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南九州訪問記(2009・2・4〜9)宮崎編

2月6日(金)
朝七時。起床。東横インは朝食が無料で付いてくるので、支度を済まし、ロビーへ。
今日は特急くまがわ一号に乗り肥薩線を訪問して吉都線やバスを乗り継いで志布志から宮崎入りする予定である。
そのくまがわは、朝0828発で、自由席は一両しか付いていないので急ぐ必要があった。
今回の旅行は朝から行動するので、体に良かった。
朝食を終え、トイレも済ませ、駅へ。この東横インは駅からちょっぴり離れたところにあった。
駅のキオスクで熊本日日新聞とお茶とお菓子を買い、一番線でリレーつばめの後に、二両編成のディーゼルカーが入ってくるのを待つ。自由席のところにはそこそこ人が並んでいた。
数分前に入線。自由席はそこそこの込み具合であったが、ひとボックス占拠することができた。
列車は八代まで鹿児島本線を走る。脇には建設中の新幹線の路線がまぶしい。
肥薩線に入ると、日本三大急流の一つ、球磨川が寄り添ってきた。この列車名の由来でもある。
途中から車内販売が始まる。二両編成なのに車掌をきちんと乗せており、サービスに抜かりはない。JR九州さすが。
コーヒーを頼む。300円取られたが味は悪くなかった。途中駅で列車交換が何度かあった。一勝地という変わった名前の駅もあった。一時間半ほどで人吉着。

↑人吉駅前                      ↑特急くまがわ。ほとんどの人はここまで乗りとおしたように思う。
ここからは肥薩線の白眉ともいえる区間である。
昨今の鉄道オタクブーム以来、鉄道各社はオタク向け?ともとれるような施策を次々に打ち出すようになった。鉄道趣味が一般化したともとれるが、ともかく鉄道好きには有名な景勝地に観光列車が登場するようになったのである。その最たるものがこれから乗る「いさぶろう」号である。
乗る前からこうして批判めいた事を書くのもよくないので、とりあえず乗った感想を写真付きで。
←外観。キハ47を改造したそうだ。赤は九州ではよくつかわれるが、気候風土的にも似合っていて悪くない。ちなみにこの日は二両のうち片方がこれでもう片方はノーマルなキハ47であった。なお、いさぶろう号のこの車両は車端部ロングを除いて指定席扱いである。
内装はシックな感じでなおよかった。写真を撮ったと思っていたが、データを見たらなかったのでたぶん撮り忘れたんだろう。
列車は途中のループ戦で解説を交えながら停車し、大畑、矢岳、真幸の各駅にも撮影のため数分停車するサービスがあった。女性車掌も乗務しており、頼めばカメラのシャッターを切ってもらうなどしてくれる。もっともこの日は客も少なく、ほとんどが鉄道ファンであったため、車掌も手持ち無沙汰であったが。


↑大畑駅。多くのファンを惹きつける理由がわかったような気がする。鉄道ファンならこの駅に一度は降りるべきだろう。

↑スイッチバック線より               ↑晴れてはいたものの、ガスが出ていて眺望はあまり楽しめなかった。


↑矢岳駅。この駅には蒸気機関車が保存されており、二両あったうちの一両(ハチロク)は復活を遂げあそBOY号として走った。
この駅はループ線上にあり、そこからの眺めは日本三大車窓の一つである。この日は前述のようにガスが出ており、ここの眺めもあまり楽しむことはできなかった。


いさぶろう号のトリを飾る真幸駅には、幸福の鐘というのがホームに設置してあった。

↑ここの駅もスイッチバック構造。         ↑これがその鐘。
ちなみに三駅とも乗降がなく、おまけに列車に乗ってるのは同業者がほとんどであった。この区間は観光鉄道として運行してもよさそうな気がする。風光明媚な景色が楽しめるし。

一時間強で吉松着。十五分ほどで吉都線の列車に乗り換え。

↑大半の乗客はこの特急「はやとの風」に乗継ぎ鹿児島に向かっていった。↑吉松駅

↑駅前。                        ↑ここにもSLが展示してあった。
SLの展示してある脇に資料館と喫茶店兼売店があった。おいしそうな自家製のプリンがあったので買ってみる。ちなみに売っているものは鉄道関係のグッズや郷土関係の土産物らしき物品であった。
吉都線はキハ40の単行であった。時間が時間なので、そんなに混んでおらず、我々はまたひとボックス占拠に成功。1139発車。この路線は先ほどの肥薩線に比べると見どころがあまりない。途中から私は舟を漕いでいたほどだ。気候がいいのも災いした。九州は素晴らしい。暖かい……。途中、小林という駅があったので、その名字を持つ高校時代の友人に写メで駅名表の写真を送ってみた。だいぶ経ってから来た返事には「(‾▽‾;)小林ね、、、」とあった。確かに唐突にこんなメールが来ても反応が困るだけだろうな〜とは思っていたがw。一時間半ほどで都城到着。気付けばもう宮崎県である。初宮崎が寝ながらの入京とはわれながら情けない。

↑都城に到着した吉都線列車。吉都線は一日に片道11本の列車がある。↑都城駅駅舎。都城市の玄関だけあり大きい。

↑設備は更新されていた。             ↑これで隣駅に向かうことに...
駅前はぼろいビジネスホテルと真新しいイオンショッピングセンターの看板の対比が印象的だった。
ここからはバスに乗って志布志に向かう予定であった。バスまで一時間以上あったので、昼食を…とかなんとかいろいろ考えてるうちに、どうやら我々の乗る予定のバスはとなりの西都城を通ることが判明。下車駅を増やしたいIの意向もあり、ちょうど発車する西都城行に乗った。
JR九州の新型電車はぜいたくな内装だと聞いてはいたが、ここでそれを実感することになった。乗ったのは817系で、近郊型の電車である。
←革張りの転換クロスが並ぶ。
微妙に木の部分で凸凹ができ、それほど乗り心地は良くないのだが、見た目が他の追随を許さない(っていうかどこも追随しない)インパクトを持っていた。これで一気にJR九州が好きになった。
ひと駅だけ革張り&木目シートの微妙な乗り心地を楽しみ、1327西都城着。

西都城駅は高架駅であった。ホームからは都城の市街地が望めた。設計自体は年季が入っていて、ここから分岐していた志布志線の遺構も垣間見れた。駅前には都城駅より大きなロータリーとバスターミナル、駅弁屋があった。特急停車駅なのもうなずける。その駅弁屋で昼食を買い、バスが来るまでの間で食べた。

↑かしわめし。800円くらい?結構イケた。    ↑バスは観光用タイプだった。乗ってたのは数人…
13:55、日南線志布志駅に向かうためのバスに乗り込む。このバスは旧志布志線を縫うように走るので、途中途中に線路跡や遺構が見れた。しかし線路跡が単なるサイクリングロードになっているのを見ると、つくづく路線を残しておいてほしかったなぁ…と思ってしまう。バスから見る限り、沿線もそれなりに栄えていて、ケータイ版wikiで調べたら走っている大隅地方の人口は30万を超える程度で、これが一つの市ならば一県の県庁所在地にも匹敵するほどである。
だが冷静に考えれば、一日数本しか走らない鉄道よりは、自家用車の利用率のほうが高いだろう。道路もよく整備されていて、先ほど都城駅前にもあったイオンの看板が沿道の何箇所かにあった。「10Km先」なんて表示は当たり前で、遠方からの買い出し客を視野に入れているのは間違いない。大店法の規制緩和で郊外から田舎にかけて、こうした大規模なショッピングモールをよく最近見かけるが、これは鉄道にとってはある種脅威だろう。もっともモレラ岐阜のように駅を併設すれば別だが。
こんなことがわかるのも列車を降りて行動したおかげであって、バス路線を挟むなどのアクセントはやはり面白い。
←途中に見えた志布志線末吉駅の駅舎。資料館になっている?
バスはシラス台地の上をいく。坂を大分登ったな…と思うとまた平坦なので、本物の台地とはこんなものなのか…と平野部出身の人間(私)は感動した。気候も暖かく、うとうとと寝た。そしてまた気づいたころには志布志の市街に入っていたのであった。
15:21、バスは志布志駅前に着いた。西都城から乗ったおかげで、バス代は千円を超えずに済んだ。バス停は駅前といいながら、駅から少し離れた通りにあり、駅まで少し歩いた。

↑これに乗ってきた                 ↑バスの走る通り
志布志はフェリーターミナルもあり、活気があるようだ。古いビジネスホテルも見かけられ、駅前には大きな生協のスーパーもあった。

↑志布志駅駅舎。立派だが無人駅だ。      ↑駅前。カーフェリーのためか道路がよく整備されている。

↑駅後ろには真新しいマンションもあった。    ↑列車はキハ40単行。
1550発車。客はひとボックスに一人ずつといった感じ。次の大熊夏井を出ると、また宮崎県に入る。日南線は志布志だけが鹿児島県に足を突っ込んでるような感じなのである。南九州の陽光が列車に差し込む。
日南線は最初、この列車でそのまま乗りとおす予定であったが、Iが時刻表を駆使した結果、宮崎空港に最終列車で往復するのに間に合う上、三駅ほど途中下車が楽しめる事になった。車窓は犠牲になったが…
↓榎原で列車交換。そのすきに駅前を撮影。対向列車は日南マリーン号の車両だった。



16:56、大堂津駅で下車。


対向列車が来るまで20分ほどあったので、付近を散策して海岸に行ってみた。

海岸沿いの施設がしっかりしているので、夏はかなり観光客が来るようであった。
17:16、対向列車に乗り込み、次は南郷駅で9分停留。

↑ライオンズのキャンプ地らしい          ↑駅前。ちょっとピンぼけ。
←改札はまあこんな感じ…
お次は南郷17:29発の快速で日南線南部の主要駅日南へ。

↑駅前。ロータリーも広く、タクシーがいた。

↑駅前に弁護士会公設の法律事務所が。中に若そうな弁護士らしき人がいた。↑ここにも大合併の影が…
公設事務所があるのはここに地裁支部がある影響だろうか。この駅では15分ほど滞在。
最後は油津駅へ。南国といえど六時過ぎの二月では、日もかなり落ちてきた。帰路は外も見えなくなるだろう。また日南線前半部は乗りに来なければなるまい。飫肥という風情ある城下町にも行ってみたかったな、と思う。

↑島式ホーム                     ↑日南駅のほうが規模は大きかった

↑駅前には特産のカツオの像が          ↑駅舎。一応有人…
乗ってきた列車でそのまま折り返す。列車は部活帰りの学生などでそこそこ混雑していた。列車自体も二両編成であった。もはや外も見えないので、持ってきたハヤカワの海外小説「オフィサー・ダウン」を読んでいた。ちなみにIはとある作品の影響でこの旅行中、農学部生なのに物理の基本書らしきものをずっと読んでいた。試しに読ませてもらったが、やはり理解できなかった。
19:27、南宮崎着。志布志のスーパーのベーカリーでパンを買い食いしていたおかげで、空腹はまだ耐えられそうであった。ここで最終の宮崎空港行きに乗り換え、宮崎空港線完乗を果たす。

↑南宮崎に着いた。                 ↑空港行きは817で、案の定ガラガラだった。

↑空港駅。一面二線で事足りる規模…         ↑駅は高架だった。

↑空港前のロータリー                ↑ホームから滑走路が見える
空港は閑散としていた。今日の便はもう終わりだから無理もない。韓国などに便があり、国際線と国内線がちゃんと分けられていたが、やはり全体的にコンパクトであった。野球のキャンプインのニュースでよく見る空港前のロータリーには、宮崎に来る各チームの旗が掲げられていた。ちなみに我らがドラゴンズは沖縄を使用していたから旗がなかったなぁ…
空港からの折り返しは19:30発だが、この列車、このままホームライナーとして延岡まで向かうらしく、赤い485で運用されていた。宮崎までの短い区間だが、リクライニングシートを堪能。

↑延岡行の文字が。                 ↑この駅からの客はごく少数。
20:14、宮崎着。長かった今日の工程が終わった。とりあえずホテルに向かう。宮崎駅は8時台ですでに閑散としていた。
ホテル(また例によって東横インw)で荷物を預け、わたしがトイレを借りている間に、Iは夕食に備えとある店を探す。それは、チキン南蛮という宮崎発祥のグルメを出す店である。発祥の店はもう時間が時間だけにしまっているらしかったが、同じ系列の店がまだ開いているようであったので、そこを調べた。(「おぐら」という店の瀬頭店、だったかな…)
I曰く「Google先生のお導き」のもと、線路沿いを北へ。住宅地の中を突っ切る感じに進み、大通りに突き当たって左に曲がり、目的の店を発見。
中は喫茶店のようであった。8時半を回っていたが、客はそこそこいた。
二人ともチキン南蛮のセットを注文。900円くらいだったと思う。15分くらいで出てきたが、予想に反してボリュームがあった。味もかなりいい。これが本場か…と遠くは中大生協の学食で食べた紛い物を思い起こし、感慨にふけりながら食した。
←ケータイで撮った。奥はIの。手前が私の。
満腹になり、二人とも大満足。食後30分ほど駄弁り、10時過ぎにはホテルに戻った。戻る途中、宮崎市中心街の大通りを歩いたが、人はおろか車もほとんどおらず、明るいのはコンビニだけという閑散ぶりには驚いた…これが地方都市か…。



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