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箕面有馬電気軌道の時代から、回遊乗車券が発行されていました。箕面有馬電気軌道発行の回遊乗車券の画像もあるのですが、掲載に関して所有者の許諾が得られていませんので、ここでは阪神急行電鉄時代から紹介します。
上は神戸線開通後の大正9年から大正15年までの間に発行された「大阪‐箕面・宝塚 回遊乗車券」です。
箕面宝塚線一往復で通用は二日。運賃は通行税共81銭でした。
大きさは普通乗車券よりも一回り大きく、地紋には箕面の滝と宝塚の街並みが描かれています。
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上は大正12年(1923年)に神戸駅で発行された「神戸より宝塚 箕面 回遊乗車券」です。
神戸線の十三‐神戸間、宝塚線の十三‐宝塚間、箕面線と西宝線の全線が回遊区間となっていたようです。
通用は二日。運賃は通行税共1円21銭でした。
大きさは「大阪‐箕面・宝塚 回遊乗車券」と同じで、地紋には大阪から神戸にかけての地形が描かれていました。
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上は昭和8年(1933年)に梅田駅で発行された「大阪‐箕面・宝塚 回遊乗車券」です。大正期のものに比べて大きくなりましたが、地紋は大正期のものと同じく箕面の滝と宝塚の街並みです。
うらの注意書きの2番目に「本券ハ箕面宝塚線各駅ニ壱回宛御乗降出来マス」と書かれており、乗り降りが自由な現在の回遊パスのようなものでは無かったようです。
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昭和8年(1933年)、大阪市営地下鉄1号線(現・御堂筋線)が梅田(仮駅)−心斎橋間で開通していましたが、昭和10年(1935年)10月6日に梅田本駅が完成し、阪急と地下連絡通路で結ばれるようになりました。
上はそれを記念して昭和10年10月に発行された「地下鉄・阪急連絡記念 みのお・宝塚廻遊乗車券」です。料金は通常より10銭安い70銭となっています。
右上は梅田本駅開業前と開業後の阪神急行電鉄発行沿線御案内です。昭和10年10月末には難波まで地下鉄が開通したため、昭和11年の沿線案内には「大阪地下鉄」と示された太い赤線とともに「至なんば和歌山」の文字も加刷されました。 |
| 画像左は「地下鉄・阪急連絡記念 みのお・宝塚廻遊乗車券」に添付されていた福引券です。福引券では「大阪地下鉄=阪急・地下連絡記念」と表記されています。
この福引券は、有効期間が地下鉄梅田本駅開業日の昭和10年10月6日から10月20日までの2週間となっています。「地下鉄・阪急連絡記念 みのお・宝塚廻遊乗車券」の発行期間もおそらくこの2週間だったのでしょう。
福引場所は箕面駅前遊園地となっています。どのような景品が出されたのでしょうか? |
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上は昭和10年(1935年)に発行された観音霊場西国三十三ヶ所阪急沿線出開扉巡拝乗車券です。
「觀音霊場西國三十三ケ所」のうち、阪急沿線にある観音霊場の巡礼用に用意された乗車券で、梅田‐宝塚、宝塚‐西宮北口、神崎川‐西宮北口、箕面線・伊丹線に通用する回遊乗車券となっていました。
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上は観音霊場西国三十三所出開扉 阪急・京阪連絡割引巡拝乗車券です。見本券ですので参考としてご覧ください。
年代は特定できませんが、路線図に阪急上筒井線(西灘‐上筒井間)の表記が無いことと、京阪石山坂本線の石山寺駅が石山駅と表記されているところから、昭和10年か昭和11年に印刷されたものではないかと思います。
また有効区間の設定は阪神急行と京阪の全域ですが、枚方東口駅(現在の枚方市駅)から私市駅までの路線も表記されていますので、京阪電気鉄道が委託されていた信貴生駒電鉄枚方線(昭和14年に交野電気鉄道に譲渡。現在の京阪交野線)も入っていたようです。
阪神急行宝塚線・箕面線の十三‐中山、石橋‐箕面、京阪十三線・新京阪線の十三‐高槻町が回遊区間となっていたようで、通用は10日間と表記されています。
裏面の御注意欄(画像左下)の4番目には「途中下車ハ左ノ驛ニ限リ御扱ヒ致シマス 新京阪線 吹田觀音前・總持寺前 阪急線 中山」と印刷され、西國三十三ヶ所出開扉の時期にだけ京阪新京阪線に臨時で設置されたと思われる吹田観音前駅の文字が見えます。
印刷された路線図(画像右下)にも、京阪新京阪線淡路・総持寺前の間に吹田観音前と印刷されていました。一部の資料では吹田観音駅と紹介されている吹田観音前駅ですが、いつ設置され、いつ廃止になったのかは分かりません。 |
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