このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

道路の右手、川側、畑の中に石積みの七人塚がある

 平家、細川の軍兵が中之川に逃れ住んでいる源氏の河口氏を追って来たが、伝説の中洲で戦いになり
逆に返り討ちにされ、戦死者の霊を奉ったとされるのがこの七人塚。

図書館で「伊予三島市 嶺南」と言う歴史の本を借りました。

七人塚の事も詳しく載っているが本では熊を捕らえるための落とし穴に、土佐方面から来た七人の武士が
この穴に落ち死んだので村人がすまなく思い、魂を慰めるために造ったと記しているが、私には初めて耳に
することだ。

一体どちらが事実?

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中之川.2 中部落

S

N

七人塚

市指定の天然記念物になっているらしいが大型台風などでいつ倒れてもおかしくない状態だ

新田一族、義貞、義宗、義興を祀たと言われている新田神社

正面がカシの木、手前を左川へ下ると新田神社です

以前は毎年冬になるとこの程度の雪は常時降っていたが現在は殆ど降らない         2006年1月撮影

お堂の前に釣っている鐘が元の半鐘

校庭からから観た上方面   橋を渡ると新田神社です

取り壊す前はこの場所から小学校が見えたのですが

上の写真、左側建物横に進入路があります

現在は住友佐々連鉱山寄贈の小さなお堂が建てられています

この庭…いや、運動場で運動会をしていたのだから信じられん。
電力は夜間のみの自家発電。運動会などはわが家の蓄音機を持っていった。
教室は広さ20畳位のが二つと10畳位のが一つで、一番少人数の学年が10畳の教室を使用していたと思う。

小学二年までこの校舎で 三年より1キロ下流に新築した校舎に変わる 
新校舎になってまともな?複式の3教室になる

電力と道路が開通したのもこの頃だったと思う



小高い所に電柱が立っている場所が旧中之川小学校跡

電柱が立っている横に半鐘が立っていました

住宅

七人塚の川を挟んだ向かいに小学校の教員住宅が在った

3組の先生達、独身、夫婦、家族連れで、今思うにはこんな山奥での自炊生活だったのだから
大変だったと思う

子供の頃から周りの大人達に聞かされていたこととは「この周りで遊ぶな!上がるな!たたりがある」

「○○ちゃんはおしっこを掛けたため大事なチ○チが腫れ上がった」と聞いた

私なんぞ怖くて近づいたこともない(汗)

コンクリート製の洗い場が残っています 元炊事場だった場所

左側に住居用の建物が建っていました

川と平行に数十メートル先に住宅跡がある

橋を渡り左に折れる

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