このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
遠くで若者達がサーフィンをしている。最近は平日でもサーフィンに遊び興じる若者が多くなった。ふと、戦時中のことが頭をよぎる。先輩の話を思い出す。先輩の両親が米軍の空襲で死に、その遺体をリヤカーにのせ、海岸までひっぱって来たという話である。自分で両親を焼くためだったのである。近所の人が海岸に打ち寄せられた木を組んで、焼き場を作ってくれたそうだが、焼いているうちに、突然、遺体がピンとはねたのには驚いたと言う。だが、その時は、それ以外何も感じなかったとのこと。わかる気がする。先輩は、当時、まだ中学生であった。 海は、悠久の時の流れの中で、沢山のものを見てきたのだろう。だが、青い海は、白い波を岸に送り続けるだけで、一言も喋らない。どういうわけか、そのことに不満を感じて、海のかなたに目をやった。白い雲がゆっくりと流れていた。だが、大きな海はやっぱり動かなかった。
カニ
穴から出てきたカニ
海を見るのが好きである。それで、よく、自転車で30分ほどの海に行く。波打ち際に一人座り、青い海、白く砕ける波を前にすると、いつも心が落ち着く。寄せては返す波はひとつとして同じことはないが、その背後に広がる大きな海は微動だにしない。
その海岸でカニの穴を見つける。懐かしい。子供の頃には、どこの海岸でもよく見られたものだが、最近では珍しい。中にいるカニを見たくなる。それで、子供の頃やったように、その穴に乾いた白い浜砂を流し込む。 それからゆっくり掘り始める。湿った黒い砂の中に流し込んだ白い砂が浮かびあがり、掘っていく道を教えてくれる。まもなく硬いものにぶつかる。カニである。一瞬、はさみに挟まれるのではないかと不安にはなる。でも、思い切って掘り出すと、きれいなカニがでてくる。かわいい。一瞬、子供時代に戻る。そして、貝のことも思い出す。昔は早朝に来るといい貝が打ち上げられていて、拾って帰ったものである。勿論、今は見たくても無い。
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