年 | 出来事 |
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1892年(明治25年) | 6月、鉄道敷設法公布され、このなかで中央線敷設が定められる。
中馬街道(名古屋−瀬戸−鶴里−曽木)や下街道(名古屋−多治見−土岐津−瑞浪)の誘致運動と共に東濃南部陶磁器生産地域縦断ルート(名古屋−瀬戸−笠原−下石−駄知−明智−大井<現在の恵那市>)の誘致運動が駄知町を中心に行われる。 |
1894年(明治27年) | 5月、下街道筋の案に決定し、路線が確定する。 |
1902年(明治35年) | 12月、中央線名古屋−中津(現・中津川)開通と同時に土岐津駅設置。 |
1910年(明治43年) | 軽便鉄道法公布により、東濃地方にも軽便鉄道熱巻き起こる。 |
1911年(明治44年) | 9月、駄知電気鉄道が第1期(駄知〜瑞浪)、第2期(瑞浪〜明智) の鉄道敷設計画のうち、土岐郡駄知町から中央線に最も近い土岐郡瑞浪村(現・岐阜県瑞浪市)の瑞浪駅を 起点とした、瑞浪村−駄知町間の特許申請するが、建設予算見積が過少のため却下される。 |
1916年(大正5年) | 5月、駄知軽便鉄道が瑞浪村−駄知町間の免許申請するが、後 に起点を土岐郡泉町(現・土岐市泉町)の中央線土岐津駅に変更する。 |
1917年(大正6年) | 7月、駄知軽便鉄道、泉町−駄知町間の免許申請する。 |
1918年(大正7年) | 8月、上記区間の鉄道敷設が認可される。 |
1919年(大正8年) | 4月、駄知鉄道株式会社設立。初代社長は籠橋留次郎。 |
1920年(大正9年) | 1月、駄知鉄道敷設工事開始。 |
1922年(大正11年) | 1月、新土岐津−下石間(4.7km)開業。
10月、下石−山神間(2.8km)開業。 |
1923年(大正12年) | 1月、山神−駄知間(1.6km)開業。 |
1924年(大正13年) | 9月、駄知−東駄知間(1.3km)開業。(=全線開通) |
1928年(昭和3年) | 3月、中央線土岐津駅乗り入れ開始。新土岐津駅廃止。
それまでは、中央線土岐津駅から西へ約200m離れた地点にあり、旅客は乗り換えの際、徒歩連絡を必要とした。 |
1929年(昭和4年) | ガソリン動力併用開始。4月、土岐津駅−土岐口駅間に神明口駅開業。 |
1932年(昭和7年) | 5月、時の鉄道大臣、床次竹二郎に駄知鉄道を国有鉄道に買収して もらうように陳情。 |
1944年(昭和19年) | 3月、戦時下の陸上交通事業調整法に基づく行政指導によって、笠原鉄道(新多治見−笠原)やこの地域のバス会社と合併し、新会社「東濃鉄道」の一翼となり、東濃鉄道駄知線となる。 |
1950年(昭和25年) | 7月、全線電化(1500V)され、スピードアップ達成。運転回数増加。 |
1956年(昭和31年) | 8月5日、駄知線土岐口〜下石間で、上り貨物列車と通過証をもらわなかった下り東駄知行普通電車が正面衝突。39名負傷。 |
1960年代 | 陶磁器製品、原料輸送がトラックに移り、貨物輸送量が激減。 |
1966年(昭和41年) | 旅客輸送量のピーク。翌年から減少傾向になる。 |
1970年(昭和45年) | 3月、多治見市下沢町−土岐市下石町までの道路改修工事完成。それまで1時間を要した、多治見−(下石経由)−駄知間が30分程度になり、これ以後、多治見直通のバスシフトが本格化。 |
1971年(昭和46年) | 経営難から東濃鉄道が名鉄グループ傘下に入る。 |
1972年(昭和47年) | 5月、東濃鉄道が年間2000万円(当時)の赤字を出していた、 駄知−東駄知(1.2km)の廃止を申請。7月、集中豪雨により、土岐川鉄橋流失。不通となり休止届け申請。2年間の休止認められ、土岐市−東駄知間でバス代行始まる。 |
1974年(昭和49年) | 7月、2年間の休止期間中での復活を断念。駄知線全線(土岐市−東駄知)の廃止を申請する。10月21日付で廃止許可される。 |