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江差線訪問記

2015年度末に予定される北海道新幹線延伸に際して、江差線の木古内〜江差間廃止が正式に発表された。
2013年の9月、私は江差線に乗るべく渡道した。中学生以来、実に9年ぶりの北海道である。

2013年9月4日(水)
 大阪から新幹線で前日に東京入りし、高校時代の友人の家に宿泊していた私は夕方5時ごろ友人宅を出て、上野駅に6時過ぎに着いた。そこで会う約束をしていた都内の大学院に通う先輩と落ちあい、上野駅ビル内の精養軒で美味しい食事をごちそうしてもらった。
 上野駅に来たのはほかでもない、ここから「あけぼの」号に乗るためである。約1週間前、最後の1席だったシングルデラックスを抑えたのがこの旅の日程を決める重要な要素になった。「あけぼの」号自体は3度目であったが、Bソロ、ゴロンとシートと来たのでA寝台シングルデラックスには何としても乗っておきたかったのである。

上野駅13番ホーム、北斗星やカシオペアも発つこのホームに、群青色の無骨な車体が横たわっていた。
←出発前に先輩に撮っていただいた

この「あけぼの」号、私が乗った後の11月に正式な廃止発表(正確には臨時列車化)が出たため、これが乗り納めになってしまうのだった。
前から7両目の車両に乗り込む。デッキを抜け指定された号室である2号室へ。A寝台と言う一番上級だからか、木目調のドアに高級感が漂う。

↑落ち着いた照明のある廊下。            ↑ドアは暗証番号で鍵がかかる。
ドアを開け、部屋に入る。今まで経験した個室寝台よりは少し広めの室内に、いよいよ念願がかなったと感激した。荷物を置き、数枚写真を撮っていると発車時刻になった。先輩に手を振られながら、列車は一路東北を目指して動き出す。

↑廊下から見た部屋の様子               ↑窓下にはオーディオがある。テレビは撤去されていた…

↑オーディオの拡大(翌朝に撮影)

↑室内に洗面台がある                  ↑アメニティも付く

↑アメニティの中身(翌朝に撮影)

発車してしばらくすると検札がやってきた。A寝台の客向けにシャワー室があるという話を聞いていた気がしたので、確かめたところ苦笑しながら申し訳なさそうに「ないですねぇ。」とのこと。。

車販なし、自販機なし、シャワーなし、テレビなし、の無い無い尽くしで部屋代だけで¥13,350もかかるのでは、6000円から泊まれるビジネスホテルチェーンを選ばれても仕方が無い。恐らくこの個室の利用者の殆どは鉄道趣味者に違いない…。

そんな辛気臭いことを考えても仕方が無い、とにかく折角乗れた、次はないシングルデラックスを存分に楽しむことにした。


↑ドア上に荷物置きスペースがあった         ↑荷物置きに使うのか、ベッド下には足載せ台が。

↑窓の脇にはお洒落な照明。非常停止ボタンもあるよ。↑ドア脇のカーテンには、二人使用の際に使う梯子が収納されていた。むき出しにしないところにA寝台らしい心遣いが感じられる。

窓脇のオーディをパネルをいじったり、写真を撮って回ったり、車内の探検を済ませて、ようやく一息つく。
ベッドに座り、小型の時刻表を手に通過駅と照合して楽しんでいると、大宮到着。ここでもすこし乗客があった。ホームには夜10時も近いというのに高校生がいた。首都圏の高校生の夜型ぶりには呆れるべきなのか、感心すべきなのか…

その後列車は高崎線を北上し、夜の住宅街を抜け、22時46分に高崎に到着する。さすがにホーム上に客は少なかった。

高崎を過ぎ、車窓から民家が少なくなってきたのを見計らって就寝。

9月5日(木)
翌朝は秋田到着のチャイムで目覚めた。その後、東能代辺りまでベッドでごろごろしていたが、結局起きて、前日友人に連れられて行った人生初のパチンコ(1000円入れて600円弱の赤字。一時は3000円強行ったんだが…)で手に入れたポテチを朝食代わりにする。

その後トイレに行ったが、ここで悲劇が起きる。

なんと紙が切れていたのである。。。

仕方なく、残っていたトイレットペーパーの芯を薄く裂いて、なんとか乗り切る。最後の乗車にとんでもない経験をしたものだ…

その後の悲劇を防ぐため、水飲み用のカップに「紙ありません」と記入しドアに挟んで自室に戻る。この頃には青森県に入り、弘南鉄道と並走し始めていた。この弘南鉄道にも廃止の話が出ている。このままでは地方はもう衰退していくばかりだ。

9時52分、あけぼの号は青森駅に着いた。約12時間を共にした個室を離れるのはつらいが、目的地はこの先なので降りなければならない。ドアを開けたまま降りたところ、ゴロンとシートの客らしい女性二人が興味深げに車外から中を覗き込んでいたのは面白かった。


↑朝はソファー仕様にして楽しんでみた。

↑交直両用のEF81                     ↑車庫まではDE10が引っ張る。これだけみると昭和の急行列車のようだ

青森駅では乗り継ぎのスーパー白鳥11号の切符を買う。準備の悪い私はここまで切符を用意しておらず、指定席は通路側しか空いていなかった。



↑これにて渡道

駅のウィドフランスで軽食を仕入れ、列車に乗り込む。新青森からの客で既に席はあらかた埋まっていた。新幹線恐るべし、である。中年の女性の脇が指定された席であったので、そこに座る。列車は高規格の海峡線を快調に飛ばし始めた。
隣席に恐縮しながら軽食を開け、食べながら周りの席をそれとなく見ると、右斜め前のスーツ姿の男性が気になった。出張客のようで、手元の資料に忙しく、うんざりしたような感じで視線を落としていたのだが、その資料には「苗穂工場」の文字が…。
石勝線の車両火災に端を発した一連のJR北海道の不祥事の尻拭い対応に派遣されたJR東の職員だろうか。またずいぶんとタイムリーなものに出会ったわけである。

そうこうしていると列車はいつの間にかトンネルに入り、江差線の廃止に先駆けて閉鎖される(新幹線工事のため)竜飛海底駅・吉岡海底駅を通過していた。いよいよ北海道上陸である。

続く

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