このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
だが、ともかく自転車は無事帰ってきた。確かにフォークは形も色も違う。みかけはよくない。だが、満足である。自転車屋は「1万円ちょっとだせば、新品が買えるのに。」 と思ったのであろう。だが、怪我をさせておいてそのままご臨終では、気が重い。数年すれば寿命が来るかもしれない。それならそれで天寿まっとう、廃車 もよい。「それまではお互いに頑張ろうや。」 そう言って自転車のサドルを ポンと叩く。まだまだ、センチな気分が続いているらしい。
自転車
生き返った自転車(佐鳴湖にて)
自転車がこわれる。それもフォークにダメージ。致命傷である。自転車屋へ持って行く。「古い奴だから、部品があるかなあ ー?」 自転車屋は首をかしげる。案の定、2日後、「部品がなくて直しようがな いんでネ。8年前の奴じゃー。」 と 、言う電話。「ああ、もう、8年にもなるのか。」と、妙に感傷的になる。「あの自転車でどれほど浜名湖周辺を走ったことか。」
ふと、自転車屋に一人残してきた”愛車”のことを思う。
「愛車?よく言うねー。それほど可愛がったのかよ。」 どこからかそんな声が聞こえて来る。
「でも、海辺、山道、暑い日差しの中、冷たい風 、ともかく苦楽を共にしてきたんだ。 」
「苦楽を共にした、 キザだねー。」 また、声が聞こえて来る。
「だが、廃車しかないじゃ、寂しいじゃないか。」
「それはそうだ。」 今度は、声も好意的である。
自転車屋へもう一度出かけていく。「なんとかならない?」 「同じフォークがないんで。」 「メーカは別でもいいし、色も形も違って構わない。」「他もだいぶガタがきているから1万円ぐらいかかりますよ。」 「いいよ。」 「じゃ、他にあたってみましょう。」 翌日、電話があって「部品は何とか合いそうですが、あまり格好よくないですよ。」 「いい、いい、生きかえれば。」 この最後の言葉が分からなかったらしく、「エエッ。」 という言葉が電話越しに聞こえてくる。
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