このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


                              出会い 1

     
                         英虞湾を案内してくれた誠実な気持ちのよい船頭
              
離島には、昔の良き時代の日本が残っている。良き時代の日本は貧しかったが心は豊かであった。離島に入るとそんな豊かな出会いにめぐり合う。そんな出会いを求めて志摩の「賢島」周辺を歩くことにする。

「賢島」に着いて、船をチャーターし、「多徳島」経由「間崎島」を目指す。チャーターした船は、何、これ?というほど殺風景な船である。だが、船頭は親切で気持ちがいい。言葉は少ないが人の良さが伝わってくる。

「多徳島」は御木本幸吉が初めて真円真珠を作るのに成功した島である。だが、今は無人、くずれかかった研究所跡などが残っているだけ。島に上がると、草木が茂り、荒れた薮山の雰囲気がある。無人島という感覚がいい。船頭の案内で、身の丈ほどの草をかきわけて歩く。

「多徳」を出て「間崎」へ行く途中、キンキラキンの大きな観光船に出会う。どうも俗でいけない。ちっちゃな船だが、こうして気に入った船頭と行く方がずっといい。船頭が英虞湾を一周してくれたが、ちっちゃな船だけに観光船の行けない領域まで入ることができる。愉快である。気のいいこの船頭との出会いに感謝する。

「間崎島」は今まで訪れた離島とはちょっと違った雰囲気をもっている。普通、離島は、港付近に小さな家が密集し、細い小路が迷路のようにつながっている。だが、この島は奥までゆったりと大きな家が続いている。聞けば真珠養殖で潤った時の名残だと言う。ただ、この島も老齢化だけは避けられないようで、島の唯一の小学校も閉鎖されると言う。途中、畑仕事をしている年寄りと言葉を交わしたが、帰りに家へ寄れ、と言い、場所まで教えてくれる。「お茶でも」というのである。帰りにそこを通ったが、見ず知らずの身、どうも寄りにくい。出会いにも今様の分別が邪魔をする。

         
                                                 賢島大橋(夕日ケ丘付近から)
           
「賢島」に宿をとる。正直言って「賢島」は、志摩などの観光の中継点で、旅館、ホテルの街という認識しかなかった。ところが宿の女将に出会って、散策する自然があるのを知る。女将自身手作りの地図もある。それで、歩いてみる。すると、驚いたことに実に豊富な緑ときれいな海がある。島であることを認識する。女将に出会っていなければ、この自然は勿論、島であることも知らずにこの賢島を去っていたであろう。また、「多徳島」を知ったのも女将のおかげである。最初の予定にはなかった。やはり出会いは貴重である。

「渡鹿野島」はあまり評判のよくない島である。いかがわしい名前で呼ばれている。もっとも、そのことを知ったのは近くへ行ってからである。そして、確かに港のあたりにはそんな雰囲気がある。だが、奥に入ると結構自然がある。ただ、そこで道がわからなくなる。それで畑を耕している人を見つけ道を聞く。畑の人はけげんそうに顔をあげると、こちらのリュック姿を見、「反対に来たねえ」と、笑う。そして、すぐ仕事を中断し、先に立って案内してくれる。「わかりにくい所だからねえ。」とのこと。実に親切である。この出会いがなければ、港付近のいかがわしい看板だけを思い出し、「ああ、 やっぱり」、で終わったところである。こんな出会いは、ちょっと驚き、ちょっと楽しい出会いである。   

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