このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

トンネル出口最先端部です

底が水流により削られています
鉄橋の左手側は坪尻トンネルの入り口。

写真では少し解りにくいが所々にゴミが引っかかっているのが見えると思います。

橋に水がかかるほど水量の多い時があるようだ。


トッポさんからの資料によるとこの鉄橋は洲津川橋梁と呼び本州の鉄道(福知山線)で

使用されていたものが要らなくなった為、改造(短く)し、ここで使用しているそうです。

 土讃線は四国中央部に横たわる阿讃山脈、四国山地を南北に貫く典型的な山岳路線。
 そのルートは琴平を出て、まず阿讃山脈に分け入る。
徐々に高度を上げて猪ノ鼻峠をトンネルで抜け、大きく円を描くようにして下り、吉野川を渡る。

 この区間は最大勾配(こうばい)25パーミル(1000メートルで25メートル上る)の急勾配が続く。
阿波池田から先は四国山地に挑み、小歩危・大歩危の急峻(きゅうしゅん)ながけに張り付くようにして高知県へと延びている。

 トンネル103ヵ所

 山を越え、川を渡るために総延長102キロの間にトンネル103ヵ所、橋梁(きょうりょう)130ヶ所が造られた。

 工事は、それまでに全国で行われた技術が生かされたものの、全長約4キロの猪ノ鼻トンネルをはじめ、谷間に列車の行き違い設備を造るため
地形を大きく変えた坪尻信号所(現・坪尻駅)、吉野川を渡る吉野川橋梁、深い谷に沿う大歩危・小歩危渓谷への敷設など難工事の連続だった。

 掘削に六年、完成時には全国で第3位の長さになった猪ノ鼻トンネルは、同時に造られた他の3つのトンネルと合わせ10人の死者を出し、
けが人は数え切れないほどだったという。
昼間町(現・三好町)の病院には「工事現場から大けがをした作業員が何人も運び込まれた」と今でも地元で語り継がれている。

 坪尻信号所は、州津川の流れをトンネルで迂回(うかい)させ、川底を埋め立てて造られた。勾配の途中にあるため全国でも珍しいスイッチバックを採用し、
列車の行き違い設備を設けた。職員が常駐していたころは、人気のない山中で黙々と列車の運行を見守るだけの孤独な職場だった。

 徳島新聞ホームページ「土讃線いま昔話」より抜粋

                   詳しくは 
帰ろうとするとトンネルから轟音が、運よく特急列車が通過しました。




先程の分岐点まで戻り、さらに川上を目指す。

右手頭上には国道32号線が見える


分岐点です

真っ直ぐ進むと、数十メートル進んだところで藪になり道は消えていました。

右に下ると小さな谷に突き当たり数十メートル先で本流へ続いていました


元、川だった場所を埋め立てたコンクリート壁



トンネルの両側は歩く事ができ、この先に鉄橋が在るはず



洲津川橋梁です
















































紅葉時の鮎苦谷川(坪尻駅) 写真館  




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川原に出ると上流には鉄橋が見える、しかし川は増水のため歩いて行く事ができない。

ここまで来ていまさら引き返す訳にはいかん!

靴を脱ぎ、ズボンも脱ごうとしたが、「いや待て、列車の乗客にパンツ1丁で川の中を歩く

老人の姿を見られたら…。」

深い所ではパンツまで濡れ、何とかたどり着く事が出来たが足の裏が痛くてたまらん(靴

下は履いたまま)。

ここで思い出したのは3月に行った桜三里の中山川を転倒で流された靴を追っかけた事。

今日は私自身が流されないようするのに必死だーァ。

隊長が大変な時、隊員のトッポさんは今頃、駅舎で昼寝か?

テレビと違って現実の「かわぐち探検隊」は大変!(笑)






    





分岐点

道は割りとしっかりして歩きやすく、保守点検用に使用していると思われる。

右方面に下ってみる


数十メートル降りた所がの分岐点で左に行くと地図の×印で行き止まり

坪尻トンネル財田側の真上に出る(下の写真)

降りようとしたが急斜面の上、ぬかるんで滑りやすく危険なための分岐点まで引き返し、右に進む








川原へ降り、トンネルまで行こうとしたが増水のため断念!

トッポさんとはここで別れ私はさらに上流のトンネルの探索に行く。


















私の記憶を元に今日のコースを地図(スーパーマップルデジタル使用)に書き込みましたが、あくまでも想像ですのでよろしく。

GPSがほしい…。



線路に沿ってトンネルへ向かうが誰もが行き止まりと思う。

駅のホームから眺めても道が続いているとは思わない。



やはり道がある!



正面にコンクリート壁らしき物と川の轟音が聞こえて来ました



地図C地点 駅前の川原にトンネルより流れ出ていた水路の入り口です。

元の川を埋めたてるために築いた巨大なコンクリート壁、つまりここまで歩いてきた道が元の川だったということになります。

先日の大雨で水嵩が増しています



トンネルの天井部分が崩れ穴が開いているのを同行したトッポさんが見つけました。

入り口部分がコンクリート、奥が素掘りによるもので、境目付近で穴が開いていました。
  



写真は国土地理院、坪尻駅周辺の空中写真(昭和50年)

駅の向かい側を線路に沿って進みトンネル手前を右方面、

川に向かって道が続いているのが解ると思います。

今回、この写真を頼りに上流にある迂回用の疎水トンネルを

探しに2度目の挑戦。
















坪尻駅  続・鮎苦谷川(あいくるしだにがわ)

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