とも電動車であったが、近鉄に合併された昭和38年に680系に改称、翌39年の東海道新幹線開業に伴い、京都線特急車として整備された。その際、デハボ1350形は電装解除されク580形となったが、パンタグラフは残された。
 昭和49年に一般車両への格下げ・ク580形のパンタグラフの撤去が行われ、志摩線ローカルで余生を送っていたが、昭和62年廃車となった。



● 回想録
マルーン時代


 志摩線がまだ単線だった1986年(だったと思う)正月に撮影した1枚。確か、3月にデビューする京都市地下鉄線相互乗入用3200系の導入で、在来車両もツートンカラー化されるというのを聞き、鳥羽駅で待って撮影したものと記憶している。ローカル運用車では唯一の冷房車で、そのクーラーキセの形状や転換クロスシートの2扉固定窓から、元特急車であることが伺い知れる。この時は撮影だけして、当時特急料金不用で運行されていた、とんでもない臨時列車「高速伊勢志摩号」(上本町−鳥羽間/停車駅=鶴橋・大和八木・東青山(正月は通過)・伊勢市・宇治山田・五十鈴川)で帰路に就いたと思う。
 この車両は、昭和39年に近鉄に合併される前に製造された元奈良電気鉄道の車両を新幹線開業時に特急車として改造したもので、4編成存在した。うち第1・2編成は冷房化、第3・4編成は予備車として配属された。近鉄の特急カラーに塗り分けられ、正面には逆三角形の特急マークも付けられ、京都から奈良・橿原神宮前間の特急として活躍した。最後は余生を志摩線ローカルで過ごしたが、一般車格下げ後も大きな工事は行われず、ほぼ原型を保ったままであった。廃車も近いだろうということは分かっていたはずなのに、乗らずに帰ってしまったことが悔やまれる。今のように録音機材があれば、写真だけでなくビデオ撮影や走行音を撮っておけば良かった…。

ツートン時代


 これは1987年5月の連休に撮影したもの。2編成とも志摩線でヘッドマーク付き運用に就くというものでした。確か3月頃だったでしょうか、5月の3連休の「さよなら運転」を花道に現役引退が発表され、当時高校3年生だった私は、4月いっぱいまで入院していました。退院後すぐに最後の勇姿をカメラに収めようとして、親に付き添われて撮った思い入れのある1枚。適当な撮影場所も知らず、往きの普通列車の先頭からこの鉄橋を選び、徒歩で逆戻り。今から思えば、1ヶ月入院した後の撮影旅行、大した根性だったと思いますね。
 それで、前回乗らずにさっさと帰ってしまったものだから、今回は待ってでも乗ろうということで、マルーンのままの第1編成、ツートン化された第2編成ともカメラに収め、第1編成に乗って鳥羽まで乗車しました。確か、最終日の最終運用は、鳥羽発名古屋行き臨時急行で、第1・第2編成の重連で運用され、最後の花道を飾りました。さすが元特急車、志摩線内だけでしたが、シートも心地よく、快適な乗り心地でした。


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