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南九州訪問記(2009・2・4〜9)熊本編

大学の期末試験が終わった二年の冬、私は高校時代の友人Iとともに、この年の春廃止となる富士・はやぶさ号を使って九州を訪れることにした。実は去年も同じ時期にこちらは同じく廃止間近だったJR西日本のあかつき・なは号を使い、島原鉄道加津佐〜島原外港を訪問すべく関門海峡を渡っていた。その時は0泊3日の弾丸旅行であったが、今回は周遊券を使い、熊本、鹿児島の市電も乗るという充実なプランであった。

2月4日午後五時
Iとは東京駅で待ち合わせていた。中央線ホームで合流し、いやに込んでいる駅ナカのデパ地下的な総菜売場で弁当(駅弁ではない)と酒(Iが飲むため)とつまみ(サラミ)を買い込み、いそいそと十番線へ。
ちょうど列車が入線するところで、同業者が多数いた。
Iはデジタル一眼を構え同業者に交じって先頭&最後尾および機関車の機回しを撮影。私はしょぼい旧型コンパクトデジカメしか持っていなかったので、撮影もそこそこに荷物番兼ドアの開放を待っていた。行きはソロがとれたので、二人とも意気揚揚であった。

↑はやぶさ・富士号。併結して十二両という堂々たる編成。


↑この電光掲示も見納めに…

↑私も一応最後尾&最前部の撮影はした。牽引機はEF66

発車20分前を切ったくらいのところでドアが開く。さっそく自室へ。Iは一階3、私は二階12へ。翌朝気づいたが、ソロは一階の方が寝やすかった。

↑三枚とも二階12の部屋の様子。二階なので見晴らしはよく、また荷物置き場もあった。ベッドサイドには読書灯とオーディオ関係のスイッチが。ただしラジオやBGMは流せず、なぜか車内放送も切れなかった。モーニングコールは可能。
←こちらは一階3の部屋の様子。なぜか絵が…
1803、定刻通り発車。Iの部屋に集結して夕食。私はイベリコ豚をつかったという焼き肉弁当、Iは沖縄料理のゴーヤチャンプル弁当。駅弁ではないが、値段が結構張る分美味しい。車外には東海道の帰宅ラッシュの光景が見て取れる。車掌の放送によれば、大阪(深夜一時過ぎ)まで乗ってくる客がいて、平日だというのに満席とのこと。
途中静岡あたりで、サークルの飲み会会場から電話が入った。部長は酔っているようであった。九州に行くと言い残して来たので、部員の大半は私がもう九州にいるものと錯覚していた。皆寝台特急の鈍足さを知らなかったのだろう。結局Iの部屋で名古屋到着まで何やかや話をし、騒ぎ、岐阜に着くまでにはそれぞれの部屋に戻って床に就く。
←ソロの通路

2月5日
0658、徳山。車掌の放送で目が覚める。揺れもあいまってそこまでしっかりとは眠れなかった。あとでIに聞くと下の階はそこまで揺れなかったという。この駅から車内販売が始まる。とりあえず私はコーヒーを買った。下関で機関車付け替えのため5分停車。皆カメラを持って走る。それ以外の人も売店目指して走る。ちなみに門司でも同じ光景が見られた。私は門司で西日本新聞の朝刊とお菓子を買い込む。
←こんな感じに群がる
九州に入ると、列車の密度が増したのか、信号停車が増えた。博多口が一番酷かったように思う。結局列車は15分ほど遅れたまま走っていくことになった。
←途中の通過するはずの玉名駅で、定時では後から来るリレーつばめに追い越された。
熊本1209?着。さっそく列車の引き上げまで即席の撮影会と相成る。
昨年なは号に乗りに来た時より、九州新幹線の工事が進捗しており、ホーム配置なども変わっていた。

↑東京からはるばる…                ↑撮影会。私もちゃんと参加(笑)
撮影が終わると我々は、とりあえず今日泊まる予定の東横インに荷物を預けるために向かう。
熊本駅は街外れにあり、駅前には更地になっている個所もあった。九州新幹線開業に合わせて大幅な再開発を行うようである。
荷物を預け、書店で九州内でしか売っていない「九州総合時間表(九州旅行案内社)」を手にいれ、駅前のJRホテルのレストランで昼食。ランチが750〜850円くらいなのだが、私の頼んだ豚の網焼き定食もIの頼んだ日替わり定食もとても美味しく、幸先のいいスタートに我々は満足しつつ、市電に乗るために駅前へ。

↑熊本駅                       ↑電停に停車中のパト電。愛知県警も名鉄で似たようなことをやっている。
駅の観光案内所で購入した一日乗車券(500円。市バスも可)をさっそく使う。スクラッチ式で、使う日付を削って見せるタイプだった。後述する鹿児島市電のも同じ方式。
まずは熊本電鉄に乗るために上熊本へ向かう。市電は祇園橋や河原町といった京都のような地名の駅を通り過ぎ(京大生のIが反応してたw)、途中から白川に寄り添いながら中心街を目指す。我々は上熊本方面に辛島町というところで乗り換えた。熊本市電は系統別に分けられていて、駅前の列車は全て健軍という熊本市の東の方へ直通しているため、上熊本方面へは乗り換えが必要なのである。
パト電の次に乗ったのは旧型車だった。熊本城を迂回しながら上熊本に向かう。

↑上熊本駅に到着した電車            ↑駅の奥には車庫があった
上熊本駅はJRとの接続駅だが、拍子抜けするほど素っ気ないつくりであった。JRの方は新幹線に合わせて高架化するようで、その工事でなんだか落着きがなかった。旧駅舎は名駅との誉れ高く、市電の駅として移設・再利用されていた。
市電の駅からJRの駅前広場をはさんで、向かいには一面一線の棒駅、熊本電気鉄道上熊本駅がある。ここをつないで市電と熊本電鉄を直通させ、LRT化する動きもあったが、熊本電鉄の悲惨な経営状態からその計画はストップしてしまったようで、熊電の車内にはお詫びの文章が貼られていた。

↑移設されたJR上熊本駅駅舎。単なる覆いとして機能している。↑熊本電鉄上熊本駅。
ちなみに駅前には、旧制五高で教鞭をとり熊本に一時住んでいた夏目漱石の銅像があった。旧宅や五高(現熊本大学)はここから少し離れているのだが。
写真を撮ったりうろうろして、一時間に二本しかない熊本電鉄の列車を待つ。来たのは通称青ガエル、元東急5000系であった。Iは喜んだ。

↑現在は熊本電鉄5000系となっている。もともと二両編成だったのを一両にしてあるので、切妻面に運転台があって、片側の見栄えが悪い。
この車両、非冷房であるが、この日は暖房の必要性を感じないほど暖かかった。なるほど九州は二月でも暖かいのかと思ったが、この日は全国的にそうであったようである。
上熊本駅から車庫等がある中心駅の北熊本まで、この列車は折り返し運転をしている。従って、菊池線の終着御代志駅へは北熊本で乗り換えなければならなかった。北熊本駅では毎列車がきちんと接続を取っており、我々もすぐに乗り換えることができた。

↑上熊本駅にて。昼下がりということもあってか、客は少なかった。↑北熊本にて乗り換え。こちらは元都営の6000系
今度は二両編成。熊本電鉄のメインは藤崎宮前〜御代志のようだ。しかしワンマンではあるが。途中通った踏切の鐘が、電子音ではなく打鐘式であることにIが気づく。音を聞いて二人とも感動した。(帰って調べたら正式名は「ゴング式警鐘機」とも電鐘式とも言い、熊本電鉄では全線の八割がこれ。他には三岐や大井川、小湊など地方私鉄に残ってるhttp://mosp67.blog106.fc2.com/blog-entry-35.htm国道37号線に寄り添うようにして走る。途中、九州自動車道をくぐるあたりでは離れるが、また終着近くになるとこんどは日田街道が寄り添ってくる。熊本電鉄はこの道に並行してバスを運行していた。自社内で競合させてどうするつもりだろうか。ちなみに九州自動車道下にある三ツ石駅は新しく、線内で浮いているような感じがした。この付近だけ踏切も更新されていた。新しい住宅も多く、自動車道や国道387号の影響だろうか。熊本電鉄もやり方によっては十分恩恵を受けそうな感じであった。

↑御代志駅。昔は一面二線だったようだ     ↑ここは熊本市の隣町であった。
北熊本駅を出て三十分くらいで終点御代志駅についた。折り返しまで十数分あったので、隣駅まで歩くことにした。並走する国道は、歩道が狭くお世辞にも歩きやすいとは言えなかった。隣駅は再春荘前。国立ハンセン病療養所(菊池恵楓園)がある。そういえばここ熊本は、ハンセン病患者の差別に関する裁判(らい予防法違憲国家賠償請求訴訟)で画期的な判決が出た地でもあり、この菊池恵楓園の名は新聞連載などで目にしたことがあった。


まだ時間に余裕があったので、さらにひと駅歩くことになり、結局電波高専前から列車に乗った。

↑駅は一面一線の棒駅。高専に行くために専用の改札らしきものがあった。↑なぜか全部ひらがな。
電波に関することをやる高専が駅前にあるからこのような名前なのだが、「でんぱこうせん=電波光線」という変換を頭の中でした私は、「ポケモンに出てくる技の名前みたいだ」と言って一人悦に入っていた。が、理系のIから「電波は光線にならん」と冷静な指摘を受けた。しかし私は語感が気に入ったので繰り返しつぶやいていたので呆れられた。そうこうするうちに列車がきたので乗り込む。さっき終着まで乗っていた列車の折り返しである。
帰路の方が混んでいたような気がする。北熊本で車庫の撮影をするために下車。来るときに同業者が撮影をしていたので、車庫に入れそうだった。Iが駅員に聞くと入ってもよいとの答え。喜び勇んで彼は車庫に向かった。私はとりあえず駅周辺の撮影と、駅前にスーパーがあったので買い物。ここは業務用スーパーのようで、お茶を買っただけで結局引き返してきて、Iの撮影に加わった。


↑左上から時計回りに、駅舎、改札口、駅ホーム、改札上に掛けられていた立派な看板

↑熊本電鉄の現役車両たち            ↑入れ替え用に使われているモハ71
満足したIと私は、今度は藤崎宮前へと向かう。この駅、熊本市街地のなかなか中途半端な位置にある。もっと中心街まで伸ばして、市電と接続すれば利用者も増えるんだろうな〜と思った。

↑藤崎宮前にて。駅ビルの中に二面一線の頭端式。少し奥まったところに駅の入り口があり、ひっそりとしていた。
北熊本〜藤崎宮前には併用軌道がある。我々は折り返す列車をそこで撮影しようと、その場所へと急いだ。とりあえず線路に沿って…と思ったら線路に沿う道路がなく、とりあえず北に向かう広めの道を歩いて、適当なところで左折して踏切を探して確認していく、という方法をとった。列車通過時刻の十分前にはなんとか併用軌道部分を見つけた。藤崎宮前の隣の黒髪町駅の手前にあり、思ったより短い区間だったので、拍子抜けした。近くには高校がいくつかあり、(少し離れていたが、旧制五高の熊本大学もあったようだ)線路のすぐ近くにあった市立高校は「創立百周年」の垂れ幕が。薩長土肥の一員で明治以降早くから発展していた肥後の歴史を感じさせる。

↑併用軌道で撮影。車両が普通の電車なので圧迫感がある。
←車内からはこんな感じ
撮影を終えると黒髪町駅へと向かう。また並走道路がなく、なんとか駅を探し出した時にはすでに藤崎宮前行きの列車が来るところだった。

↑黒髪町駅。しかしこの駅名は変わっている。地名には変わったものが多いが。
今度は熊本市電を乗りつぶすべく、藤崎宮前から南下。しかし熊本という街は活気が感じられる。気候のせいもあるかもしれないが、道路も広く、車も多い。市電は町の一部区間しか走っていないが、街の規模からして公共交通としてはまだまだ整備の余地がありそうな気がした。
十五分ほどで水道町電停に着く。ここは熊本の中心街の端に位置し、電停には多くの客がいた。

↑水道町電停。                    ↑百貨店やパルコのある通町筋方面
ここからとりあえず熊本市の東の健軍という終着まで向かう。乗り込んだ列車はかなり混んでいた。地域の足として定着している何よりの証拠であり、なんだか嬉しくなった。橋を渡り、少し行くと車庫もある交通局前で、運転手と車掌の交代があった。熊本市電では女性の車掌が乗務し、案内や切符の販売を行うというサービスを実施しているようである。
街並みが途切れず続く。水前寺駅通電停の手前でJRの豊肥本線が上をまたいでいった。新水前寺駅との間で乗り換えができるようになっている。
30分弱で健軍町に到着。立ちっぱなしだったので疲れた。最後まで客が結構乗っていたのには驚きだった。
←健軍町電停。
健軍は商店街などもあり、にぎやかである。市電がまだ伸ばしてもいけそうな気がするくらいであった。
すぐ折り返すのもちょっと…という感じがしたので、とりあえず駅前のBOOKOFFに入る。宮脇俊三の「車窓はテレビより面白い」を発見し即購入。同時にハヤカワの警察もの(「ナイトドックズ」ケント・アンダースン。元ベトナム帰還兵のパトロール警官のお話。悪くはないが、読みづらい部分もあり微妙だった。)も購入。
折り返しの列車は、Iは旧型車を期待していたが予想は外れた。座れたので帰りは楽だった。すっかり日が暮れたころ、中心市街地に位置する通町筋で下車。今晩の夕食を探す。
チェーン店NG。そんなに高くなく、できれば地元の名産品を…と探す。しかしなかなか見つからない。空腹になると機嫌が悪くなる(これは私も同じなのだが)Iの口数が増えてきた。これはまずい…。
来た道を引き返すなどIや自分の空腹感をいじめるような行為を繰り返し、30分ほどうろついてメインのアーケードから少し入ったところにある、地元の人相手の郷土料理屋(確か「太閤」http://www.tabimook.com/aji/tenpo/index.php?tp_id=taikou)のメニュー(郷土料理八品1980円だったかな…)に惹かれて入る。
カウンターに座り、注文。ビールは飲めないのに場の雰囲気に押されて一杯ずつ注文。
この店は大当たりだったようだ。馬刺し、辛子蓮根、一文字ぐるぐる、だご汁、桜納豆、田楽、阿蘇高菜…どれもおいしい。焼きおにぎりも頼んだが、これもボリュームがあって、味噌味でイケる。馬串も店の人が「食べたら一本じゃ済まなくなるよ」と太鼓判を押すくらいおいしい。辛子レンコンはこの店手作りで、ただ辛いというものではなく、特製の辛子は味噌が加えてあるのか、追加で頼むほどよかった。大将やおばさんも気さくな方々ばかりで、大いに楽しめた。最後にサービスでタイ焼きまでくれたのだから文句なしである。金額も三千円を超えるか超えないかと良心的であった。

↑夜の熊本城。市電と絡めた写真はよく雑誌に載る。↑目指しているらしい。ちなみに財務局は明治の名残で福岡ではなくここ熊本。
私の分までビールを飲み、いい陽気になっているIとともに電停に戻る。酔いながらも全線完乗は果たし、夜11時までには駅前の東横インに戻った。

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