このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
かなり離れた南の方に湖があるが、その湖にそそぐ川からさかのぼると「椎の木谷」に入ることができる。川は「新川」と呼ばれ、湧水が豊富で、この一帯で一番きれいな川だと言われている 。だが、御多分に洩れず周囲から流れ込む変な水も多く、今ではその評判もあやしい。 「椎ノ木谷」は、上から見たほど荒れていない。川沿いに細い道がついていて、まわりも平坦で、畑や田もある。だが、それを越えて藪の中に入ったら、何がどうなっているかわからないに違いない。 すぐにお年寄り同士の話がはじまる。「この頃、あそこにタカは来んて。」「おめえんとこで大きな火を焚いたんでなあーー。」「ああ。」「だが、新しい巣が広場のとこにできた。」 二人はすっかり話しこんでしまう。私のことはすっかり忘れているらしい。しばらくして、「じゃ、新しい巣でも見に行くか」、と二人が腰をあげたところで、私に気がつき、怪訝な顔。それで、私もそれを機に退散。 帰りに、町が近くなった頃、男の子に出会う。「こんにちは」と、声をかけたが、男の子は知らん顔で足早にすり抜けていった。学校でそうするよう教えられているんだろう。 どうやら、あの「椎の木谷」だけが町の中からすっぽり抜け、悠々たる時の流れの中に身を沈めているらしい。
椎ノ木谷
椎ノ木谷のカブトムシ
上から見ると、ぼうぼうと茂った藪の間に、一筋のきれいな川が見える。そして、すぐ目の前には赤さびた掲示板がある。「この付近一帯は・・・・次にかかげる行為をしようとするときは ・・・・市長の許可・・・・」
なんともアンバランスな、いや、なんともバランスのとれた荒れた谷、これが「椎の木谷」である。
川沿いの道を歩き続け、小さな橋を渡り、急坂を登ると広場にでる。そして、そこで仕事をしているお年寄りに出会う。
話してみると気安いお年寄りで、この谷にいるカブトムシを見せてくれる。一匹の成虫と、四匹の幼虫がいる。さすがこれだけのものを一度に見たことはないので、思わず「 うーむ。」と、眼を近づける。確かに自然が豊かである。オオタカの巣もある、と言う。指差してくれた方をみると、確かに巣らしきものはあるがよくわからない。
もっと大きな巣があるからと、先に立って案内してくれる。途中でホタルの飛び交う田んぼも教えてくれる。どこまでもひとがいい。オオタカの巣が見える所にくると、今度の巣は大きいのですぐわかる。
そこで、もう一人のお年寄りに出会う。
「おひとよし」と「知り合いのきずな」が同居する昔の世界に紛れ込んでしまったようである。そういえば、ここでは、単なる通りがかりの私に、畑仕事の女が「こんにち は」と声をかけ、「こんにちは」と、答えると、相棒の男がまた、「こんにちは」と、声をかけてきた。時の流れが止まった世界がここにある。
嫌な世の中になったものである。
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