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寝台列車を乗り継いで〜サンライズ・はまなす・トワイライトエクスプレスの旅〜その3
9月29日(月)
はまなすでは函館を過ぎるまで寝られなかった。その函館では10数人降りていたので、はまなすは函館への最終便の役割もあるようである。こうした役割を踏まえて、新幹線が出来ても残して欲しいところだ。そして翌朝は新札幌の頃に起床。慌ただしく着替え、下車の準備をし、6時7分、およそ9年ぶりの札幌駅に着く。青森と比べてもかなり冷え、秋用の布地厚めのアウターを着込む。
↑遅れもなく無事に到着。五稜郭で機関車の付く方向が変わったので起きたら最後尾から2両目になっていた。↑北海道側は北斗星カラーのDD51が牽引
↑連結器の関係か、電源供給の問題か、単なる回送なのか、わざわざスハネフ14の後に1両挟んでいる。
←丁寧に注意書き。
この日の予定は、道内でまだ乗っていない札沼線と留萌本線を乗り潰すというものである。両線とも本数が少なく、はまなすで朝6時に乗り込んでも札幌に戻るのは夕方5時過ぎの予定である。
ひとまずは電化された北海道医療大学方面の7時発石狩当別行きに乗るので、それまでにコインロッカーにキャリーバックを預け、朝食を取る。幸い6時半開店のカフェがあるので、その店に行く。カフェと言いながらおにぎりと豚汁の朝食セットがあったのでそれを頼む。やはり朝は和食がいい。
6時55分に札沼線ホームに上る。待っていたのは新型の735系6両で、これはロングシートであった。
車内はロングシートでも空席が目立つ程度の乗車率。ラッシュの札幌方向とは逆なのでこの程度か…と思っていたら、途中駅で当別の高校に行くらしい生徒や医療大を目指す学生が次々と乗ってきた。なお途中ですれ違う札幌方面の731系や735系はかなり混んでいた。八軒からあいの里教育大は複線なのもうなずける。
持ってきたipadminiで日経の朝刊を読み、また「火星の人」の続きを読んでいるうちに札幌市を出て、石狩太美(大学の先輩のご実家がある)を過ぎ、石狩当別に着く。向かいには新十津川行きのキハ40単行が待っていた。落差が激しい…。
キハ40に乗り込むと、何と空席がなかった。仕方なく立っていると、次の北海道医療大学駅で殆どが降りた。女子大生の座っていた2人掛けボックス席を確保する。イェイ!(←マーク・ワトニーリスペクト)。
北海道医療大学は、医療と名は付くものの医学部はなく、歯学部と薬学部、看護、心理、リハビリテーション系の学部を持っているという。藤田保健衛生大学がその名に反し医学部を持っているのとは対照的である。ちなみに北海道には札幌に2校(北大、札医)、旭川に1校(旭医)医学部があるのみで、道東地方が喉から手が出るほど欲しがっているとか…(個人的には釧路に作らないとバランス悪い感じはする)。なお、あいの里教育大は、「愛の里教育大学」とかいうFラン臭のする名前の大学があるのではなく、押しも押されぬ北海道教育大学札幌校が所在するのと、あいの里という住宅地が存在するためである。
医療大を出ると、車窓に一気に畑と牧草地が増える。キハ40の単行なのでいやでも「北海道」らしさが出てくる。
はまなすの寝不足もあって、うとうとしていると、途中の主要駅である石狩月形に着く。ここで列車交換のために15分ほど停車するので外に出てみる。
↑北海道らしく雪止めの付いた屋根がある駅舎。 ↑駅前はこんな感じ…
↑窓口。みどりの窓口はない。 ↑Kitaka(ICカード)非対応。札幌からkitakaで乗ってきたおばさんがいたが…
↑待合室。ストーブが備わっている。 ↑列車交換。相手方も単行。
←浦臼までならまだ1日7本くらいある。
↑駅の裏手はこんな感じ
当別行きのキハ40が到着し、無事列車交換をして出発。車内にはもう同業者の姿しかない。
浦臼駅の様子など見たかったが、ここでも私は眠りこんでしまい、気づいたら新十津川到着直前であった。
9時28分、新十津川着。
↑新十津川着。はるばる着いた、という感じ
新十津川駅では近所の保育園の園児達が出迎えをしてくれる。私が降りてすぐ写真を取っていると、1人の園児がよたよたと私のいるホームの端まで歩いて来て、下車記念のはがきを届けてくれた。なんだかとっても申し訳なかった。
↑こういったものが記念に貰える。良い出来である。
この駅は駅員はいないが、駅舎はよく手入れされていて、駅舎脇にはポニーらしき子馬が二頭いる小さな牧場がある。一日に三本しか列車は来ないが、地元住民にとても愛されているのが伝わってきた。園児たちの歓迎や保育士さんの迎え方も、近すぎず遠すぎず、程よい距離感だったので人付き合いの苦手な私には好印象だった。
↑園児とともに新十津川町への訪問を歓迎する看板がお出迎え ↑待合室には駅を描いた絵や駅ノートが置いてあり、綺麗に整頓されていた。
↑かわいらしい駅舎 ↑となりにあるふれあい牧場。
↑私が近付いても無関心で、必死に草を食べていた ↑折り返しの列車が発車していった
↑駅前にある病院。 ↑駅前はこんな感じ。この写真右手に病院がある。
↑駅前から北に抜ける道路 線路の終端はこのように。昔はこの先を留萌本線石狩沼田駅まで通じていた↑
ここからは北海道中央バスで滝川駅に抜ける予定である。バスは駅前からは出ず、新十津川町の役場前から出るので、そこまで歩く。広々とした道路に、灯油タンクを備え雪落としを備えた玄関のある家に、北海道を感じながら歩く。途中立派な建物が見え役場と勘違いしたが、そこは土地改良組合の建物であった。
10分も歩かないうちに新十津川の中心街に出て、町役場に着く。バスが来る10時10分まで15分ほどあったので近くのサンクスでコーヒーと道新を買い、バス停のベンチでおやつ代わりに昨日買った萩の月を食べる。そうしていると、役場から外国人風の女性が、職員の対応が悪かったのか、悪態をつきながら出てくるのを見かけた。日本では在留外国人の割合が、全人口のうち、たったの1,6%(H24末法務省
報道発表資料
から)であり、都会ですら好奇や偏見の眼差しにさらされるのだから、こうした田舎では大変だろうな…と思った。
そんなことを考えつつ道新を読んでいると、バスがやってきた。客は私以外におばあさんが1人だったが、発車直前になってもう2人ほど増えた。
↑町役場。 ↑バス。これに乗りました。
バスは新十津川の中心街を抜け、石狩川を渡る。そして函館本線を高架で超えると、滝川の市街地に入り、15分ほどで時間通りに滝川駅そばのバスターミナルに着いた。このぶんではどうやら歩いても1時間くらいで行ける、という話は本当らしい。200円ほどで、バスの本数も1時間に1本はあるので、個人的にはバスを勧めるが。
↑立派なバスターミナルだった。 ↑駅はこんな感じ
↑駅前。左のビルには後ほど後ほどお世話になった。
バスは10時24分に着き、深川まで乗る予定の特急「オホーツク」3号は39分の発車なので、少し急いで駅に向かった。
券売機で自由席特急券を買う。北海道には25kmまでの区分の特急料金(自由席で通常310円)があり、滝川〜深川間は23,1kmだったので安く済んでありがたい。この区間の各駅停車はとても少ないので、18きっぷや北海道東北パス利用者はたいへんだろう。
無事特急券を買い、発車までまだ5分ほどあったので売店で「プレス空知」という地域紙を入手した。週2回、水曜、土曜発行で、私が買ったのは27日(土)のものであった。
↑駅の跨線橋 ↑時代を感じる広い構内
↑「オホーツク」3号。網走まで行くから気動車である。 ↑向かいには根室本線のキハ40がいた。
↑車内は座席探訪が可能なくらい空いていた。増結していたのだが…。 ↑先頭車には前面展望可能な座席もある。自由席ゆえ早い者勝ち。
ディーゼルエンジンも快調に、2つ駅を飛ばすのみで、検札もなく15分で深川に着いてしまう。物足りない…。いずれは石北本線まできちんと乗り通してみたい。
深川には54分に着く。留萌本線は11時8分の発車で、すでにキハ54が入線していた。2両連結していたが、どうやら後ろ1両は回送扱いのようである。後ろの車両は簡易リクライニング仕様なので乗ってみたかったが、空いていないものは仕方がない。前方の転換クロスに荷物を置いて席を確保し、昼食の駅弁を駅舎内の売店に買いに行く。深川だが当然深川めしは無く、幕の内や助六寿司の取り扱い。さらに幕の内は私の直前の客で売り切れたようなので、助六寿司を買った。500円程度で駅弁としては安い。ウロダンゴは重くなるのと、1人では食べきれないので今回は見送りに。一緒に「うらら」という道内KIOSK限定のお茶も買った。
↑キハ54。道内でしか乗れない。 ↑さすがにエアコンは無かった。
Sカムイ11号の接続を待って発車。車内は各シートに1人づつという塩梅で、案の定同業者が目立つ。またフルムーンらしき夫婦の行楽客もいた。
深川を出ると列車は広々と畑の広がる平野部を走る。最初の駅は北一已(きたいちやん)で、北海道らしさが漂う駅名である。
次の駅は秩父別(ちっぷべつ)。これも道内らしい。しかしこの程度ではしゃぐと、この後礼受だの阿分だの信砂だの(れうけ・あふん・のぶしゃ)出てくるので、身が持たない。なので大人しくする。北秩父別は通過であった。その次の線内最初の主要駅、石狩沼田では学生が降りて行った。ここまで先ほど乗った札沼線がまだ伸びていたら楽だったのだが。
↑北一已駅(帰路に撮影) ↑秩父別駅(帰路に撮影)
↑石狩沼田の次は真布駅。 ↑恵比島駅(帰路に撮影)
ぼーっと車外を観ながら乗っていると、これまでと風格の異なる駅に着いた。どこだろうと思って思いだしたのがNHKの連続テレビ小説「すずらん」である。「すずらん」はここ留萌本線の恵比島駅を作中に登場する「明日萌」駅に見立ててロケを行っていたのだった。以前はSLすずらん号なども走り活気があったと思われるこの地も、放映から10年以上が立ち、ひっそりとしていた。
↑駅舎内にはドラマの主人公を模した人形が置いてある。ちょっとこわい(帰路に撮影) ↑これは撮影用というよりは観光用か。
恵比島駅を出てからは再び眠ってしまい、気づいたら留萌駅であった。ダイヤ上は列車が変わるが、乗ってきた列車がそのまま増毛に向かうそうなので、荷物をそのままに駅構内へ「留萌新聞」を買いに行く。しかし売店は09年ごろに閉店し、立ち食いソバのみの営業になっていた。入手できずくやしい。
↑留萌駅舎 ↑駅前の様子。
写真を撮って戻ると後ろの回送が12時15分の深川ゆきになっていた。スーツを着た用務客らしい4、5人が乗りこんでいく。JR北海道の一連の不祥事を受けた日経の
連載記事
(2014年2月5日朝刊)で知ったのだが、留萌市は市長自ら公用車を廃止し留萌本線で2時間以上かけて札幌に出向いているそうなので、もしかしたらその流れを受けた市職員かもしれない。
深川行きの4分後に増毛行きも発車する。車内の客は留萌までよりさらに減って、もう同業者か旅行者しかいない。しばらく走り、瀬越駅の手前から車窓に日本海が見えるようになる。去年乗った江差線末端区間もこんな感じだったなぁと思い出す。留萌本線の留萌から増毛は海沿いをずっと走るので、景色が良い。しかしいちばん海際を走るのは並走する国道で、線路が海と接近するのは瀬越の近辺と終点増毛の手前なのが惜しい。また海沿いを走ると言いながらも、途中の阿分と信砂の間にはトンネルもある。
↑のぶしゃ、しゃぐま、と続くとしりとりのようである。帰りに撮影
↑増毛に近づくとこのように海が目の前に広がる(帰路に撮影)。 ↑増毛の港には小規模ながら造船ドッグが備わっていた。(帰路に撮影)
↑マリーナもある(帰路に撮影) ↑事故かなにかか(帰路に撮影)
漁業で栄えた歴史を感じさせる立派な漁港が見えてくると、終点の増毛である。9分で折り返すので慌ただしく写真を撮る。駅前には映画「駅−STATION−」の撮影に使われたらしい商店があり、駅自体にも雑貨店が併設されていて、散策し甲斐がありそうだったが、この列車を逃すと次は3時間後なので、諦める。車止めの写真を撮っていたらおじさんが「雰囲気がいいですよね」とテンション高めに話しかけてきた。確かにここの「終着だぜ!」という雰囲気はとても良い。ちなみにこのおじさんは岩見沢辺りまで行程が一緒だったようで、後に滝川駅ホームで遭遇した。
↑正に終着駅、といった感じの車止め。 ↑駅舎
↑駅前から駅舎を撮る。渋い。 ↑駅前広場にある旅館と食堂。GMのキットのようである(褒め言葉)。
帰路は乗客も少し減り、車内が落ち着いたので、窓を開けたりしながら楽しんだ。
帰りに気付いたのだが、留萌の一つ手前、大和田の辺りまで自動車道が伸びているようである。これがこのまま伸びると…嫌な予感がした。
↑ここでようやく昼食。普通の助六ながら、漬物のアクセントもあっておいしかった。↑峠下駅で列車交換。
14時28分に深川に着く。ちょうど3時間20分かけて深川から留萌本線を往復したことになる。
↑深川駅舎。 ↑駅前ロータリー。綺麗に整備されている。
ここからは札幌へ戻るのみだが、まだひとつ、目的が残っていた。それは711系への乗車である。函館本線の電化以来道内を走り続けてきた711系も、老朽化に伴う置き換えで2014年度中に廃止になるとのことであった。私は711系はまだ乗った事がなかったので、今回の旅行を最後のチャンスととらえて乗るつもりであった。運用は最後まで分からず、このあと札幌に帰るのに乗る滝川始発15時37分の普通電車に充当されていることを願うばかりであった。
ひとまず滝川へ、スーパーカムイ28号で向かう。例によって自由席である。30分に1本の割合で走っているせいか、席には難なく座れた。
↑深川駅の改札。電光掲示が特急だらけ…。 ↑今度は電車。
滝川では待ち時間が40分ある。そこで、カメラの電池を買うついでに駅前を散策した。深川と比べると高い建物が多く、街ぽさを感じる。が、その街に人がいない。上述の駅前の写真にスマイルビルという昭和を感じる駅前ビルヂングがあったので、入ってみたが、想像通りだった。
テナントがスカスカ…とまでは言わないが、かなり苦労している感じが伝わる閑散ぶりで、買い物客もほとんどおらず(平日の午後だからかもしれないが)、2階には100円ショップが1フロアほぼぶち抜きで入っていて、失われた20年を体験することが出来た。デフレが早く収まりますように…
↑スマイルビル外観。 ↑こちらは駅方面から撮った。上階にはレストランフロアがあったようだが…
その100円ショップで電池を調達して駅に戻る。すると、ホームには期待通り711系が入線していた。喜びを抑えきれず、いそいで改札を通り、ホームに向かう。
↑赤い塗装が目にまぶしい。おでこのランプも特徴的。 ↑寒冷地らしくデッキが備わっている。373系に見習ってほしい…
↑車内は想像と違い急行型ではなかった。セミクロスに近い。 ↑座席脇のテーブルが長距離運用を感じさせる。窓は2重。
↑運転台を頑張って撮った。 ↑所属と定員。
↑2重窓を開けるのには苦労した ↑冷房車アピール。発車してしばらくしたら冷房が入った。
写真を思う存分撮り、自席に戻る。冷房が入っておらず少し暑かったので窓を開けたが、まだ9月末なのに窓が2つとも閉まっていたので、開けるのには苦労した。窓を開けると、発車後には心地よい風と共に重厚なモーター音も入ってくる。しかしそのうち冷房が入ったので、1つ目の窓は閉めた。2つ目の窓は上げたままにしておいた。
3両編成であったが、滝川発車時点で客は各車両2〜3名程度だった。しかし途中駅で下校の学生たちが次々と乗車し、程よい混雑になった。もっとも各ボックスが埋まる程度で、私のボックスには最後まで人が来ず、ありがたいことに旧国鉄のボックスシートを終点まで堪能できた。16時21分岩見沢着。
↑岩見沢到着。 ↑向かいのホームから編成写真を撮ってみた。
岩見沢駅は綺麗な建物だった。近年建て替えられたようで、書店や旅行会社、道教大のサテライト、はては札幌弁護士会の相談センターまで入居する駅ビルになっていた。ちなみに岩見沢には北海道教育大学の岩見沢校が所在している。他の道教大の所在地が函館、釧路、旭川、札幌なので、岩見沢が昔はどれだけ栄えていたか、というのが伺える。
岩見沢校は美術系に特化しているようで、駅ビル内のサテライトでは生徒の作品を展示していた。余談だが母校の憲法学者は、初任地がここだったようである。教育大に憲法学者?と思われる向きもあるかもしれないが、教職には憲法が必修なのである。憲法だけでなく他の法も学んでほしい、と思うのは管理人だけであろうか…。
↑まるで美術館か大学に見えるが岩見沢駅である。 ↑まるで美(ry
ここから札幌へはいしかりライナーに乗る。しかし当初予定していた16時35分の列車は新型のロングシート車だったので、1本飛ばす。仕方なくカムイに乗ろうかと考えていたが、次に来た17時5分発のいしかりライナーが721系だったので、大喜びしながらこれに乗る。さらにうれしいことにuシート車両が付いており、自由席扱いされていたので迷わず乗りこむ。喜びのあまりすべての座席を札幌方面に直していたら、乗りこんできたお姉さんが「何だこいつ…」という視線を投げかけてきたのでとても恥ずかしかった。
↑これが来た時にカムイは私の頭の中から消えた ↑ヘッドレストが大きくて贅沢な感じがする。
↑きちんと自由席表示に切り替わっている。 一般車もこんな感じなので、関東のグリーン車や南海特急と比べるとあまり差別化出来ていないような↑
この列車のお蔭で、今日の旅の〆を石狩平野に沈む夕日を眺めながら、好きな音楽を聞くという至福の時間を過ごすことが出来た。ラッシュと逆のためか隣に人も来ず、札幌には17時43分に着いた。
←雄大だ…
この日はJRインというJR北海道系列の宿に投宿。夕食には大通まで出てジンギスカンを楽しみ、翌日、いよいよこの旅の本命であるトワイライトエクスプレスに備えるため、BSで酒場放浪記を観た後、日付が変わる前に就寝。
つづく
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