このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

高尾山訪問記

2008年の十二月最初の日曜、私は東京に来て二年目にして初めて高尾山を訪れた。
同行してくれたのは以前私が在籍していた、大学の鉄道研究会の友人A氏こと「社長」である。

以下ではA氏のことを社長と呼ぶことにする。

その日は朝からよく晴れていた。私は昼前まで寝てしまい、集合時間に一時間遅れてしまった。
一時前に高幡不動駅に着き、社長と合流。どこかで車両故障があったらしく、下り京王八王子方面は遅れが生じていた。
だがその遅れのおかげで、1306発の北野行き準特急に乗ることができた。この列車は北野から各駅停車高尾山口行になる(関東では普通列車のことを各駅停車と呼称する。「普通」種別で生きてきた名古屋人の私にとっては最初はいささか面食らった)

ガラガラでよく晴れた秋の多摩の空の下、列車は北野まで疾走。ここからは私の未乗区間となる。全面展望を楽しもうと社長を誘い先頭車へ。北野からは各駅停車になるがそれでも京王の飛ばしっぷりは健在だ。
予想よりはるかに栄え、駅周辺が宅地化している高尾駅でJRからの客をたくさん拾い、列車は単線区間に入る。駅を出てすぐに夏の集中豪雨の爪痕があった。列車が土砂災害で被災したのである。単線区間は急に山深くなりトンネルもありで、飯田線のような感覚を味わった。余談だが私の通学する予備校講師の弁護士は、自宅が高尾で勤務先が渋谷だそうだ。東京の通勤区間の広がりっぷりには毎度驚かされるばかりである。
一面二線の高尾山口駅に到着。どん詰まりで終端部いっぱいまで列車が入る。さすが十両編成。
駅を降りると猫の額のようなロータリーに、土産を売る京王直営の売店。さすがにここまで東京の宅地化の波は襲ってはいなかった。

↑高尾山口駅ホーム。二枚とも帰りに撮影。

甘い匂いにつられ、駅前で売っていた串団子に手が出た。一本三百円だが、焼き立てでボリュームもあり、なかなかうまい。しょうゆ味で辛めの味付けだった。串を返すと環境保護に協力したということで、十円帰ってきた。
線路わきの細い道を行くと、参道に出た。道沿いには名物の手打ちそば屋や高尾まんじゅう、せんべいの店が並ぶ。
うろうろ品定めや店定めをしながら歩き、そこそこすいていて値段も(観光地の割に)まあまあな店に入り、とろろそばを注文。味はまあまあ良かったのだが、いかんせん量が少ないのと店員の態度が良くなかった。(勤務中に客から見えるところで団子を食うなど言語道断であろう。レジ打ち経験のある社長は、落とした釣銭を渡すというサービス精神の無さに唖然としていた)。後ろに座って注文を辛抱強く待っていた客が怒って帰る有様ではね…。

↑参道の様子。ミシュランに載ったせいか、外国人が意外に多かった。若者も多い。これも帰りに撮影

腹も満足したところでいよいよ高尾山を登る。ケーブルカーで。
往復九百円。15分ヘッドで運行しており、ちょうどこの日が高尾山ケーブルの現行車両での運転最終日だったそうで、構内には横断幕があった。
次の週から新型電車での運行となるそうである。それまでの車両入れ替え期間中は横を並走するリフト(スキー場みたいなやつ)で代行運転とのこと。寒い時期に大変だ…。

↑その横断幕。                    ↑年期を感じさせる。 帰りに撮影
鉄道ファンの性で一番前に乗車。普通のおばさんや熟年夫婦もいた

線路にはみ出して撮影する観光客を退けてから出発。ゴリゴリと独特の音を立てながら登っていく。社長が脇で手ぶれと悪戦苦闘しながら動画撮影を始めた。
列車には車掌が乗り、観光案内などを始める。
以前乗った高野山ケーブルよりは人心地つく感じがする。まあ場所が場所だからか。
途中、帰り客を満載した対向列車とすれ違う。
そしてその後はとてつもない急勾配に差し掛かる。
背筋が寒くなるほどだ。
その急こう配を登りきったところで、山頂の駅に到着。

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