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常磐線 旧線 (小高〜桃内) その2
2009年 12月30日 訪問
え〜〜
常磐線の旧線の続きです。
今回は、前回に引き続き、県道を跨ぐ橋の所からです。
さてと、今回の旧線区間の中間地点である。県道を跨ぐ橋からスタートし、桃内(上野方)方面に向けて歩いて行く。 画像は、西側を望んでいるが、旧線と新線の位置関係が分かるだろう。 記 T樫 | |
お〜 枕木が柵に転用されている。 しかし・・・ よく考えてみると・・・ この柵は、旧線が現役の時代に作られたのだろうか?もし、旧線が現役の時に作られたのならば、この枕木は、旧線の旧枕木ということになるので、かなり古い枕木になってしまうのでは? ま〜後から作られたと思うが・・・ 記 T樫 | |
第二耳ヶ谷隧道。正面に見える男二人組は赤ジャージが新井薬師、右が和光市。 やはり明治期の重要幹線だったこともあって、レンガ造りのデザインが凝っている。少し国会議事堂のような凹凸に見えるのは私だけだろうか、いや私だけでない。 By 和光市 | |
坑門は、新線側である西側部だけ、やけに伸びた造りである。 左右非対称であまり美しくない。 記 T樫 | |
レンガのデザインを下から見てみた。この重力を無視したデザイン、いいと思う。 ちなみにレンガの造りはイギリス式(レンガ組み方が一段一段違う方式)だった。坑内の天井部には煤がかかっているのもお分かりだろう。 By 和光市 | |
煤がかかってはいるものの、あまり残っていなかった。長年放置されているだけあって苔も生えていて、全体的には汚れている印象が強い。 ただ、苔も表面だけであって、一部レンガの状態が非常にいい箇所もあるので、当分はレンガが崩落することもないだろう。 それだけ長い歴史がこのトンネルにはあるのだ。 By 和光市 | |
凝ったデザインの印象が持てる待避所。 この画像からも、このトンネルがイギリス式なのがお分かりいただけるであろう。 鉄道・・・いや交通の技術だけでなく近代的な建築などがイギリスの技術をく元にしてるだけあって、イギリス式が多い。 By 和光市 | |
第二耳ヶ谷隧道の銘板。こういう感じで放置しているのが廃線らしくてよい。あれ・・・このトンネル黒くね?と思ったのは私だけだろうか、いや私だけでない。 この看板は終戦後製造されたものだろう。 By 和光市 | |
おっ! 中央本線の猿橋の旧線 で救われた、金属の棒だ! 明治製の隧道は、なにかを引っ掛ける棒を作るのが標準仕様だったのだろうか・・・ はたして、この金属の棒を何のために使うかは、我々 O泉の鉄道仲間では、誰も知らない・・ 記 T樫 | |
凝ったデザインから一変、反対側の坑口のデザインの印象を持つ印象がある。 坑口の上部に、赤いレンガが露出している箇所があるのがお分かりだろうか。恐らく、この場所に銘板があったのだろう。 By 和光市 | |
この画像をみると、水根貨物線を思い出す。杉林の感じもそれらしい。しかも笹薮も茂っているところも少し似ている気もする。 一番似ているのはこの程度の山なら切り通しにすれば良かったと思う。 そういうところが水根貨物線を彷彿させる。 By 和光市
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美しい坑門だ。 左右対称に汚れている感じが、歴史を感じられて素晴らしい。この坑門から C62が飛び出してきたらホンキで感動すると思う。 低い尾根を通した隧道にしては、長い。 記 T樫 | |
坑内に落ち葉があった。このトンネルは黒ずんだ印象が強い。だが、レンガの状態は良かった。 二人組は・・・まぁ言わなくても分かるだろう。 By 和光市 | |
「第三耳ヶ谷」と書かれた銘板。 先ほどの「第二耳ヶ谷」の銘板と同じような場所に放置されている。何もこんな場所に放置しなくても良い気がする。 故意に置かれたものなのだろうか。 By 和光市 | |
第二耳ヶ谷隧道のデザインに似た坑口。「O泉高校闘球部」のウィンブレはいうまでも無く私。 現代のトンネルは、無機質でコンクリート丸出しの冷たい印象があるが、明治期のトンネルは、お洒落で、また暖かさを感じられる。 こういう所は、現代のトンネル作りでも見習って欲しい。 By 和光市 | |
既存線が見えた。軽自動車の轍のようなものが見られるのだが、これは不法侵入なのか、それとも工務部のものなのか。 しかし笹薮が濃いな。 By 和光市 | |
左にカーブする。轍が落ち葉の上にもかかっているところから、最近に出来たものだろう。廃線に、わざわざ軽自動車(車幅が合わないが、もしかしたらフェラーリかポルシェ)で乗り付けなくていいと思う。 しかし笹薮が濃いな(2回目) By 和光市 | |
左に民家が見える。まもなく終盤に近づいてきた。まだ轍は続いている。この辺りは廃線というより、農道のような雰囲気だ。 ・・・ということは農家のおじいさんが農作業の帰りにフェラーリで乗り付けた跡かもしれない。なわけないか。 By 和光市 | |
さて、旧線も新線と合流したので、県道を跨ぐところまで戻って、我々がエナメルバックを置いた所まで、帰ってきた。 エナメル達は、置いたままの状態で我々を待っていてくれた。 記 T樫 | |
帰り際に見つけた旧線と新線の陸橋。 しかし、よく見たら、水路の上に道があり その上に常磐線が走っている。 て・・ことは、最初は水路の橋として造ったが、時代の流れで道路を跨ぐ橋になったのか?? 記 T樫 | |
桃内駅に戻ると、10分程で、平行きの普通列車が入線してきた。 私(T樫)としては、455系が来て欲しかったが、残念ながら時代の流れで455系など昔の話で、ロングシートの最悪な列車が来てしまった。 そんなこんなで、南東北廃線廻りは、終わり。上野駅に向けて常磐線を南下していった。 記 T樫 |
完結
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