このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
根廻隧道
2010年 1月1日 訪問
え〜〜
日本で一番長かった、東北本線。
そんな東北本線の旧線の隧道である根廻隧道
完成は、明治23年 明治23年といえば 大日本帝国憲法が発布された年の翌年
大日本帝国憲法の時代など、歴史で習った中で近代の中ではかなり古い 遠い昔と感じていたが
そんな 時代にできた物が、普通に今でも触れられると感じると変な感じだ。
まーヨーロッパのアーチ式の水道橋のもっと古くて、そそるが・・・
場所は、宮城県のちょい北側あたり
付近は、東北本線の利府経由の旧線もあった場所
廃止年は、大正13年
正月に祖父の家がある仙台に帰省したついでに 親父と訪問しました。
記 全 T樫です。
親父の運転で、竹駒神社にガンチョウ参りをした後、仙台東部道路を爆走し根廻隧道の仙台側坑門に到着。根廻隧道は、現在も県道として使われいる。県道は、ほぼ1.5車線から2車線だが、隧道の所だけ離合困難の1、2車線になる。 俗に言う譲り合い隧道だ。 | |
南側である仙台方面を望んで撮影。 若干の切り通しで、右にカーブしている。鉄道由来らしく緩やかなカーブと勾配だ。ただ、鉄道線にしては、ちょっと勾配がきついように見えた。 | |
でっかい。 なんか、重厚な柱みたいなデッパリが、左右にあり素晴らしいデザインだ。最近のつまんないコンクリートののっぺらしたポータルも見習って欲しい。隧道の形は、常磐線の 下郡隧道 と同じく 直線とアーチの組み合わせだ。ホント、楕円形より地圧がかかりそうだが、当時は流行ったのだろうか? さすが、明治23年に出来た隧道だ。 | |
親父。なんかファザコンみたいですけど、別に特別仲がいいわけでもなく。共通の趣味を楽しんでいるだけなので・・・ | |
立派な坑門を見上げる。 アーチの数々の凹凸からなるデザインが素晴らしい。 | |
さて、中を進むとしよう。寂しげな蛍光灯が、東側の設置されており若干明るい。 轍を見て分かると思うが離合は難しい。それにしても 側面が直線だ。 | |
上を見上げて撮影。 やはり蒸気機関車のススのような物がついているように見えた。 レンガの色が苔やススや汚れやらで一定でない感じが素晴らしくそそる。 | |
直線とアーチのつなぎ目を撮影したつもり。ちょっとだけ、レンガドクドクの赤みのある色が出ていた。それにしても、下郡隧道のせよ訪れた明治隧道は白っぽい。 | |
退避場だ。 下郡隧道 の待避所とは、アーチ部のつなぎ目が違った。同じ形の隧道に見えたが細かく見ると違うのだろう。 | |
赤い矢印で示したように。隧道中央は、アーチ部が一段窪んでいるが、出口近くになるとフラットになる。何故そんなに複雑なのだろうか・・・ | |
青森側の坑門に到着。 北側の坑門はなぜか赤く、オリジナルの色に近い気がした。なぜ赤いのだろうか? 北側も造りは、南側と同じだ。 やはり、北側は雪が残っていた。 | |
上の画像の所から青森方面を望む。隧道を境に下っていく。 | |
画像右側のガードレールあたりが、東北本線の現行線だ。やがて、この旧線は合流していく。 さっきから気になるが、隧道を抜けたあとから画像左側に膝ぐらいの高さの法面があるが、鉄道由来の遺跡なのだろうか・・ それとも道路拡張の際にできたのだろうか? | |
現行線の隧道を望む。大正時代に完成したはずだが、複線規格の隧道だった。かなり立派だ。 ただ、この日は電車は来なかった。強い冬型の気圧配置のため西風が強く東北本線は運休していた。 | |
現行線と旧線の青森側 坑門を同時に望む。 現行線は、旧線とあまり標高が変わらず、単に拡張電化目的で造られたのだろう。 | |
帰り際に 融雪剤を見学。隧道を抜けた北側に設置されているあたりが実用的だ。 今回は、根廻隧道以外の旧線部は、トレースせず隧道だけで終了です。 |
以下 記 全 T樫
2010年4月9日 編集
完結
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |