このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
同声2部合唱 しあわせ運べるように (制作…10.2.24、 更新…12.4.12)
1995(平成7)年1月17日の午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災の追悼曲として、神戸市立明親小学校教諭の臼井真さんが、
地震から10日後につくられた曲です。今では神戸ルミナリエのテーマソングや、神戸市の学校などでも広く歌われています。
作詞、作曲…臼井 真 演奏時間…3:13
合唱難易度 同声2部…3.2 混声3部…3.8
JASRAC作品コード… 038-9790-7
☆2011年に発生した東日本大震災以降、復興の歌として神戸から東日本の復興を願って、歌詞の一部を変えて
2011年に「しあわせ運べるように ふるさとver」が誕生しています。
ふるさとverは、1番、2番の「神戸」を、「ふるさと」にしてください。
また、サビの部分は「東北」にしてもかまいません。
ふるさとverで2番の歌詞を臼井真先生に提供してみたいと思っています。
2番3行目
傷ついたふるさとを 新しい姿にしよう
2番5行目
あのときは本当にありがとう 今度はぼくらが助ける番
力合わせて支え合って 未来を作り出そう
☆「しあわせ運べるように」誕生秘話☆(公式サイト「しあわせ運べるように」より
阪神・淡路大震災から約1カ月後の1995年2月27日、
兵庫県神戸市立吾妻小学校で小さな発表会が行われました。
避難所にもなっていた吾妻小学校の校庭に児童約200人が電子ピアノを取り囲むようにして集まり、
避難住民、ボランティアの方々と一緒に合唱をしました。
この日、初めて「しあわせ運べるように」が披露されたのです。
小学生の澄んだ歌声が被災地に響き渡り、たくさんの方々が涙されました。
その後、神戸市にある180近くの小学校や、1月17日に神戸で行われる追悼式典でも歌われるようになり、
成人式では参加者全員で合唱をすることもありました。
また、新潟や中国、イラン、アルジェリアでも歌われるなど神戸から日本、世界へこの曲が届けられています。
〜子どもたちの歌声で街を包みたい〜
「しあわせ運べるように」を作詞・作曲したのは、
当時、神戸市立吾妻小学校で音楽を教えていた臼井真先生。
震災で東灘区の自宅が全壊し、先生自身も被災されました。
吾妻小学校で避難住民の方の対応をしながら身を寄せていた親戚宅を往復する毎日。
神戸で生まれ育った臼井先生はすっかり変わり果てた街を目の当たりにし、
数々の思い出が失われ、絶望感で胸がいっぱいになりました。
そのとき、こんな思いが頭をよぎったのです。
「子どもたちの歌声で、壊れた神戸の街を包みたい」
「生まれ育った神戸の復興のために自分ができることは、音楽で表現することしかない」
臼井先生はそばにあったB4の紙を急いで取りました。
鉛筆で歌詞を走り書きし、メロディーを加え、この曲はわずか10分で生まれたのです。
臼井先生は、
「音楽を通して、やさしさや人の心の痛みがわかる子、
目に見えないものの美しさがわかる子になってほしい。
そして、小学生のときに何かに心が動かされて感動できる子、涙を流せるような子になれれば、
大人になってもいろいろなことに感動できるような人になるだろう」、と思い、
約30年間、子どもたちへ音楽を教えています。
現在では、阪神淡路大震災を体験していない子どもたちも
この歌を通して多くのことを学んでいます。
☆この曲の公開にあたっては、神戸市小学校教育研究会音楽部から楽譜の提供をいただき、
臼井真さんから公開の許可をいただいています。ご協力ありがとうございました。
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