このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
Station Fermée メトロ廃駅パリのメトロには、今では使われていない廃駅がいくつかあります。
当然電車は通過しますが、普段は暗い壁しか見えない窓の外を注意深く見ると、突然ぽっかりと駅の跡が見えます。
また「閉じられた駅」のほかにも、実際営業している駅でも使われなくなった幻のホームや、出口自体が存在しない作りかけの「幽霊駅」もあります。これらのいくつかは第二次世界大戦(1939.9.4.)における営業削減や、駅間が短いなどの理由で閉じられたものです。
完全に通過してしまう廃駅
廃駅の中ではもっとも大きな駅。8番線と9番線が並行して通るRepubliqueからRicherieu-DrouotまでのGrand Boulevardの中の一つです。 Saint Martin サン・マルタン
Ligne 8 et 9 entre "Repubrique" et "Strasbourg-St.Denis"
1933年に開業しましたが、1939年の開戦までわずか6年しか使われなかった駅です。現在、駅の一部(東方面)は冬季のホームレス収容施設として使われています。
ホームレス収容施設の入り口となっている東側の入り口。電車の窓から覗くと、この収容施設のため目前にシャッターが下りていて、写真を取ることが出来ません。
もっとも見甲斐のある部分は9番線の西方面(dir: Pont de Sevres)でしょう。西側の入り口は、門で閉ざされています。 サン・マルタン門。パリがまだ内側までしかなかった頃の、城壁門の跡です。 同じくサン・ドニ門。
Place Croix Rouge(かつて赤十字があったのでこの名前が残る広場)の奇妙な騎馬像の下に存在。 Croix Rouge クロワ・ルージュ
Ligne 10 entre Sevres-Babylone et Mabillonここから4番線の通るサン・シュルピス教会の広場までは、アニエス・ベーなどのブティックが並ぶちょっとした買い物通りになっているので、ウィンドーショッピングを楽しむ観光客の立場としては残しておいて欲しかった駅ですが、実際は短距離に駅が集中しているため、1日に400人ほどしか使わなかったそうです。
現在は地上部からの入り口に巨大な換気扇が備え付けられています。一見普通の舗装道路として通り過ぎてしまいそうですが、金網の中を覗き見るとメトロの入り口だった名残の白いタイルが見えます。
セーヌ川からサンマルタン運河への出入口となるアルスナル河畔には多くの船が係留されています。やはり駅間が短いと言う理由で閉じられた駅です。 Arsenal アルスナル
Ligne 5 entre "Bastille" et "Quai de la Rapee"
現在はメトロ職員の電気工事研修用に使われています。昔の駅長室がそのまま残されています。 高速シャッターで撮影。蛍光灯と、昔の白熱電球が並んでいます。 アルスナル港。(Bastille駅から撮影)
セーヌ川からサン・マルタン運河への入り口です。ここから長い地下水道トンネルを通って運河へとつながります。
シャン・ド・マルス公園の南正面にも廃駅があります。 Champ de Mars シャン・ド・マルス
Ligne 8 entre "Mauvert Minitualite" et "Ecore Militaire"
(公園北正面エッフェル塔前に位置する現役のRER−C線Champ de Mars - Tour Effel駅は別物。)
いくら駅間が短いとはいえ、シャン・ド・マルス公園、軍事学校、そしてエッフェル塔に面したこれだけシチュエーションの良い駅を閉じてしまっているのはもったいない気もします。
しかし軍事学校(Ecole Militaire)の目の前にあるのでテロ防止など治安上の理由かもしれません。
この駅を含む多くの廃駅が閉じた時期は、フランスがナチス・ドイツの宣戦布告を受けた1939年9月4日の2日前、9月2日です。
戦争の影響が現在まで続いていると言えるでしょう。かつての入り口はCroix Rougeのように完全にふたをせず柵で囲ってあるのみで、開業当時そのままの姿がしのばれます。