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不定期日記

このページは管理人の日々の行動、考えなどを綴った日記です。名のとうり不定期で書きます。  最新の日記はここをクリック

2006年1月1日(日)あけましておめでとうございます
今年もこのホームページをよろしくお願いします。
2006年1月13日(金)上で撮影していると書いていた映画が完成しました。
いや〜、クオリティが高いです。
なかなか良いのに仕上がりました。
大半先輩のおかげですが(笑)

ちなみに私の役は中国系マフィア&SWAT隊員役。

コンテストが21日にあるのですがどうなるやら…
2006年2月3日(金)映画のコンテストの結果は……優秀賞でした!
いやぁ、瑞陵高校の作品「OZONE」が非常に優れていて面白かったのでどうなるかとは思いましたが、
結局私達の作品とその高校の二つが優秀賞をとりました。

映像がよかったのと音楽(部長が選曲)が非常にマッチしていたのが評価されたようです。
ではまた…
2006年2月11日(土)今週は火曜が高校入試の為休みだったので、友人とともに樽見鉄道に乗ってきました。
いつの間にか沿線市町村が合併して本巣市が誕生していた…

樽見駅付近はやはり雪が結構あったな…

他には美濃赤坂支線や近鉄養老線全線を乗ったりしてなかなか充実した旅になりました。
これらの様子もそのうち旅行記にアップしたいです…

しかしもう受験生なので時間に制約が…(-_-;
2006年3月13日(月)今日で期末テストが終わりました。
もう高校二年もそろそろ終わりです。
長いようで短い一年だったなぁ…
2006年4月9日(日)とうとう高校三年生(=受験生)になってしまいました…
このページは可能な限り更新していきますが、更新の頻度は落ちると思います…
どうか寛大な心で接してやってください(^_^;)

そういえば桃花台線が9月限りで廃止になるそうで…
小牧につながず高蔵寺に繋いでいればよかったものをもったいない…
暇を見てちょちょいと乗りに行きたいと考えていますが……
2006年4月22日(土)とうとう北海道ちほく高原鉄道が廃止になってしまいました…(T_T)
昔からの憧れの路線で、いつかは乗って見たいと思っただけに残念です。
そして11月には神岡鉄道も廃止に……

まだまだ廃線ラッシュは続くようで…

この間車雑誌を友人が読んでいたので試しに読んだら、その副編集長の言葉が載っていた。
「私は切符の買い方も知らなければ列車に乗ったこともない。」
この人は16でオート三輪の免許を取り、それ以来列車に乗っていないそうです。
まあ趣味の問題だといえばそれまでだがなんか寂しい……

鉄道ファンと車ファンは前者は「ダサい・きもい」と言われるが、後者には「かっこよさ」が漂う。
(そりゃカトゥーンみたいな奴等がキハ58に乗ってるよりはBMW・Z4に乗ってたほうがかっこ
いいのはほぼ事実だが…)
なんとか彼ら(車ファン)と共存したいものです。
鉄道ジャーナルがカーグラフィックあたりと合同でなんか書かないかな…
2006年5月7日(日)ゴールデンウィーク最終日。
今年はどこへも行かず塾や模試や学校のレク大会で過ごしました…
塾はなんか友人同士で騒ぐグループ(←主に女子)とそうでない個々の方々でなんか二極化
してるっぽい…(私はそのどちらにも属さないマージナルマン(境界人)らしい…?)
この間入ってきたような若いのが、30ぺージぐらいの数学の問題集を忙しい先生に向かって
「これ一日で採点して」とか生意気言ってたり、一部の生徒が先生の写メとってたりとかもうなんだ
かいろいろです(^_^;)
来年は何処かに行ける身分になっていたいなぁ……

桃花台線は五月末の模試後に友人とちょろちょろっと乗ってくることにしました。
この模様はできれば載せたいです…
ではでは
2006年7月14日(金)最近暑くなってきました。街を歩くと体がオーブンで焼かれているみたいです。

今年の夏は受験なので勉強漬けで終わりそうです。
京都に近鉄で大学見に行ったりするのが唯一の旅行みたいなもんです。
HPも多分あまり開けないと思います。ていうか最近ページの立ち上がりが
遅くなりました。なぜだろう……
2006年8月11日(金)こんばんは。
久々の更新です。
最近塾が忙しくて……
先日京都に大学見学行ってきました。            
盆地なので暑く(でも実は名古屋と変わらなかったりする)、寺の一つも見学せず
スタバでたむろして高速バスで二時間半(\2000)かけて帰ってきました。
ちなみに行きは新幹線のぞみで37分(\5000強。正直学校行くより近い汗)
せっかくの京都なのに昼食は松屋(味噌汁が白味噌だった)だったし…
まあ友人と騒げていい気晴らしになったからいいんですが(^_^;)

大学自体は私立なんで綺麗でした。周りの見学者のほとんどは関西弁でしたが…
(県外受験者もけっこういるはずなんだが…)

思えば受験までもう半年…
これからがもっと大変になるだろうなぁ……
2006年9月25日(月)一昨日、昨日と文化祭でした。
今年は部活では鉄道模型の展示をしたのですが、人手が足らず大変でした。
しかし小さい子たちには世話が焼けるなあ…
来年は後輩たちにがんばってほしいです。
2006年12月16日(土)いつの間にか受験本番まで一ヶ月…
早いものです。
浪人はしない方針なので、第一志望に向けて全力で行きたいと思います。

更新が滞りますが御容赦ください。
2007年2月12日(月)お久しぶりです。
今日は東京から受験(中央・法)して帰ってきました。

そして……が
センター利用入試の結果を見ると…
受かってました(^−^)/

ありがとうございました
2007年4月15日(日)久しぶりです
四月より東京にて新生活をスタートさせました。
突然ですが今、このホームページのリニューアルを考えています。
最近ページが開きづらくなったので…
2007年5月15日(火)HPリニューアルは特に必要なくなりました。
ページが開きづらいのは実家のPCのみだったようで…

4・30に江ノ島電鉄、5・13に箱根登山鉄道&ロマンスカーと最近鉄道づいています。
これも鉄道研究会に入会したおかげですが(笑)
今度は京浜急行行けるみたいなんでそれも楽しみです。
赤い電車とこちらでは呼ばれているようですが、本家は 名鉄 なのでそこのところ誤解の無いように…

現在卒業旅行の旅行記を執筆中です。一週間くらいで完成させたいですね。
ではまた…
2007年6月18日(火)最近更新さぼってすいません...
MIXIなんかやり始めるとつい…(^_^;)

トップの写真は京浜急行の工場見学に行ったときのものです
関東私鉄もだんだん乗りつぶしていくつもりなんで、乞うご期待!
2007年9月5日(水)どうも。
現在映画研究会の合宿で大島に行った時のことを書いています。
あと卒業旅行記も秋のうちにまとめ上げる予定ですのでよろしくm(__)m
2007年10月21日(日)どうも
大学の鉄研部員の方がどうやら見ていて下さってるらしいので、がんばって更新していきます。
卒業旅行記はようやく水戸に到達する感じです…(^_^;)
遅筆ですいませんm(__)m
2008年3月15日(土)どうも。
とりあえすこのHPがまだ生きている証拠に日記でも書きます。

近況報告ですが、鉄研を辞めました
人間関係と忙しさが主な原因ですか。
よくよく考えたら知ってる交通研の先輩や同級生で大学でも鉄研続けてるのは二人ばかりしかいないです。
二人とも東西横綱的な所に在籍していて凄いですが…

ええ、旅行記ですね
書く暇も意欲もないです(^_^;)
できれば春休み中に一本なにか書きたいですが…
てか卒業旅行記はもう記憶があまり残ってません
なので進まない可能性が高いかと…ご容赦をm(__)m
2008年7月4日(土) お久しぶりです。
暑くなってきましたね〜

この日記を書こうとしたところにNHKの集金員が来ました。

ええ、払いましたとも(‐_-;)

NHK思いっきりみてるし〜テレビあるし〜

集金員がむさい男だったら追い返してましたけど、手ごわそうな女教師風の女性でしたからね…(^_^;)

学割きかせて年間一万円弱…と


さてはて、なんの話題を書こうとしてたんだっけなぁ……

あ、名鉄がダイヤ改正しましたね〜
西尾線複線化&駅増設…
トヨタパワーですね、さすが三河のあの地域は工場が乱立してるだけあって凄い…

パノラマカー大幅減便で、名鉄HPには引退特集が組まれ始めましたね
今度帰省したら確実に乗らなきゃな〜
あと犬山のモノレール線も(笑)
2009年6月15日(月)この日記を更新するのは久々ですね。

三年になりましたが、昨年から今まで色々ありました。
部長選、新歓での取り返しのつかない失敗、有能な後輩の喪失…
結果的にいろいろと学ばされましたm(__)m

今一年、二年の時の行動を振り返ると恥ずかしい限り

世の不合理さをかみしめたかと思うと、人の温かさに触れるとか

こういう過程を経て丸くなっていけたらな…と思います。

だいぶ理想と離れた生活を送っていますが…………

あと鉄研に復帰しました。
メンバーの寛大さ、温かさにはほんと、感謝してもしきれないくらいですm(__)m
2009年9月11日(金)私はどうも、自分の立場をよく理解していなかったようです。
やはり守るべき本分、責務というのがあるのです。

我は我が咎を知る。我が罪は常に我が前にあり −旧約聖書 詩篇51編ー
2009年9月16日(水)↑ご心配おかけしました。

ちょっと聖書にかぶれて、「三四郎」で有名なこの文を使ってみたかったんで…

まあでもちょっと自分の来し方や行動を反省してるのは事実ですわ(^_^;)
もっとよく考えて動かねばな……
あとは緊張を抜かないとね
男子校から出てもう二年以上経つんだからさっ!

まあそんな簡単にできはしないけど。

ていうかみんな優しいんだよね。なんか凄く気を使ってもらってると感じる時がある
あまり気を使わせない、気さくな感じで行きたいんだけどねー
2009年10月7日(水)とりあえずは。

前期をもって鉄研を退会しました。
休会とかいう中途半端なのではなく、「退会」です。
思い出さないようにと個人情報保護の観点から部員名簿も返納しました。

三つ上の日記で「復帰しました」とかなんとか書いときながらまたこうなるのも、人としてどうなんだろう、という気もしますが…

そもそも1年で辞めた時は、復帰など念頭に無かったので、紆余曲折を経ながらも落ち着くところに落ち着いた、という感じもします。

私にとっての鉄研は、もはや高校の時の交通研究同好会だけなのかもしれません。

寝耳に水の話で、快く思わない方もいらっしゃるでしょうが、勝手お許しいただきたい。

そして映研の方々には、中途半端なところで職分を放り出し、祭にも関与せず、なかなか無責任な部分を曝け出したことをお詫びしたい。
今後は可能な限り職責を全うする所存である。
もっとも出しゃばらず、後輩を信頼し、昔のような口うるさく不寛容な私は捨て去るつもりではあるが。
2009年12月10日(木)こんばんは。
一ヶ月半くらい前に21になりました管理人です。

このホームページもなんだかんだ続いてますね。
旅行記は相変わらず筆が遅くてすみません…
夏に出雲に行き、今冬は消えゆく寝台特急を追って陸奥再訪&函館初訪問の可能性があります。もっとも上の遅筆が原因で、この旅行記が書けるかどうかすら危ういですが…(^_^;)

もう将来のことに向けて本格的に動かねばならぬ年になりました。
最近、半週遅れの勉強をなんとかかんとかやっています。
しかし相手は大きいです…法曹になるのはやっぱり大変です。
中学の頃はというか昔から警察に憧れていましたが、実情を知るとやはり法曹界に軍配が上がりますね。

あとは資格を取って見返してやりたいという下世話な気持ちも作用していますが…

というわけで、このHPもまた受験期のように更新が滞るかもしれませんが、ご容赦ください。

ではまた…
2010年2月19日(金) お久しぶりです。
とうとう2010年を迎えましたね。遅ればせながら本年もよろしくお願いします。


で、ひさびさの日記更新ですが、今月4日に中大鉄研さんの方の総会で正式に退会が承認されました。
その際退会理由としてお話しした内容をmixiでまとめたものを、こちらにも掲載しておこうと思います。


「私は鉄道好きな人のうち、良い趣味人を「ファン」、粗野で自分勝手な連中のことを「オタク」と使い分けています。

最近は残念ながら「オタク」の方が増えてきたような気がします。
低年齢化もなのかもしれませんが、悲しい限りです


一昨年北海道で、札幌〜釧路を結ぶ夜行特急「まりも」号が廃止されると発表された時のことです。
JR北海道は昨今増えたファン向け、長年の利用者向けに廃止前の車内で記念乗車証を配布したそうです。
この乗車証、乗りさえすれば手に入るのですが、「オタク」諸君はどういう行動に出たかというと…


始発の札幌駅で大挙して自由席車両に乗り込み、次の新札幌で手に乗車証を持ちながらどやどや降りて行ったとか


彼らは廃止を惜しんでいるのか、ただコレクションのために手に入れるべく乗ったのか…後者だとしたらもはや廃止列車に対する冒涜でしかないように思います。

以上の話は撮影で北海道を訪れたファンの友人の体験談(彼は全区間乗り通した)ですが、この話を聞いたとき私は彼らの行動に呆れる他ありませんでした。


最近あった「鉄道ブーム」の火付け役の一つに「鉄子の旅」という漫画があるのですが、この中にYという鉄道オタクが登場します。
私はこの漫画を友人から借りて読破したのですが、数話読むだけで彼の事が嫌いになりました。彼は作中、なかなかの「オタク」ぶりを発揮するのですが、その振る舞いたるや、彼と同じ趣味でいることが嫌になるくらいの凄まじさでした。それを借りた友人に話すと「同族嫌悪だな」という反応が返ってきて憤懣遣る方ない思いを味わいましたがw

私は今まで旅行者の一人として、地方に乗りに出かけたとしても、あくまで抑制を効かせて、その行き先で鉄道がいかに社会に溶け込み、機能しているかを楽しむようにしていました。作家の宮脇俊三氏の影響があったんだと思います。だからかどうかわかりませんが、復帰後、人数が倍増した部のツアーに参加した時は、なんだか落ち着かなかったです。
普段は人がいないはずの昼間の列車に、20人以上の「ファン」達がいて、その部分だけ「非日常」と化していたからだと思います。


団塊の世代の参入、鉄道ファンの低年齢化、昨今の鉄道ブーム、鉄道オタクを公然と前面に押し出して行動する方々の登場などで、鉄道趣味も雰囲気が大分変わってきました。
鉄道各社も次々とファン向けの施策を打ち出し、気動車の色を国鉄時代のものに塗り替えるなど昔では到底考えられなかったサービスがどんどん出てきました。

その反面、日常のなかの鉄道というんでしょうか、そういう面が見えにくくなってきまして。

旅行雑誌なのに鉄道の記事がやたら多かったJTBの「旅」の休刊、好きだった鉄道ジャーナル社「旅と鉄道」の休刊、そして鉄道を社会的見地から捉える専門誌「鉄道ジャーナル」の部数減はこうした動きを象徴するかのようです。
私のような楽しみ方をするお堅い人間は、つまり少数になりつつあるということでしょうか?

鉄道ダイヤ情報が、鉄道アイドルとやらを引っ張り出して、鉄道車両の横でコスプレさせポーズをとらせたグラビアを載せているのを読んだとき、「ブルータスよお前もか」というような気持ちになったものです(安い車情報誌や銃専門誌の一部、低俗ミリタリ誌は昔から売れないグラビアアイドルをコスプレさせたグラビアを載せていた。)。
これは数年前から読者投稿のページに萌え絵が氾濫している時点で気付くべきだったのかもしれませんねw

あとこれは2chの影響が大きいのかもしれませんが、もはや鉄道業界の専門用語ですらない言葉で会話する方々にはついていけません…

鉄道趣味というのは「趣味」というからには、あくまで付随的なもののように思います。先の宮脇さんは、中央公論社で常務取締役まで勤め上げ、北杜夫氏など有名作家の編集者としても活躍し、出版界では名を知られた方でした。ジャンルがずいぶん飛びますが、人気ロックバンド「くるり」の岸田さんは鉄道ファンとして各種番組に出ていますが、音楽活動の方もきちんとこなし、今までに80万枚のセールスを記録しているそうです。
冒頭の牛田さん(編注:2月2日放送のNHK番組『プロフェッショナル 仕事の流儀「サラリーマンは、スジを通せ〜牛田貢平〜」』に出演した東京メトロ鉄道本部運転部輸送課主任、“スジ屋”、牛田貢平氏の事)は趣味を仕事にした方ですが、その活かし方は職人の域で、こういう生き方は幸せだろうな…と思わせるような感じです。

最近は主客転倒というんでしょうか、見ていて何か違和感を感じることも多くなってます。

もちろん大多数の普通の鉄道趣味者は本業の陰でひっそりと鉄道を楽しんでいることでしょう。
しかし最近のこの業界の動きは、私には呼応しきれない部分が増えてきました。

兄が私の鉄道趣味を指して「一生続けられる趣味があっていいなぁ」と漏らしたことがありました。それくらい鉄道趣味というのは、格調がある物のように思いこんできました。しかしそれはどうやら私の思い込みに過ぎなかったようです。
私が鉄道趣味を完全に捨てることはまずありませんが、今までほどの情熱を持って打ち込むことはなくなるでしょう…

フリーの身で、ふらふら気ままに、鉄道旅行をして、新たな趣味となった(昔から好きだったけど)映画や、本や、アートも一緒に楽しんでいこうと思います。」
2010年3月27日(土)最近というか以前から、夜寝付きが悪くて困っている。

布団に入ると、いろいろ考え込んでしまうからだ。

特に昔のことや、自分が起こした間違い、失敗を悔やみ、「ああすべきだった」などと回顧しているうちにどうにも辛くなってくる…

図太い神経でも持っていれば、いろいろくよくよ悩まずに綺麗さっぱり過去の失敗など忘れてすっきり眠られるのだろうが、なにかそういう済まし方をしてはいけないのでは、という考えがそれを邪魔する

そもそも私は過去の様々な失敗に対して、きちんとけじめをつけずに逃げてきたような気がする。
先輩や同輩や後輩に迷惑をかけ、かなりの面フォローされたのに、なぜ面と向かって礼や詫びを言わなかったのだろうか。

なぜ逃げ出すようなことをして、それでいてまた戻るという行動が取れたのか。
その過程でなぜ別の組織をかき乱すような馬鹿なことをしたのか。
昨年までの私の起こしてきた出来事は、積もり積もって引責辞任レベルだろう。なのに私は今日まで居座り続けている。

そもそも中学、高校時代に私は周りから、方法はどうあれその言動を注意されてきたのだった。
なぜもっと、その時謙虚に耳を傾けなかったのだろうか。
あの頃は「自分に義があるんだ」などと思い込んで、その忠告に全く耳を貸さないばかりか、反発さえしていた。なんという救いようのないバカなのだ…

私は自分のことを、卑下しながらも心の底では「まともできちんとした人間」だと思い込んでいた。

だがそれは誤りであった。
集団の中では、むしろ鼻つまみ者になりやすいタイプの一員でさえある気がする…
おまけに健全な異性関係の形成がへたくそ、ときてる。
(もっともこれは中学時代からの隔離政策によるところが大きいのかもしれないが)

こんなに弱い人間になるとは思いもしなかった。
まあ、それがわかっただけでもこの学生生活には意義があったのかもしれないな。


それとも私は周囲の人間の言質を気にしすぎなのかね…

またこうして書いた事が明るみに出れば、もうあきれられて周囲は私の話をまともに取り合わなくなる可能性もあるのに、私は書かずにはいられない。書くことは私にとって最高のストレス解消になるからだ。



…穿った見方をすると、HPなど公衆に触れる可能性のある場所にこういう事を吐露するのは、「そんなことないよ。」と温かい言葉をかけられて甘やかされるのを実は望んでいるから、とも思えるがな。

面倒くさい人間への第一歩だ、おめでとう\(^o^)/

あーあぁ…潔くカウンセリングに行くべきかね…

(´・ω・`)…
2010年4月6日(火)四月になった。何か改善するだろうと根拠のない考えを持っていたが今のところ現状に特に変わりはない。緩やかにあまり良くない方向に転がっているのかもしれないが。

旅行記を更新した。なんか文章を書く力が落ちた気がする。

最近読んだ夏目漱石の文章で、うむむ…と考えさせる個所があったので以下に掲載してみる。
出典は「硝子戸の中」(新潮文庫)である。


 『世の中に住む人間の一人(いちにん)として、私は全く孤立して生存する訳に行かない。自然他(ひと)と交渉の必要がどこからか起ってくる。時候の挨拶(あいさつ)、用談、それからもっと込(こ)み入(い)った懸合(かけあい)——これらから脱却する事は、いかに枯淡な生活を送っている私にもむずかしいのである。
 私は何でも他(ひと)のいう事を真(ま)に受けて、すべて正面から彼らの言語動作を解釈すべきものだろうか。もし私が持って生れたこの単純な性情に自己を託して顧(かえり)みないとすると、時々飛んでもない人から騙(だま)される事があるだろう。その結果蔭(かげ)で馬鹿にされたり、冷評(ひや)かされたりする。極端な場合には、自分の面前でさえ忍ぶべからざる侮辱を受けないとも限らない。
 それでは他はみな擦(す)れ枯(か)らしの嘘吐(うそつき)ばかりと思って、始めから相手の言葉に耳も借(か)さず、心も傾(かたむ)けず、或時はその裏面に潜(ひそ)んでいるらしい反対の意味だけを胸に収めて、それで賢(かしこ)い人だと自分を批評し、またそこに安住の地を見出し得るだろうか。
そうすると私は人を誤解しないとも限らない。その上恐るべき過失を犯す覚悟を、初手(しょて)から仮定して、かからなければならない。或時は必然の結果として、罪のない他を侮辱するくらいの厚顔を準備しておかなければ、事が困難になる。
 もし私の態度をこの両面のどっちかに片づけようとすると、私の心にまた一種の苦悶(くもん)が起る。
私は悪い人を信じたくない。それからまた善(よ)い人を少しでも傷(きずつ)けたくない。そうして私の前に現われて来る人は、ことごとく悪人でもなければ、またみんな善人とも思えない。すると私の態度も相手しだいでいろいろに変って行かなければならないのである。
 この変化は誰にでも必要で、また誰でも実行している事だろうと思うが、それがはたして相手にぴたりと合って寸分間違のない微妙な特殊な線の上をあぶなげもなく歩いているだろうか。私の大いなる疑問は常にそこに蟠(わだか)まっている。
 私の僻(ひがみ)を別にして、私は過去において、多くの人から馬鹿にされたという苦(にが)い記憶をもっている。同時に、先方の云う事や為(す)る事を、わざと平たく取らずに、暗(あん)にその人の品性に恥を掻(か)かしたと同じような解釈をした経験もたくさんありはしまいかと思う。
 他(ひと)に対する私の態度はまず今までの私の経験から来る。それから前後の関係と四囲の状況から出る。最後に、曖昧(あいまい)な言葉ではあるが、私が天から授かった直覚が何分か働らく。そうして、相手に馬鹿にされたり、また相手を馬鹿にしたり、稀(まれ)には相手に彼相当な待遇を与えたりしている。
 然し今までの経験というものは、広いようで、その実(じつ)はなはだ狭い。ある社会の一部分で、何度となく繰り返された経験を、他の一部分へ持って行くと、まるで通用しない事が多い。前後の関係とか四囲の状況とか云ったところで、千差万別なのだから、その応用の区域が限られているばかりか、その実千差万別に思慮を廻(めぐ)らさなければ役に立たなくなる。しかもそれを廻らす時間も、材料も充分給与されていない場合が多い。
 それで私はともすると事実あるのだか、またないのだか解らない、極(きわ)めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる。そうして私の直覚がはたして当ったか当らないか、要するに客観的事実によって、それを確(たしか)める機会をもたない事が多い。そこにまた私の疑いが始終(しじゅう)靄(もや)のようにかかって、私の心を苦しめている。
 もし世の中に全知全能(ぜんちぜんのう)の神があるならば、私はその神の前に跪(ひざま)ずいて、私に毫髪(ごうはつ)の疑(うたがい)を挟(さしはさ)む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶(くもん)から解脱(げだつ)せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹(れいろうとうてつ)な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙(だま)されるか、あるいは疑い深くて人を容(い)れる事ができないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充(み)ちている。もしそれが生涯(しょうがい)つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。』

青空文庫より、夏目漱石「硝子戸の中」をルビ等で一部改
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/760_14940.html

ふー…
目先のことから単に逃げてるだけなのかねぇ…
2010年4月7日(水)今朝の新聞に、ある僧侶の言葉が載っていた。

彼によれば、「失敗やストレスの大半は余計な考えこと」から来ているそうだ。

なるほど確かにそういう感じがする。↑の私の文章を見るまでもなくわかるなw

だから、心を空っぽにするのが重要らしい。
瞑想が一番いいそうだが(さすが僧侶)、なかなか普段の生活でそれはできないので、代わりに五感を研ぎ澄ませるとよい、とあった。要は自分を客観視すれば、怒りその他も鎮まるだろうとの由。

ふむふむ、と思ったが、私の場合自分を客観視するとまた自己嫌悪になり、余計に気分が落ち込むような気がしてならないが、どうなんだろう?

それともこう考える時点で既に、その僧侶からすれば「考え」過ぎなのかもしれないな。


しかし夜書いた手紙は朝読み返せとはよく言ったものだ。上の文章の何たることか…

穴があったら入りたいorz
2010年5月28日(金)今見ている森見登美彦氏原作のアニメ、「四畳半神話大系」のキャンペーンに応募するために、トップページにバナーを張ってみました。

しかしひさびさにHTML表示を見たぞw

抽選でプレゼントがもらえるそうで…当たるといいな
2010年8月3日(火) お久しぶりでございます。

とりあえず元気です。

大学の方は、学業に関して言えば後期も2単位分くらいは頑張らなきゃいけなさそうなこと以外は、特記事項なしです。

他は…まあ実は交友関係が狭かったことに気付いたくらいっすかねー

これ以上書こうとすると上の日記みたいになるんで自重しますw

このHPはmixiからのリンクは消してあるんですが、映研部員の何人かは存在知ってますからねーwww

しかし四年になると老人のように昔(つっても2〜3年前w)を思い起こしてはボヤーっとすることが増えました。もう末期ですね。

ともかく来年からの行き場が欲しい管理人でしたノシ

気力があったら夏休み中に旅行記まがいの物を書きますんで
2010年10月14日(木) お久しぶりです。
今日は鉄道の日ですね。

現在、10月初めに訪問した千葉県の旅行記を誠意執筆中です。

旅行行ける位余裕とはもしや…と思われるかもしれませんが、院試の方はなかなか芳しくありません…

とりあえず法科大学院上位5つ受けましたが壊滅しました。玉砕ですorz

エンドレス院試になりそうですw
何とか年末までにはけりをつけたい……


ちなみに院試以外では特にこれといった進展はありません。
ということは好転していないとも言いかえられますか…
しかし、集団の友好のためには、たとえ私を騙して利用した男とも酒を酌み交わさにゃならんのでしょうかねぇ…
みんな心に何か抱えながらも、上辺はともかく仲良くするのが大人なのでしょうか?
それとも「OO君は苦手(嫌)だけどXXさんや@@君が来るならまあいいか」と折り合いをつけるのでしょうか?
私がもしそんなに出来た男だったなら、今はもっと違う生き方をしているはずですよ...



もう一年前には戻れない。全て変わってしまったよ。
なぜあんな男と仲良くしたのか。信用していろいろ話した俺がバカだったよ。

なぜあの子を好きになってしまったのか。ああそうさ、彼女は大人で、誰にでも優しかったんだ。


生活圏が被っているから仕方ないのかもしれないが、もう2人でいるところに遭遇したくない。なぜわざわざ私の嫌いなのとひっつくんだろうか。結局そういう人だったんですか??もう2人のいる予備校に行くことすら辛い。まるで手に入れた外車ひけらかすみてぇにいちゃつくんじゃねえよくそったれ



ここのHPは大学では広まってないから、少しプライベートに関することを書いた。
書くことはある種のカタルシス効果をもたらすはずだ。

しかしすぐこうやって病むとは、まだまだ甘いですかね、俺は…
2010年10月26日(火)今日は誕生日でした

サークルの4年会と重なったので、みんなからお祝いしてもらえて楽しかったです。
幸せを感じました。

前部長と4年の方々、プレゼント( 誰とでも 15分以上 会話がとぎれない!話し方 66のルール すばる社刊)ありがとうございます。よく読んで精進します(笑)
それから22周年の寄せ書き風イラスト集が作られているようで、これは楽しみですw


この一年はいろいろなことがありました。

かつて冷戦時代に、西側へ亡命した東側の人はこういうカルチャーショックを体験したんだろうなー、っていうくらい物の見方とかが変わりました。

まあ端的に言えば、人を簡単に信用し過ぎるな、仲良くなる相手と好きになる相手は良く考えて選べ、ってことですかね。

それからロースクールお考えの方。
3年の後半とかに「未修でいいや」と楽な?方向に逃げない方がいいと思います。私の二の舞になります。法律の勉強は多難を極めとても辛いですが、辛い分得るものは必ずあると思います。ちゃんと努力を見てくれる人はどこかにいるもんです。

あと、ポフという怪しげで楽しい集団に出会えたのは大きな収穫だったと思います。これは単につるんでいるだけの集団ではなく、互いを高めあう事が出来る集団なので高く評価しています。
団員の皆様は今後ともよろしく。
今度は旅行ですかのうwww

大学での生活も残り少ないですが、嫌な事は忘れて気持ちよく卒業できるよう頑張ります。

(mixi日記一部改編の上引用)
2010年11月1日(月)最近、とうとう「けいおん!」を観始めた。

萌えアニメを嫌悪していた高校時代の私が見たら卒倒するに違いない。

ダークサイドに墜ちたとでも自嘲気味に表現しておこうか…
人物の描き方があまり現実離れしていない(髪の色とか体型とか)から観れるのかもw

…ちなみに好きなキャラは律ちゃんと和ちゃん(^_^;)
2010年12月27日(月)どうも。

最近は「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」を観終えた管理人です。
アニヲタ化は確実に重症になっきていますw
カラオケでは後輩たちと共に「ふわふわ時間」とかをノリノリで歌いましたし(^q^)


とまあそういう意味での近況報告はさておき。


進路ですが


中堅ローと中大院(公共政策)から合格通知をいただきました。(阪市と法政jはだめだった…orz)

前者に行けば法曹になれる可能性はあるもののかなり大変(合格率10%)、後者に行けば公務員確定、となかなか選択を迷いました。

しかしやはり法曹になりたい気持ちが強いので、恐らく前者を選択することになると思います。

というわけで来年から数年間、まだ東京在住になりそうです(^_^;)

4年越しの都心居住の夢がかなうわけです。大変なのかな….
2011年1月17日(月)みなさま、あけましておめでとうございます。
今年もこのHPをよろしくお願いしますm(__)m

さて、↑の日記で東京在住とか書いていましたが、奇跡が起こったので変更します。


大阪に住みます。


金曜の朝、電話で起こされかけてきた番号をみると06の市外局番が…


なんと大阪市立大のローの追加合格の連絡でした!!!

自分でも信じられないです。しかし、決まったからには頑張ります!

いざ西方へ…んではノシ
2011年6月19日(日)ここへ日記を書くのは久しぶりだ。
mixiでもついこの間、2か月ぶりに本当の意味での日記を書いたので、それだけこの期間は余裕がなかったのかもしれない。

ロースクールは予想以上に忙しく、かつ予想よりもあまりスリリングではなかった。
鉄道ヲタクはおらず、映画ファンもあまりいない。美術?法律で頭がいっぱいの彼らがどうしたらそんな小難しいことに手を出せるだろうか。

場所柄仕方ないのだろうが、関西在住あるいは育ちの人間がほとんどを占めている。幸いにして疎外されることはなかったが。

未修クラスのはずなのに既習(上位校)をわざわざ蹴ってきた人間が三人もいたことには驚いたが(さらにそのうち二人はまた他のロースクールへ入りなおすべく適性試験を受けなおした。この適性試験の出願は四月下旬から五月初めである。これ以上書かなくても私が彼らに何らかの感情を抱くのは推測しうるだろう…)


さて、これ以上書き連ねても愚痴にしかならないし、私にはそもそも報告すべきことがある。
このHPは私の親友2人が主に定期的にチェックしてくれているようなので、ここに書けば伝わるだろうという予想の元、書く。


今から約1か月半前のことだが、私が物心ついたときからの念願がかなった。


いわゆる「恋人」が出来たのである。


いざ出来てみると、楽しくもあるが大変でもある。でもまたその大変が楽しくもある。

詳しくはまた飲食の場を設けて報告したいが、ともかく関西在住の君らには伝えておきたかった。メールという直接的手段よりはこちらのほうがよいのだと信じて。
報告が遅くなったことを詫びつつ、今日はこれで失礼m(__)m
2011年9月19日(月)このHPも院に入学して以来、更新速度がめっきり落ちた。
それでも保ち続けるのは、意地と、このHPが良い具合に愚痴の吐き出し場になりうるから、である。

…と書くとここからまた数十行にもわたる愚痴の書き連ねが始まりそうだが今回は残念ながらそうではない。
成績も中の上ということが判明し、院にいる一部のクソ野郎についても放置プレイをかませるだけの精神的余裕はまだあるからだ。
後期始まるとどうなるかわからないけども。

そういえばポフ旅行記を書いているとどこかで告知したが、未だに鬼怒川温泉到着時で筆が固まっている。卒業旅行記の二の舞になりそうで、関係者の方々には申し訳ない…

そして未完の旅行記を放っておいて夏休み中に4日滞在した東京での旅行記的なものを書きだしかねない最近の私。

しかし文章力も、文章に注げる知力体力も減じているので、三月に一度この日記を更新するだけで終わりそうだなぁ…ああ悲しい。
ちなみになぜ三カ月に一度なのかと言うと、確か(今はもう違うのかもしれないが)三ヶ月間何の更新もないとレンタルサーバーの利用を止められるとかなんとかの制約があったからである。


夏休みもあと10日ほどで終わる。
早いとこネット中毒状態を治癒して、後期授業への臨戦態勢を作らねば…
2012年3月12日(月)どうも。気づいたら年が明けてますね(汗)

↑に書いた鬼怒川旅行記は無事書きあげました。
風邪をひいて休んだ日に、暇つぶしに書きましたが、これはいいストレス解消になりました。
やはり私は文章を書かないと体調が悪くなるようです。あ、法律文章は除きますが(笑)


ネット中毒状態は少しマシになりましたが相変わらずです。
新規導入のIPADもそれに拍車をかけております。

そろそろカウンセリングか何かに行くべきなのかな?



ちなみに今回の更新は大学時代の思い出です。卒業して気づいたらもう一年です。
関西にはようやく慣れてきました。慣れれば東京に比べて出費が少なく快適な生活を送れるのでいい街ですね。相変わらず品はありませんが(除く京奈神)。

ま、名古屋もそんなお上品な町ではなかったし、ここで私が出生していたらこの街にずっといつづけたのかもなぁ。そこまで周囲の関西人は関西に愛着を持っとりますわ。

あ、ですます調が崩れてきた。この辺で辞めておこう。
激しい文章は別の機会に、ということでノシ
2012年5月31日(木)米澤穂信の小説「氷菓」がアニメ化された。
原作がきちんとしているためか観ていて面白い。古典部シリーズとして五巻まで出ているそうだが、原作を手に取ろうかと思わせる出来栄えである。

この作品の登場人物の一人である福部里志はこんなことを言う。

「僕はデータベースだからね。結論は出せないよ。」

データベースとは何であろうか。この福部は、作中、さまざまな物事に精通しているいわゆるwalking dictionary(生き字引)だと描かれている。
彼の情報をもとに、普段は“省エネ主義”を信奉し大人しく生きる主人公、折木奉太郎が持ち前の頭の回転の良さを生かして謎を解き明かしていく、というのが作中で描かれる見どころの一つであるが、私が注目したのは福部の上のセリフである。

データベース、つまり物知りは、集団が一つあるとすればそこに必ず1人はいるであろう人間である。
そうした人間は大抵、複数の分野に通じていて、ある1つの分野に関しては特に深く知識を持つこともある。「なんでそんなことまで知っているんだ」と言われることも多いだろう。高校を卒業するまでの段階であれば、そうした人間が「頭がいい」と扱われることも珍しくは無い。
しかし物知りには、知らない事には全く対応できないという弱点が存在する。
博覧強記と呼ばれるレベルにまで高めれば、その弱点が露呈することも少なくないだろう。
しかし未知の事案に対して対応しなければならない、という思考能力が試される状態に放り込まれたとして、そのデータベースはどこまで対応できるのか。過去に類似する事案があり、それを知っていればなんとかすることも可能だろう。だがそこは悲しいかなデータベース、そうした過去の類似事案がなければ上述のセリフ通り「結論は出せない」のだ。

昔はそれでも許容されただろう。教育も詰め込み重視で行われ、そうした物知りを養成するような制度があり、物知りは社会で重宝された。

では時代が進んでどうなったか。コンピューターが導入され、そこに情報の蓄積が始まった時点で、物知りの時代は幕を閉じた。

しかし、コンピューターがまだ普及していない段階ではまだこの事実は顕在化しなかった。

情報端末の高速化・大容量化・小型化が進行し、私がこの文章を書いている現代では、手のひらサイズで高速情報通信網に接続できる端末が普及した為に、物知りはとうとう死に追いやられるのである。


現代に求められる人材とは何か。思考能力の高い、引き合いに出したアニメのなかでいえば折木のような人間だろう。
物知りにも、もちろんチャンスがないわけではない。彼ら彼女らはもともと物知りになる分だけあって、記憶力はずば抜けて高いと思われる。それに付随して思考能力を身につければ、自分たちの存在意義を奪ったコンピューターを難なく追い越せるだろう。

では思考能力を記憶力で補ってきたような物知りはどうすればよいのだろうか。
博覧強記になれなかった時、コンピューターによってその存在場所を無くすのではないか。
幸いインターネット空間では情報過多によりしだいに選別がかけられ、情報の均一化が起こっている。探しても、辿り着く情報は中身が一緒というわけだ。

ここに、ネットに漂わない情報を身につけて優位性を保とう、という解決策が生まれる。
しかし果たせるかな、ネットの均一情報だけでもその量は膨大である。

端末は電気がなければ動かないではないか、という指摘もありうるだろう。
しかしGDP世界第3位のこの国で、電気が全くないという状況は果たして生まれるのか。
未曾有の災害時でさえ、発電機、充電器で端末は動き、ネット回線は衛星により死滅を逃れたのだから。


やはり白旗を上げるほかないのだろうか。
白旗を掲げたが最後、その者はどういう末路を迎えるか。
いやはや考えたくないものである。
2012年8月16日(木)お久しぶりです。
試験が終わり、軽いニート状態になっていますw


ロースクールは2年目ですが、新たに入ってきた既習組とはあまり仲良くできていないのが実情です。
そして未修の上位グループとは距離を感じる日々です。

ロースクールともなると、今までのような「友達」というのは出来にくくなるのかもしれませんね。
騙し合ったり、隠しごとしたり…

いじめが無いだけ他のロースクールよりはマシな状況ですが。

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さて、去年の誕生日、私は 中島義道「人生に生きる価値は無い」 というのをプレゼントされた。
これを贈ってきた三人組は中身を読みもせずタイトルのインパクトだけで選んだそうだが、これが強烈な皮肉がちりばめられたなかなか面白い本だった。途中から読むとイライラするようになる部分が出てきたので、読むのを止めてしまったのだが、途中まではとても興味深かった。
中でも一番痛いとこをつかれているな…と思ったのが以下の記述。

ひきこもりの青年を抱える親から、どうすればいいのかとの問いに対して、中島氏の述べる考え。

『ひきこもっている青年の多くは「普通」との戦いの現場にいる。世間は「普通」であることを要求するが、自分はそこから転落した惨敗者であることを認めざるをえない。ここで、自分の内にもっと強い力を認め「普通」をなぎ倒してしまえば、普通幻想は消える。だが、ひきこもっている青年にはそれができない。世間の普通の価値観を拒否できないからである。
 とすると、彼(女)にとって、救いは一つしかない。それは、世間の価値観に従って評価されることである。例えば、芥川賞の候補になるとか、司法試験に受かるとか、東大大学院に受かるとか、世間において誰もが承認する仕方で評価されれば、彼(女)はそれだけでひきこもりから抜け出せるのだ。私のにらむ所によると、こういう主要動機に駆られて文芸の新人賞に応募したり司法試験に挑む若者は少なくない。
 ひきこもっている者は、そっとしておいてほしいのだが、世間の価値観から抜け出すことができないから、世間がプラスの意味でそっとしておいてくれる場所を渇望するのだ。それは、精神病院でも監獄でもなく段ボールの中でもなく、芸術や文学や哲学の世界なのだ。作家や哲学者として認知されてしまえば、世間はそっとしておいてくれる。大体こういう想像空間における軌道を描いて、哲学や文学にしがみつこうとする若者は少なくない。
 いまさら、会社に入って、ニコニコ顔で、物を売り、金を稼ぐことなど出来るか!俺は、世間をとことん軽蔑して生きていきたいのだ!お前らは、みんな馬鹿だと言って生きていきたいのだ!どこまでも反社会的姿勢を貫きながら、そのこと自体が社会から認知され尊敬さえされる唯一の場所は、芸術であり文学であり哲学である。だが、これがうまく運ぶためには、「反社会的特権社会」において成功しなければならない。それは大変難しく、またこの社会で敗者になったら、あとはない。完全な敗残者になるだけである。それは恐ろしい。こうして、青年はずるずると勝負を引き延ばし、不戦敗を重ね、「どうしよう、どうしよう」と呟きながら、ひきこもっているのである。』
(『哲学と心の病』より 「人生に生きる価値は無い」所収(中島義道著。新潮文庫、2011、38〜39頁)

ロースクールには、多くの場合、生徒が「法律家になりたい」と希望してやってくる。
彼ら彼女らの動機は、パーソナルステートメントに従えば「企業法務で活躍したい」「刑事弁護人として被疑者被告人の権利を守りたい」「困っている人を助けたい」「正義感を生かす仕事に就きたい」とさまざまであろう。
しかし、根底には上記のようなひきこもりに至る主要動機が存在しているものも少なくないのではないか、と思う。
他を見下すのが好きで、プライドがとても高い人間というのは、ロースクールに一番多い人種なのではないか、というのはこの1年半在籍して感じたことである。

なぜ司法試験を目指す人と言うのはやっかいなのが多いのか、というのは学部時代からずっと疑問に思っていたのだが、この中島先生の記述を見て「なるほど」と納得し、また自分に照らし合わせて苦笑した次第である。
2012年10月18日(木)こんばんは。

学校は後期が始まりました。
私は部分的不勉強が祟ったのか、なんと授業を二つほど落としてしまいました。

周りから見れば今まで無傷で来たことが不思議らしいですが、なにはともあれ、とりあえず反省して粛々と学業に励「もうとする」日々です。

そこで、まず自主ゼミなるものに入りました。

司法試験的に優秀な人が今のところは引っ張っている感じですが、何とか追い付きたいもんです。

しかしこの試験は特定答案だのナンバリングだの、「お作法」が相変わらず多くて、肩が凝ります。

手書きの書面なんて今時流行らないのだから、パソコンの導入を真剣に考えてほしいものです。
まあ日本で一番後進的な業界かつ石より硬い頭をお持ちの方々が上にいる世界なので、まず無理でしょうが。
2012年12月15日(土)こんばんは。

もう冬ですな。

明日は衆院選の投票日と言うことで、なんだか世間は忙しないです。
私も一票を投じてきますが、メディアの読みに従えば、三年前まで政権を担っていた党が保守色を強めて復活するようです。

昔(高度経済成長期・ジャパンアズナンバーワンな頃)は今より明るかった、だからそのころが懐かしい、そんな頃に政権を担ったあの党なら…という懐古趣味なのか、はたまた直近三年の政治空転にこりごりしたのか、は分かりませんが、とにかくそういう流れができているようです。

私は安定を求めるので、そうした投票行動を理解できますが、元に戻す、ということに漠然とした不安も感じます。

いろいろ論じるのは明日の結果を見てからの方が適切だと思いますが、とにかく今回の選挙がこの国の「終わりの始まり」にならない事だけは願っています。
2012年12月17日(月)「法務博士という履歴書に書けない称号」 

とか、 

「法科大学院を卒業しても評価されない」 

といった類の話を、至極当然のことのように書いている人が多いのだが*17、この点については、現役法科大学院生のためにも、企業法務人として一言、 

「そんなことは全くないですから」 

と言っておきたい。 


http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20110131 「[法曹]故なき批判ではないと思う。だが・・・」より) 


私は今年の4月、院の実務家教員が「法務博士なんていう学位は全く役に立たない。法学士の方がよっぽどましだ」と発言するのを耳にした。 


それまでにもロー内部では「法務博士号なんてゴミ」「三振したら電車に飛び込むか」という黒い冗談をよく聞いていたから、「ああ、教員が言うんだから資格のない法務博士はよっぽど必要とされていないのだな」と変に納得してしまった。 


しかし、 

本当にこの学位は無駄なのだろうか?と思ってもいた。 


そこに上記のブログである。 

ネット上ではそこかしこ、「法務博士(笑)」といった嘲りの言葉は飛び交っていても、それに対して「単なる法科大学院修了生にも需要はある」という話は全く見ることがなかった。 

それだけにこの断言には勇気づけられた。 

もちろん、司法試験受験のためのモチベーションを上げるために、わざと上記のような後ろ向きの冗談を言うことを否定はしない。 
しかし毎日のようにそうしたネガティブな発言を聞かされると、院にいるという自分の現在の存在理由、試験とは直接関係のない授業を受けることへの抵抗が生じてしまう。 

法科大学院という学び舎にいる数年を、わたしは後ろ向きにとらえることにはもう限界である。 

両親の負担で得るせっかくの学位を、無用の長物扱いはしたくない。 

学んだ知識というのは、試験に関係なく頭に定着しているのではないか。そしてそれは果たして無駄と呼べるものだろうか? 


アメリカが舞台のドラマを見ていると、ロースクールを出た人間が弁護士でない職業(連邦上院議員、司法省連邦捜査局のニューヨーク支局幹部等)に就いている描写が当たり前のように出てくる。 
あちらには法学部がなくロースクールのみなので単純な比較はできないが、すくなくともローを出た事をプラスポイントとしてとらえている風潮が垣間見える。そうした光景を見ると、日本でも定着してほしいと思わずにはいられない。 

関東にある某大ロー(レベルとしてはうちと同じくらいか少し上)では、教員が「公務員になる、という選択もこれからは広がるでしょう」とあえて在学生の視野を広げているそうである。 
また研究者志望で刑法学の教授に付き指導を受けている学生も存在するという。 
あまり知られていないが、京都大学などは、博士課程への入学をこれからは法科大学院修了を前提としていく、との流れを示しているという。 

こうした学生の多様性をも受け入れるのが、法科大学院をわざわざ創設した理由ではなかったか。 

本校OBの弁護士曰く、卒業生のうち半分は三振後消息不明になるという。在学中に視野狭窄に陥らないような暖かい指導がされていれば、こうした院にとっても学生にとっても不幸な事態は避けられたのではなかろうか。 
もちろん、受験生のモチベーションアップは大切である。私がこうしたことを書けば「甘い」だの「逃げを打つんじゃない」だの叱られるかもしれない。 
しかし、「合格か死か」のよう二者択一は、追い込みに即効性を有している半面その副作用はとてつもなく強いのではないか。 
行く末を考えて安心してからのほうが、のびのびと勉強に打ち込める学生もいるのではないだろうか。

誰もかれも、タフであるというわけではないのだ。


************************************
こうした内容のことを今年の6月頃、備忘録に書いた。

その後、あるOB弁護士が「試験突破にはハングリー精神が重要だ」という話をする中で、「自分は給料のいい就職していた会社を蹴ってここに来た。公務員でもいいや、とふわふわする学生あがりの連中が許せなかった」「自分は落ちたら本当に首を括るつもりでいた」というような内容の発言をしたという。

公務員でもいいや、というよりは試験制度の変化に呼応して院卒での採用を目指している人間がいることを、このOBは認識していなかったようである。
法科大学院=司法試験。落ちる=死。という狭隘な心を持つ人間が、弁護士のような多様な人と接する職で大成出来るとは思えないが、自身を鼓舞する方法が、他にも通用すると思っての発言なのだろう。
その発言でさらに追い込まれる院生もいるのだ、という視点を、忘れないでいただきたかった。
2013年2月28日(木)年が変わって初日記ですね。

当地に越してきてもう2年が過ぎようとしています。
昨年夏前くらいまでは半年に一度必ず体調を崩していたのですが、2年がたち、こちらの水に合ってきたのか体調は良いです。

さて、順調にいけば私も学生でいられるのはあと一年程度のようです。
後期博士課程とかいう仙人の道に進めば無限に延長できますが、そこは置いといて。

社会にそもそも出られるのか、という不安はいつだって尽きないものです。
昔に比べれば丸くなり、少しは成長した気もしますが、地金は誤魔化せないものだと思うので、その辺りで周囲との軋轢が出て上手くいかなくなるのではと恐れています。
思えば自分は世間から見れば変人で、随分と駄目な人間のようで。。

こんなだめな人間はいない方がましだ…と考えることもありました。

しかし、自分より厄介で自分より周囲に迷惑を振りまく厚顔無恥な人間が、のうのうと現世を楽しんでいるのを目の当たりにするにつれ、ああいう連中がのさばるのなら自分だって思う存分存在してやろう、と思うようになりました。


よくわからない、達観のような諦観のような、居直り強盗とも取れる思考回路ですが、日本の自殺率を下げる方向に働く「いい」発想なのではないでしょうか。

******************
自分の中で何を書くかを決めずに筆を走らせると、上のようなよく分からない独白が出来るようです。

自重します。

先週は熊野へ友人と旅行してきました。
最近旅行記を書いていないので、これをネタにしようかと思います。
ちなみにその前の週には北陸を旅していました。
それより前には昨年2月に東北へ行ったきり、昨夏に近江鉄道に乗った、昨年暮れに京阪石山坂本線に乗った以外は旅行らしい旅行をしていなかったので、久々に泊りがけの旅が立て続けに出来たことはとてもうれしいものです。

やはり旅は、精神にいい。
2013年4月12日(金)ひと月以上更新が途絶えてしまいました。

3月はエクスターンシップでとある事務所に10日ほどお邪魔していました。
とてもいい事務所で、様々な体験をさせてもらえたのでよい経験になりました。

そして、無事に最終学年になりました。
恋人からは「上がれるとは思わなかった」と言われる体たらくだったのですが、苦手な科目に集中して取り組んだのでなんとかなりました。
しかし、1年の時から一緒の、人当たりの良い子達が留年してしまったので、悲しいです。
シビアな場所です。性格的に「?」な人ほど残る気がします。まあ他者を蹴落として、という野心家ほど成功しやすい業種なのでこれは仕方のないことなのかもしれないけど。

「もともと態度の大きい人間が法曹を目指すのか、法曹になったから態度が大きくなったのか」という禅問答のようなことを時折考えます。

まああと一年、あんまり気にしても自分が病むだけなので、気にせず大人しく過ごします。
あ、態度のアレなのが目立つだけで、過半数はいい人達だと思うので(フォロー)

GW目指してがんばる
2013年6月14日(金)最近美術館に行けていない。

東京でシュルレアリスムの展示があり、大阪では近代美術の展示会がある。
故郷の近くにはフランシスベーコンが来るそうで、今年のこれからの季節は忙しくなりそう。

出来れば全部行きたいなぁ…
2013年7月2日(火)もう夏ですね。

最近旅行記を書き始めました。8月までにはお届けできると思います。
行ってきたのはつい一昨日のことです。

ちなみにその旅行、行くときにJR券を用意したのですが、近所の駅員が未熟で苦労しました。

・帰りの乗車券は向こうで買ってくれと言ってくる。
これは帰りの特急券は行った先で手に入れるからと私が言ったためでもあるが、帰りの特急券は友人に手配を頼んでいたので乗車券を買っておきたいのだと説明したら作ってくれた。しかし今までこんなこと無かったぞ…

・乗り継ぎ割引を忘れる
現役の人に聞いたらときどきあるようです。カードで買ったので領収書が三枚に……

・購入後「経路をミスしてたので駅まで戻ってくれないか」と電話→行くと「間違っていませんでした」
もうね、これとどめでしたわ。
駅に戻った時、お詫びの品を用意して駅員3人が改札口で申し訳なさそうに待っていたのを見て「あっ(察し)」。

切符を自分で見た時は「米原経由だし湖西にはなってないし、自分で計算した金額とあってるしなんでだろ…」と思ったんですがね。合ってましたわ。

当の駅員曰く、新津から羽越線で直に村上へ行くのと、新潟を通って白新線を経由するのでは金額が異なる(羽越の方が安い)。前者がぱっと画面に表示され「湖西線経由にしてしまった!」と勘違いし電話をかけてしまったとのこと。

これからは自分を信じよう(提案)
そして大きな駅で買おう(反省)

ちなみにお詫びの品は伊勢丹の袋にくるまれた洗剤セットでした。クッキーかと思ったじゃないかいい加減にしろ。

2013年9月25日(水)お久しぶりです。
広告が鬱陶しくなってきたので、その位置をページの上から右にうつしてみたら、驚くほどすっきりしました。
前々からこの設定にすればよかった…



さて、近況報告です。

わたくし、ちょっと個人的事情により卒業が遅れる見込みになりました。。

いやぁ、すみません…

今まで浪人もせず、曲がりなりにもストレートで来ていましたが、この業界は甘くはないということですな。


ちなみに、旅行記ですが、また書く書く詐欺をしております(汗)
まだ全然進んでないです…
さらに、今月上旬には函館方面に旅行をしてしまったので、むしろそっちから書いてしまいたいという気持ちが強い(^_^;)

どちらを上げるかわかりませんが、なんとか近日中にお目にかけれれば、と思っています。

ではノシ
2013年10月2日(水)上で書いた旅行記ですが、とりあえず新潟のものを上げてみました。

相変わらず写真ばかりで中身が無いですが、楽しんでいただければ幸いです。

また、日記も消さずにずっと続けた結果7年分も溜まってしまいました。
消すかどうか、今考え中ですが(なにせ黒歴史な部分もあって)

とても読みにくかったので、最新の部分まで飛べるようなリンクをページ上部に設置しました!
2013年10月18日(金)このページがどのくらいアクセス数があるのかを調べていたら、ホームページ開設から10年が過ぎていたことを知りました。

開設の正確な日付まで思いだせないのですが、少なくとも2003年5月末から存在しているようで。。

いやはや、この10年色々ありました。
ジオシティーズが続く限り出来れば続けたいと思うので、今後ともよろしくお願いしますm(__)m
一時は50MBの制限の75%にまで達したので、そろそろ終わりかと思ったんですが、最近容量が増えてまだまだ続けられそうです。
旅行記を書くのは楽しいし…。

ちなみにアクセス一番多かったのがアメリカの警察について書いた文章でした。
あれ今からするとかなり適当なんですが、恥ずかしいなぁ…


PS.新潟の旅行記の一部を加筆、修正しましたのでご覧ください。
2013年10月31日(木)



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