このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

東幡豆駅訪問記

この駅を訪問するのは今回(08・7・29)で二度目である。
前回は小学生の時、父とともに来た。
その時この駅は列車の交換駅として蒲郡線内でも規模が大きく、駅員も常駐しておりポケット時刻表もあった。
また当時は一日一本ではあるが蒲郡線内を特急と急行が走っており、この駅はそれらの停車駅でもあった。

しかし蒲郡線の存廃問題さえ囁かれる今日において、この駅の寂れようはこの線の行く末すら暗示しているようである。
鉄道ファンの悲しい性として、正式な廃止表明のなされたモノレール線に乗った帰途、この蒲郡線に乗り、思い出のこの駅へと降り立った。同行者は 名鉄モノレール線訪問記 とおなじKである。

夕刻、我々は蒲郡線を終着まで乗りとおしてから折り返し、この駅へとやってきた。表向きKには海が見たいという理由を付け、東幡豆駅で下車。
現在でも列車の交換設備は生きており、何本かはこの駅で交換をするのかもしれない。
ホームは島式で、駅舎に行くには昔ながらの構内踏切を使った。

↑駅改札。ワンマン化されているため改札機などの設備はない。 ↑駅ホーム。


↑東幡豆駅舎。窓口のシャッターは下ろされていた。 ↑駅の脇にある踏切から。
駅員こそいないものの、駅舎内は綺麗に保たれており、居心地は悪くなさそうであった。トイレも駅舎脇に設置してあり、こちらもきちんと整備されていた。
駅前には何軒かの商店と民家があったものの、それほど広くはなく、メインの道路から少し外れた場所に位置しているせいもあって、非常に長閑であった。

蒲郡線は一時間に2本というダイヤのため、次の列車まで時間のあった我々は駅近辺を散策することにした。とりあえず駅脇の踏切を渡り、海岸方面を目指す。
数分歩くと砂浜に出た。
地元の少年たちが泳いで遊んでいた。
そこから西のほうに歩くと今度は漁港に出る。
こんな道を歩いた→
石垣島に行ったことのあるKはその海と幡豆の海を比べ、「こういう海もあるのか...」と感慨深げにつぶやいていた。
漁村、という言葉が合うような風景であった。しかし民家は多く、ここが産業の盛んな三河地区に位置することを思い出させた。
列車の音が聞こえてきた。蒲郡線の線路からそう遠くはないのである。赤い車体が建物や木の間からちらちらと覗いた。おそらく蒲郡行の列車だろう。時刻は夕方6時過ぎ、11分に蒲郡行きがあるのをさっき駅で確認しておいた。我々は27分の吉良吉田行で帰途に就く予定である。駅へと戻ることにした。
戻る途中で蒲郡線の線路をくぐった。橋桁がいやに低かった。

私の身長ではぎりぎりつっかえるかつっかえないかであった。おまけにくぐると急坂がある。ここを車で通るには相当熟練しないとだめだろう、と思った。
線路をくぐってからしばらく歩くと、すこし広い道路に突き当たった。片側1車線だが交通量が意外にあり、歩道もないので歩くには難儀した。5分ほど歩くと東幡豆駅を示す小さな看板が見え、そこで細い道を右に折れるとようやく駅に戻ることができた。
列車が来るまで少し時間があったので、駅前の個人商店(雑貨屋のようなものか)に入り菓子を買った。物流の関係からかコンビニは付近に見当たらなかった。この手の商店は、都市部ではあまり見かけなくなっている。たいていはコンビニに鞍替えするのだろうか。しかし地元の息吹がよく感じられるような店であった。
27分の吉良吉田行は、夕刻ということもあってかそれなりに乗車率はあったものの、座ることができた。そして定刻通り38分に吉良吉田着。数分の接続で、名古屋方面に直通する準急佐屋行きに乗り継ぐ。
←吉良吉田駅蒲郡線ホームから、廃止された三河線の碧南方面への路線を見る。

↑佐屋行きは4両の6000系列で、車内はクロスシートだった。ご覧の通り吉良吉田発車時は空席だらけだったが。
平日の夜7時近くだったので、列車は各駅から帰宅客を拾っていく。特に西尾以北からは急激に客が増えた。やはりトヨタ効果だろうか。当初目的にしていた新駅からも、かなりの数の乗車があった。
19:16新安城着。
この列車はこの駅から快速急行に大出世する。次の知立駅で、豊田近郊に住むKは三河線に乗り継ぐために降りていった。もう辺りはすっかり暗い。名古屋に着いたのは8時前であった。駅の明かりがまぶしかった。

終わり  戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください