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寝台列車を乗り継いで〜サンライズ・はまなす・トワイライトエクスプレスの旅〜その2


9月28日(日)
 宿を10時ごろ出て、Aに会津若松駅まで送ってもらう。途中、飯盛山の看板が見えた。あの白虎隊で有名な地である。
 磐越西線は10時台は列車が無く、9時53分のあとは11時6分の快速である。10時30分ごろ駅に着いたので、待ち時間に乗り継ぎなどを調べる。この日はいくつかプランを立てており、津軽線に乗るか、津軽鉄道に乗るか、仙台空港線に乗るか、どれにするかをまだ決めていなかった。津軽線ならば11時57分のやまびこ47号でなければ間に合わないので、これは早々に却下となった。では津軽鉄道は…と調べると郡山12時19分のやまびこ135号でも、仙台で「はやぶさ」19号(13時54分)に乗り継げば、新青森駅を15時40分に出る五所川原行きのバスに間に合うことがわかった。そこで、ひとまずこの日の予定を津軽鉄道に決め、郡山からの新幹線自由席の切符を買い、売店で福島民友を入手する。御嶽山が27日の昼過ぎに噴火しており、一面はどの新聞もこの話題でもちきりであった。民友には活火山である磐梯山についての記事が載っており、地元らしさを感じた。


↑会津若松駅舎。来るのは中1以来だったりする。この日も快晴。       ↑快速電車も行きと同じ719系。奥には到着した新潟行き快速「あがの」

入線の5分ほど前から並び、2人掛けボックス席を難なく抑える。休日の郡山行きで快速列車なので、混雑も覚悟したがそんなことは全くなく、行きよりも2両少ない4両編成であった。定刻に発車。

快速電車なので郡山の次は磐梯町である。郡山までの12駅の内4駅しか止まらない潔さで、横浜線や中央西線名古屋口の快速にはぜひ見習ってほしいものである。その停車駅の少なさゆえか、車掌の車内巡回も少なく、結局一度来たのみであった。その際に呼び止め、郡山での新幹線の接続を聞く。やはり12時19分の新幹線を案内される。この列車は12時9分に郡山に着き、乗り継ぎには10分あれば全く支障はないということであった。


↑磐梯山を撮影。                                     ↑無事郡山駅に到着。折り返しも快速運用のようであった。

写真を撮っていたので、乗り換えでない改札口に出てしまい、少し遠回りしつつもなんとか東北新幹線ホームに上る。自由席だったが、少し人が並んでいたのみで、難なく座ることが出来た。仙台までは50分ほどである。

←ちなみに行きの切符。新幹線で途中下車を繰り返したらこうなった。

 仙台には13時4分に着く。東北随一の都市である。次のはやぶさに乗り継ぐまでに、食事を済ませ、萩の月をおやつに買おうと決めていた。Aからはずんだシェイクも勧められていた。しかし50分しかない。とりあえずエスパル地下1階に萩の月(通常は最小でも5個入り)をバラ売りで売ってくれる店舗があるとネットで見かけたのを頼りに、エスパルに向かう。しかし間違えてエスパル2に出てしまった。これで10分ほどロスをしたと思う。仕方なく駅構内で食事を取るのは諦め、牛タン弁当を購入し新幹線で食べるプランに切り替える。かさばるキャリーバックを片手に、まだ少し気温の高い仙台の駅構内を、汗をかきながら右往左往して、なんとか目的の萩の月を購入する。そしてその近くの伊達の牛タン本舗で弁当を予約し、待っている間に指定席券売機まで3階分を上り、はやぶさの指定席が満席なのを知って絶望しながら立席特急券を買い、また3階分戻って弁当を受け取って、はやぶさ19号の2号車の列に並んだのは出発の3分前であった。ずんだシェイクへのチャレンジは持ち越しとなった。

 全席指定の「はやて」と「はやぶさ」は、特定特急券という制度があり、空席があれば勝手に座ってよいのだと解釈していた。しかし私が手に持った切符には「立席」とあり、号車の指定があるのみであった。どうやら座れないらしい。もっとも空席というのが存在していなかったので、そもそも座る余地などなかったのだが。
 困ったのは、腹が減っていて、目の前には作りたての牛タン弁当があるというこの状況である。そこで、私は時刻表を開き、この列車が盛岡に14時33分に着くまで、途中止まらないことを確認し、盛岡到着までに食べてしまうことを決断した。
 デッキにキャリーバックを横倒して机代わりにし、弁当を開く。同じデッキにはベビーカーを引いた若い男性がいたので、何か言われるかと覚悟したが、少し視線が投げかけられただけで特に何も言われなかった。他の乗客に「通路で食べるなんて、お前は中国人か」という昨今流行りのヘイトスピーチをかまされることもなかった。幸い食べている間に車掌は通り過ぎなかった。
 盛岡到着5分前までには余裕を持って弁当を食べ終えた。ガラも捨て、何もなかったように振る舞い、盛岡駅で下車する客を通すために貫通路に退避する。たくさん降りたので座れるかと期待したが、同じくらい乗ってきたので諦めた。
 結局、八戸を出たところで座ることが出来た。ここから新青森までは24分である。盛岡以北は1時間に1本しか走っていないので、必然混みやすいのだろうか。
 15時29分、新青森に着く。八戸までにそこそこ降りていたが、新青森で下車する客も多く、おまけに降りた場所の最寄りにはエスカレーターしか設置していなかったのでホーム上に行列ができていた。行列を避け、階段を探すと、ほぼホームの反対側まで歩かされた。それからトイレに寄り、「東口バス乗り場」という表示に従ってふらふらといくと、目当てのバスは「南口」から出るようだった。結果、バスに乗り遅れた。

 かなりショックだったが、落ち込んでいてもどうしようもない。次のバスは1時間後で、そうなるとせっかく津軽鉄道に乗れたとしてももう夜になってしまう。そこで、弘南鉄道に乗ることにし、改札に赴いて弘前までの切符を買う。ちょうど特急「つがる」秋田行きが16時4分に来るので、自由席特急券も買い、ホームに降りる。
「つがる」は私の知っている半室グリーンを備えた485系3両編成「かもしか」から進化しており、E751系という新車であった。半室グリーンはそのままであったが。
 車内は半分ほどの席が埋まっているかどうか、という程度で、2人掛けを悠々と使うことが出来た。本線特急らしい貫録の走りを見せながら、25分ほどで弘前に着く。


↑E751系                          ↑弘南鉄道側の弘前駅
弘前は2008〜9年ごろに1度来ている。そのとき弘南鉄道にも乗っていたので、駅にも見覚えがあり、懐かしい感じがした。
弘南鉄道弘南線は毎時00分と30分に列車があるという覚えやすいダイヤであった。弘前に着いたのが16時31分だったので、17時の列車を待った。


↑列車はお馴染み東急のステンレス車である。最近はどの地方私鉄に行ってもこのステンレス車なのは正直勘弁してほしい。

2両編成の内、せっかくなので一番前が見える席を陣取る。日曜夕方だが、車内には制服姿の学生がちらほらいた。部活動だろうか。ロングシートがほぼ埋まるかどうか、という具合で発車。弘南線は弘南鉄道の中でも数百万円の黒字を出しているようで、廃止が取りざたされる大鰐線とは対照的である。弘前駅直結というのは影響が大きいのだろうか。

地方私鉄らしいのんびりした揺れの伴う走りに、久しぶりに満足感が込み上げてくる。時刻表をipadminiで見ていると、この列車は新駅である田んぼアート駅に止まる最終列車のようで、夕闇せまるなか目を凝らすと、田んぼの広がるなかにピカピカのホームが出現した。後に知ったが、この日(28日)に稲刈りが行われたそうである。

17時29分、黒石着。折り返しは50分なので、駅併設のスーパーCOOPでお茶を買い、駅構内の新聞スタンドで津軽新報を入手。1部50円だった。

↑黒石駅舎。スーパーが併設されている。      ↑こちらは別の入り口

↑改札口。列車が着いた時と発車前だけ開ける。 ↑新聞スタンドと弘南鉄道グッズも売っていた。

↑帰りの列車。                       ↑車内はこの通り、空気輸送状態。発車直前に2人乗ってきた。

↑こころがぴょんぴょんする感じの切符を売っているらしい

帰路は既に日が暮れていたので、列車の音を楽しむ感じになった。空気輸送だった車内も、途中で何人か乗り、弘前駅に着く頃には2ケタに達していた。


↑弘前駅の券売機と改札。こちらは駅の改装のおかげか電光掲示まであってやたら現代的である。↑

特急ばかり乗ってもつまらないので、弘前から青森へ戻るのは各駅停車に乗る。19時21分の青森行きまでの時間を利用して、郵貯ATMでお金をおろし、青森までの切符を買う。ATMは日曜のこの時間は少し離れたイトーヨーカドーまで行かないと開いていないので、そこまで歩く。お金を降ろした後、以前の訪問の時に金券ショップの自販機があった事を思い出し、探しながら歩くと、駅とイトーヨーカドーの中間くらいで見つけた。


↑店舗の営業時間外でも切符が買えるのはありがたい ↑イトーヨーカドー方面

こうした金券ショップで切符を買う文化は関西が主流で、関東ではちらほら、東北ではあまりメジャーではない感じがするが、最近はそうでもないのだろうか。正規料金より30円安いのでちょっぴり嬉しい。

駅に戻り、ホームに降りると701系の5両編成がすでに入線していた。


ロングシートかつ夜で外が見えないので、持ってきた文庫本(「火星の人」アンディ・ウィアー著、早川文庫)を読む。青森までは40分ほどだった。

青森で遅めの夕食。
せっかくの青森なので、魚介を食べようと思い、以前来たことのある駅前ビル地下の市民食堂に行くが、営業時間外であった。そのため、駅まで戻り、ロータリーに面した「帆立小屋」という店に入る。定食はご飯が切れて出せないが、丼物ならあるという不思議な状況の中、帆立と烏賊と鯖の載った丼と店の看板メニューである帆立の浜焼きを頼む。鯖は〆鯖だったが、これが予想以上に美味しかった。


↑帆立烏賊鯖丼                      ↑帆立の浜焼き。磯の香りがしておいしかった。

満足して駅に戻ると、駅前に消防車と救急車が停まっていた。火事という雰囲気ではないので、急病人でも出てPA連携をしているのだろう。青森市は、消防について周辺自治体と広域行政を組んでいるらしく、消防車の車体には「青森地域広域消防事務組合」と長い名称が書かれていた。


↑緊迫感のある構図                   ↑ラッチ開けっ放し…

構内は落ちついていたので、土産物などを買いこみ、改札前の待合スペースで「はまなす」の入線を待つ。優等列車は新青森行きを除けば既にこの「はまなす」だけであり、待合スペースにいる人達も夜行列車に乗るような、大きい荷物を抱えた人たちが多かった。みどりの窓口がまだ開いていたので、持っていたトワイライトエクスプレスのシングルツインをツインに変更できないかと、空席を確認してみる。窓口氏は人懐っこい感じの中年男性で、差し出した券面を興味深そうに眺めながら慣れた手つきでマルス照会をする。乗車の2日前という直前だが開放式も含め満席であり、「持ってるだけでも幸運だよ」とこれまた人懐っこそうな青森訛りで言われた。そうこうしていると、20時45分、「はまなす」の入線時刻になった。


↑電光掲示に「急行」の文字              ↑DE10に引かれて入線

↑B寝台。この車両だけ金帯だった。         ↑取ったのは下段
自分の寝台に荷物を置くと、発車まで30分以上あるので、車内の探検&撮影に出かける。なお、この日はカーペットカーの連結がなかった。少しさびしい。


↑こちらは自由席。恐ろしいことに簡易リクライニングシートである        ↑これだけしか倒れない…

←自販機が設置されているのはありがたい。日ハムなのがさすが北海道



↑こちらはドリームカー。指定席である。510円でこの違いなので、札幌までなら断然こちらだろう↑
←指定席車両にはこうしたミニサロンが付いている


↑車両は廃止発表がされないのが奇跡に思える位にへたばっていた。ぼこぼこである…


↑かと思えば、指定席車両はこの通り修繕されている。なんという資本主義格差社会 ↑そんななかで誇らしげなB寝台車両のマーク


↑青函トンネルをけん引してくれるED79                       ↑ちらほらと同業者の姿があった


↑洗面所は自動水栓に改修済み

ひととおり撮影して、満足して自分の寝台に戻ると向かいの上下段に中年の夫婦がいた。あいさつすると、奥さんの方が「上に荷物置けるようになっていますよ」と、初めて寝台車に乗った者特有の高揚感をまき散らしながら教えてくれる。言われなくとも既に知っています、という無粋な返しはせず、代わりに「荷物、上に上げましょうか?」と親切心を出す。が、本当に教えてあげたいだけだったようで、予想外の答えを喰らったというような顔をしながら「いえいえ」と断ってきた。私の側の上段はその時空いていて、手洗いから戻るとその奥さんがまた「上の段、人来ないみたいなんで荷物とか置いちゃっていいみたいですよ」と得意げに教えてくれる。しかし発車直前に新たに中年女性が現れ、上段に乗り込んでいた。いったい誰から人が来ないなんて聞いたんだろうか。。

つづく

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