このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ポフ旅行!!!

その2

 先発組と宿で合流した我々は、旅館の部屋に荷物を置くと昼食のために宿を出た。
観光地だけあって駅前に何軒か飲食店があった。それぞれ軒先でメニューやら店の外装を比べ、「グリルあさや」という店にぞろぞろと入った。「グリル」なのでなんでもあって若向きで値段は手ごろだった。何を食したか忘れてしまったが、地物を使った天丼など皆の満足度は高かった。主催者ナツキ君(ポテト潰しの開祖。以下ナツキ)はその天丼を頼みその油と苦闘していた。
食事の次は今回の旅行の目的地、日光東照宮へと向かう。
         
↑東武の誇る固定クロス車6050系。今回は結構お世話になった。↑駅にいた新型特急。早速撮影していたら「流石鉄」の声がw
東武もこの鬼怒川の奥地まで来ると本数が少ないため、次の列車の時間を皆に周知して行動していた。周知するのはもちろん鉄ヲタの私の役目だった。鬼怒川温泉駅13:43発の区間快速と言う名の各駅停車でまずは日光方面乗換駅の下今市へ向かう。
下今市までは3駅だが、田舎なので駅間が長く今回は小佐越、新高徳の各駅にも停まるので来る時よりも時間がかかった。下今市14:09着。2分で日光方面の列車に乗り継ぐ。

驚くべきことに下今市〜東武日光間は複線だった。まだ2月、雪の残る線路を私は先頭車でかじりついて見ていた。


14:19、東武日光着。私にとってはほぼ一年ぶりの日光、他のメンバーにとっては小学校以来、数年ぶり、あるいは処女地である。

駅からは日光東照宮へむかう参道を歩く。ほぼ道は一本で、門前町を形成しているので迷うことはなかった。
途中、宮前だんごという団子屋によるつもりだったが、定休日なのか店は暗く、残念ながらここの有名なみたらし団子を食すことは出来なかった。

15分ほどで「世界遺産」と刻まれた岩のある東照宮のふもとに着く。岩でできた階段を上る。あいかわらず雪がすごい。


登りきって右に曲がると、そこは開けていて、日光山の開祖のお坊さんの像があり、観光バスが何台も停まれるような駐車場として整備されていた。
日光東照宮の前門にあたる大きな輪王寺の山門は改修工事中であった。

↑正面から(ゴローちゃんカメラ)。


↑実は大きな写真が張られているだけw

ここで日光山の境内を全部回るか、それとも幾つか割愛して中禅寺湖方面まで回るか、適度に見て早めに旅館に引き上げるかという三つの案が出る。
我々はとくに全員で行動することを求めないグループ(各人の自由を尊重することがこの集りのいいところ)なので、日光+中禅寺湖組(私、nao、いけち、チンニ、ピロ)と適度に見て早めに引き上げる組(ナツキ、ゴロー)に別れる。ゴローちゃんのカメラはnaoさんに貸し出され、彼が綺麗な写真を撮る重責を担った。
我々の組は改装中の張りぼてを無視しまず東照宮の本殿へ。

↑張りぼてを横切ったところにあるメインの参道

↑休みだからか外国人観光客の姿も目立った。
↑二枚ともゴローちゃんのカメラでnaoさんが撮影。やはり綺麗だ…

派手な五重塔を見たり、滑りやすい路面で遊びながら境内に入る。

↑境内での一こま。naoさんナイスショット。それにしてもこの外人ノリノリである。

境内はクランクになっている参道以外は除雪されていなかった。

↑「言わざる見ざる聞かざる」で有名な欄間の猿を観賞し(ゴローちゃんのカメラnaoさんによる)

↑陽明門をくぐる



↑しかしすごい装飾である。江戸から残っているとはとても思えなかった。(naoさん撮影)

本殿に辿り着くとそこはまた改装中であった。冬季は閉門も早まるためいそいそと東照宮最奥の奥社へ。
私は途中トイレに寄って遅れたので、以下もnaoさんカメラに頼る。
←足に悪い長い石段
登りつめてようやく奥社。家康の墓所である。時間が遅く、もはや売店が閉まっていた。
わさわさと参拝し、いそいそと下る。途中、誰かが悪戯心を起こして作ったかわいいウサギの雪像があった。


下山すると時刻は16時。中禅寺湖へはどう行くか…と考えながら歩くとタクシー乗り場に出た。運転手に聞くと5人で借り切る形で1万2000円程度だという。1時間に一本程度のバスを待つよりもいいかと、この運転手の提案にのる。
しかし大学生の男(うち数名武道経験者)5人でタクシーに乗るのは大型とはいえ難儀であった。しかしなんか楽しいぞ後部座席(男×4)。
助手席にnaoさんが乗り込んで出発。
雪の残る国道120号を中禅寺湖方面へ。東照宮近辺とはまた趣の異なる山道に入る。と思うと車はつづら折りの道をぐいぐいと登り始めた。ここが有名ないろは坂か。
ハンドルを握るのは昔ダムの建設技師をしていたというおじいさん。穏やかだが力づよいハンドルさばきには好感が持てる。助手席のnaoさんが主に聴き手となり、彼の昔の現場での苦労話を聞く。今は何かと悪いイメージしかつかないダムも、当時は急増する発電需要に応えるべく各地で次々と建設された。その建設には山奥の飯場で男ばかり、娯楽も少ない中踏ん張った彼のような人々の存在があったのだろう。文字通り高度経済成長を体で支えた彼の話には聞きごたえがあった。各地の飯場を渡り歩き、時には大卒以上の給金をもらっていたという。

30分ほどで目的地に着く。

↑男体山に見下ろされる華厳の滝観光広場。土産物屋もあったが閉まっていた。
まずは華厳の滝へ。タクシーを止めてもらった広場から少し歩き、滝見物用の張り出しへ。
(bynaoさん)

我々の他にもカップルや単身の外国人など数名の観光客がいた。お互いにカメラを渡し合い、撮影してもらう。




↑そしてこれがかの有名な華厳の滝である。(撮影者私)

冬と言う季節に来たのがよかったのだろう。そして日の傾きかけた絶妙な時間帯。時間を忘れて見入るほど、それは美しかった。
そしてさすがの滝も下の方が凍りついており、この地域の冬の厳しさを感じさせた。
(bynaoさん)


車に戻り、今度は中禅寺湖へ。
中禅寺湖畔のボート乗り場のようなところにおろしてもらう。ここは一部が除雪されておらず、雪を珍しがる都会っ子達(我々)は半ばはしゃぎながらずぼずぼと雪道を進んだ。

この場所も素晴らしかった。この時間になると観光客はおらず、我々だけだったのだが、そのおかげで静けさもあったのがよかった。
みな夢中で写真を撮っていた↓(naoさん撮影)

←(naoさん撮影)

時刻は午後五時に近づいてきた。日の入りも近い。寒さも一段と厳しくなってきた。そそくさと車へ戻り、東武日光駅へ。帰り道に運転手はこちらの方が速かろう、と清滝から有料道路を飛ばしてくれた。


東武日光駅で、我々を運んでくれた運転手に礼を言って別れ、駅構内へ。
次の下今市方面行は17:54。しかし下今市駅で乗り継ぐ予定の列車は18:21までなく、そうなると次の18:08でも間に合うので、それに乗ることにし、一同駅周辺や構内をぶらぶら。私は残り少ないキャッシュを増やすために駅前の郵貯に駆け込んだが、ぎりぎりで間に合わなかった。。
そして日もすっかり暮れた夜六時十分前、列車がホームに入線してきたので乗り込む。毎度おなじみ6050系だ。

下今市駅にはすぐに着いた。少し時間があったので駅前に出てみたがコンビニすら見当たらず皆驚く。


18:16には会津高原尾瀬口行きの野岩鉄道直通列車が到着。5分停車ののち鬼怒川温泉方面に向けて発車するので乗る。車内はガラガラ、空気輸送のような状態だった。

この車両のクロスシートの固さをこの旅で思い知った。尾瀬夜行2355はこの車両で運行するらしいが、せめて特急用にしてあげられないのだろうか。

宿に着いたのは夜七時少し前だったように思う。荷物を部屋に置き、空腹を癒すため大広間の食事所へ。
この日の夕食は地元の湯葉入り豆乳鍋など、日光名物をバランス良く配したまずまずの物であった。ゴローちゃんがごはんを三杯もお代わりして旅館の女将を驚かせていた。これで彼は覚えられたらしく、翌朝もご飯は大丈夫かと聞かれていた。

部屋に戻ってフリータイム。トランプを持ってきたのでまずお決まりの大富豪。ドラマ「相棒」が始まったあたりで私は抜けた。ゴローちゃんはごろごろしていたと思う。

↑ゴローちゃん撮影による部屋の様子。カメラが良すぎて相棒のワンシーンまで写りこんでるw

その後11時ごろ皆でわさわさと風呂に向かう。人がおらず、ほぼ貸し切り状態だった。入浴前私はトイレに行ったのだが、それが尿意が切迫していたnaoさんを苦しめる結果となったw

浴場は広く、露天は舟形に岩といくつかあった。舟形はぬるかったが、岩の方は川に面していて、風情があり大満足だったと記憶している。
ひろい湯船でゆらゆら浮かんだり、泳いだりしてから上がる。
脱衣所を出た浴場の入り口にはセルフサービスで冷たい水が置かれていた。釜からひしゃくですくって飲むという風情の良さに感心。恰好が浴衣だったので大正の文豪にでもなった気分で寛いだ。

夜は二部屋あるうちの片方(確か二日目の我々が泊まる分の部屋)に皆が集結し、大大富豪大会が催された。深夜にかけてテンションが急上昇していき(特にピロさんの声は目立ったw)、眠気に耐え切れなくなり隣の部屋へ引き揚げた私を除いてほぼ全員が完徹だったそうである。

つづく

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