このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
発電所跡
この建物は、大久野島で、毒ガスを製造する際(1929年〜1945年)に、電力を供給していた発電場跡です。当時両方の写真に写っているディゼル発電機が8基設置され、
いずれも重油を燃料にしていました。 また、この建物では1944年11月〜1945年4月までの間、「ふ号作戦」に使用する風船爆弾の風船を膨らませ、弱い部分を補修する
作業も行なわれました。使用された風船は、動員学徒の女学生が和紙をこんにゃく糊で貼り合せて作っていました。 (案内板より)
最初この建物を目の当たりにした時は思わず声が出た。巨大で威圧感がある。残念だったのは内部へは立ち入り禁止で入れない事だった。
他の人達のホームページでは内部の写真も公開しているので当然入れると思っていたが、どうも無視して入ったようだ。エー歳をして違反をする訳にはいかないので断念する。
発電所内部は何も無く巨大な空間となっている
発電所横に在るポンプ室
キャンプ場側の鉄塔 高さ152m
海上より見た発電所跡
南部砲台跡
芸予要塞として建設された跡です。芸予要塞は、軍事上重要な都市であった広島と呉を守る為、また日清戦争(1894年〜1895年)後の内海防備の
必要性から、大久野島と南の愛媛県小島に作られました。大久野島には3ヶ所(北部、中部、南部)、他に対岸の忠海町・冠崎(かむらざき)にも作られました。
ここ南部砲台跡では全体で八門の大砲が置かれ、現在、四門の砲台跡が残っています。 (案内板より)
砲台跡
すでに埋まっている箇所のもある
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