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日光東照宮訪問記
その1

 2010年3月22日(月・祝)、私は前々から行きたかった日光東照宮を訪れた。同行者は中高時代の友人で阪大生のYである。
 朝10時過ぎ、待ち合わせ場所の新宿駅南口に到着。迷わず合流できたのでよかった。
 さっそく窓口に行き、東武日光までの切符を買う。最初はフリーパスも考えたのだが、帰りに宇都宮に寄って餃子を食べて来ようと考えたので、それだと高くつくパスはやめにして普通の乗車券を買う。窓口は新宿にしてはめずらしく空いていたのですぐ買えた。乗る予定のJR・東武直通のスペーシアは10時35分に新宿を出るのだが、案外時間が余った。まあ乗り遅れそうになって慌てるより遥かに良いだろう。のんびりキオスクでお茶などを仕入れ、5番線ホームに向かう。このホームが地下にあるのをはじめて知った。
もっとも地下とはいえ新宿駅のホームが上下の階層式になっているというだけで、普通に外の光は入ってくるので、普通の地上駅と雰囲気に変わりはなかった。

↑このホームからは成田エクスプレスも発着する。 ↑今回乗った東武スペーシア
 やけに大荷物の人間が多いな…と思えばこのホームは成田空港行き特急の発着に使われているのだった。東武直通は日に臨時を含めても四本程度なので、メインは成田行きの列車なのだろう。
撮影していると我々の乗るスペーシアきぬがわ3号が入線。Yとともに撮影し合う。休日なので子連れの客が多い。もちろんこういうときは子供最優先で、我々「大きな子供たち」は控えめにする。そうこうしていると私のデジカメの電池が切れた。ホーム後方のキオスクに行くが単三電池は扱っていないとのこと。仕方なく日光で仕入れることにして、スペーシアに乗り込む。
 車内は小田急に比べて座席も厚く、重厚な造りだった。さすが営業キロ数2位を誇る大手民鉄である。スペーシアといえば子どもの頃の乗りもの図鑑に必ずと言っていいほど載せられていた車両であるが、その扱いの大きい理由がよくわかった。ちなみにJR直通列車だとグリーン料金がかかるが、グループ・家族向けの個室さえ設置されていた。もっとも乗車した日は三連休最終日ともあってか思いの外客が少なく、その個室もあまり稼働していなさそうではあったが。
 10:35、発車。栗橋まではJR線上を走る。早速Yが昨日宿泊したという高田馬場を通過した。そして池袋に停車。客が少し乗ってきた。
 赤羽を過ぎると山手線と別れ、埼京線とともに走る。大宮には11:02着。埼玉にはあまり来ないので車窓が新鮮になってきた。ここでも乗車があった。大宮を出ると住宅街の中を快走する。次第に畑が目につくようになってくると栗橋で、ここから東武の路線上を走る。職員も先ほどまでうろついていたJR東日本の人間が消え、代わって東武の係員が乗り込んできた。しかし一向に検札する気配がなく、結局日光まで係員は来なかったと思う。
 東武の路線に入ると風景はさらに鄙びたものになる。2人で車窓を見ながら「すげぇ田舎だな」と感想を漏らした。しかし次に停車した栃木は高架で、なかなかに近代的。もっとも駅が変に垢抜けている分、周囲の田舎ぶりが余計に引き立てられていたが。
栃木を出ると次は新鹿沼。こちらは普通の地上駅だった。このスペーシアは東武日光へは直通せず、鬼怒川まで抜けてしまうので、我々は次の下今市で降りるべく準備を始めた。そのころにはこの特急、JRを走っていた時の軽快さが消え、今市駅のホームが観察できるくらいにまで速度が落ちていた。12:17、下今市着。向かいのホームには6050系たった2両の各駅停車が、スペーシアからの日光行きの客の乗り継ぎを待っていた。
 日光行きは特急料金を浮かすべく浅草あたりから乗り続け、ぐったりしている乗客で座席が埋まっていた。たった二駅なのでドア脇に立って車窓を眺めていると、向かいにJR日光線の線路が見えた。12:27、東武日光着。

↑東武日光に到着した列車              ↑駅名表
日光東照宮参拝の玄関口だけあってか、駅はやたら大きく、待合所も喫茶室も売店も充実していた。民鉄には珍しく駅弁さえ売られていた。そんな売店で私は単三電池を購入した。
←日光駅前にてYに撮ってもらう。自分を入れて写真を撮るのは珍しいか。

駅前のバスターミナルには先ほどの列車で到着した客が列を作っていた。ちょうど昼時だったので、Yと相談し、東照宮までの道を歩きがてら食事どころを探すことにした。前もって下調べしてきてくれたYによればこの辺はそばが有名だとか。そこで蕎麦屋を探す。
←こんな道を歩いた。最近整備されたらしく、きれいだった。
しかし、予想に反して食事処が少ない。ここは参道のはずなのだが、東照宮自体駅から少し離れているため、皆バスで行ってしまう弊害なのだろうか。探しながら歩いているうちに東照宮までの道のりの半分を来てしまった。本当は途中からバスに乗ろうかと考えていたのだが。皮肉にも途中の外食チェーンの客の入りが良かった。
腹を括って門前まで歩き、そこにあった建物が重文クラスという蕎麦屋に入る。う〜ん、日光らしい。
←やたら湯葉がアピールされていたので、湯葉そばなるものを頼んだ。1050円也。
私は湯葉はそこまで得意ではなかったので、これでもかという量の湯葉がロール状になって入っているこの蕎麦はなかなか食べるのが後半厳しかった。結局半ロール分の湯葉を残さざるを得なかった。
店を出て、いよいよ東照宮に挑む。

↑ここから先が日光山                ↑世界遺産だぜ!
日光「山」と呼ばれるだけあって、石段が整備されているもののかなり険しい。御年召した方にはかなり厳しいだろう…と、登りきったところにはきちんと整備された道路と観光バスが何台も停まれる駐車場が目の前に広がっていた
…( ゜д゜)ポカーン
←立派な駐車場。ここからバスからの客が合流し、観光客の数が倍増した。
日光山全体の受付のような建物で参拝券を買おうとするが、窓口の説明が要領を得ず、結局奥の東照宮入り口で二社一寺共通参拝券(1000円)を購入。まずは手前にある開祖輪王寺へ。
←山門
中の三仏堂に入ると案内役の僧がおり、他の観光客も集まった時点で手早く案内ツアーを始める。徳川家康の墓のイメージが強いが、日光山自体は天平年間(766年)に勝道という僧侶により開かれたそうだ。堂内部には千手観音や阿弥陀如来の像などが安置されていた。途中、案内役は各干支の守り神を封したお守りを「ここでしか売っていません。」と宣伝していた。ずいぶんと観光客慣れしているものである。なおこの三仏堂では強飯式という一風変わった祭祀が毎年4月に執り行われるそうである。(↓写真参照)

三仏堂を出て、奥の護摩堂にも参拝してからいよいよメインの東照宮に向かう。
参道がきれいに整備されていて、門はこれでもかというくらい豪華な装飾。数週間前にここを訪れた別の友人でこの旅行記最多登場回数を誇るIが「趣味が悪い(くらい派手)」というようなことを話していたが、それも納得のケバさである。
←手始めに五重塔からして派手。
←単なる手水場なんだが…
ずんずんクランク上になっている参道を歩くと、歴史の教科書で有名な陽明門や「見ざる・言わざる・聞かざる」で有名な猿の彫刻の残る建物など有名どころが次々に目の前に繰り出てくる。

↑陽明門。案外せまい
なお猿の描かれた欄間のある神厩舎はこの門の手前にある。

↑神厩舎。欄間に猿はいる。          ↑左から聞かざる、言わざる、見ざる
この三猿以外にも様々な彫刻があり、あたかも人の一生を描いているような物語性があった。じっくり見るのもいいかもしれない。
陽明門を抜けると、本殿がある。しかし現在そこは平成の大修理の真っ最中。そこで我々は閉山時間(15:30)が迫っていたこともあり、さきに家康の眠る墓所を目指した。
家康の公墓所はなぜか奥の院のような、裏の山奥にあり、さら面倒ことに二社一寺参拝券だと別料金(520円)がかかる仕組みになっていた。全く、死んでからもしたたかな人間である。
←公墓所への入り口の門の欄間にある眠猫。この墓所のマスコットのような存在になっており、彼(彼女かもw)を模したお守りが売っていた。かわいいからついつい買ってしまったではないか!

訪れた日は三月にしては肌寒い気候であったが、この墓所に向かう道は、山道ゆえさらに風の冷たさが際立った。しかしえらい石段である。昔は将軍クラスでないと来れなかったそうだが、来てもいいよと言われてもむしろパスしたいくらいである。
←帰りに撮影。こんなところを登ってきた。
日光山自体に何か隠してあるんじゃないかとか、静岡の久能山にも一時家康の墓はあった、などとYと歴史話をしながら歩くこと数十分、ようやく奥宮に辿り着く。

奥宮はきちんと整備されており、前述した眠猫関連のグッズが多数売られていた。眠猫おみくじなるものがあったので引いてみたが、大したことは書かれていなかった。
 下山し、本殿でも参拝。これで院に進学できた時のお礼参り(決して報復的な意味じゃないよw)先が増えた。
家康には先祖の代で借りがあるからまあなんとかしてくれるだろう。十年前にもおんなじこと言ってきたやつがいたぞなんて叱られるかもしれないがw。
 その後、閉山時刻までに薬師堂をまわって鳴龍を聞いたり(本当に龍の音のごとく聞こえる!)、二荒山神社に行って無人の堂に上がり込んだりと、精力的に二社一寺券の元を取るべく動き回った。閉山が近かったからか、各所で今日の賽銭を集めて回る神官の姿が目立った。家康の息吹のかかった宮だけあって、なかなかにがめついのかもしれない。

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