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蒲原鉄道 (五泉〜村松)
2009年 12月29日 訪問
蒲原鉄道は、新潟県の五泉から加茂まで結んでいた私鉄である
ま〜 かなり有名な廃線だから
こんな変なサイトを見る人は 知っているでしょう〜〜〜
そんな鉄板路線に 仙台にある親父の実家に友達と遊びに行くと証して
大晦日が迫る29日に 和光市と新井薬師と一緒に、南東北をまわりました。
今回は、そんな南東北廃線巡り 一つ目の
比較的 近年まで営業していた。蒲原鉄道五泉〜村松間を紹介します。
今回も編集 全 T樫です。
↑↑快速ムーンライトえちご に青春18切符で格安に乗るために高崎から乗車。
隣には、489系 急行能登が並んだ。 ヲタク・・・もとい マニアが、メッチャ走っていて・・
快速ムーンライトえちご を新潟で降り、新津で乗り換え五泉駅に到着した。 実はこの時 磐越西線のキハ40の中で、ハプニングが発生していた。 それは・・・・・先日T樫家に導入された カシオのデジカメが・・・ なんと・・・・シャッターがおりなくなる 不具合が発生していたのである。 シャッターがおりず、デジカメが機能しなくなったため 和光市に俺のSDカードを託し 和光市に写真を撮ってもらった。 まじ最悪・・・・ | |
五泉駅の北から南に磐越西線を跨ぐ跨線橋から 蒲原鉄道五泉駅の敷地を望む。 方角は、新潟方面を見ている。 画像右側の磐越西線の線路の左側の更地が、駅跡である。 | |
跨線から津川方面を望む。 右にカーブして行く敷地が 蒲原鉄道の線路跡である。 なんとも分かりやすい。 | |
薄暗い中 跨線橋を降り。 線路跡に入る。 駅舎跡や面影は、全然感じられない・・・ | |
さて、村松に向けて進むとしよう。 ちなみに 画像左の男が、私(T樫)で右側が 新井薬師である。 この日は、あまり寒くなく、真冬の多摩地区の朝より暖かく感じられた。 | |
線路跡は、住宅地の中を右にカーブしていく。 犬の散歩で使われているらしく、雪が踏み固まれている所があり歩きやすかった。 | |
結構 急なカーブを続けている。 雪が積もっており 枕木などは、探す事が出来なかった。 | |
線路跡は、民家の雪を捨てる場所に使われていた。 さすがに 雪捨て場は、迂回して線路跡を辿った。 | |
やっと カーブも終わり県道に向け直線区間に入る。 | |
駐車場に使われていた。 土地の所有権は、誰が持っているのだろうか・・・ やっと 太陽がでてきた。 | |
小道と 消火栓と 水路と廃線。 素晴らしね〜〜 家々の区画と違い 斜めに走る線路跡がいいね。 | |
踏切跡があった。この手のやつは、太平洋セメント専用線でも見るし、お馴染みだね。 | |
3色のケーブルが裸で出ていた。 踏切が残っていれば そそるのに・・・ | |
水路を跨ぐ。親切にも板が渡してあった。 う〜〜ん なんかいいね〜〜〜 | |
左右に道がなくなり、線路跡単独になる。 やがて左手には南公園という公園が見えてくる。 | |
デカめの水路を 線路跡は跨ぐ。橋台がくっきり残っていた。 意外とココを渡るのが難しかった・・・ | |
うわっ 水路を渡って少し進むと コレだよ〜〜 これは、除雪車の仕業だな。 左には、五泉中央自動車学校の練習コースがある。 | |
五泉自動車学校の練習コースと、これから蒲原鉄道と併走する 県道7号線の間にも 橋台が残っていた。 さすが米どころですな。水路の橋台が沢山残っている。関東南部とは違うな〜〜 | |
蒲原鉄道と村松まで併走する 県道7号線と合流する直前に振り返って撮影。 右の五泉中央自動車学校との位置関係が分かって頂けるだろうか。 線路跡には、除雪車や練習用のトラックが止められていた。 | |
ついに 県道7号線と併走する。 このまま 単調に村松まで紹介します。 |
以下 記 全 T樫
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