このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

                               
                          
寺めぐり 2

                              
         この朱印を押してくれた寺は実によかった。それは朱印の押し方にも現れている。              

浜名湖岸八十八ヶ所めぐりも、たくさんまわるようになると、時々、不快なことに出会う。面倒くさそうに朱印を押す寺がある。何度行っても留守で、仏に留守番をさせているんじゃないかというような寺もある。もっとも、 奉納經をもって寺をまわるほうも悪い。どんなに鮮やかな朱印に魅せられても、それはちょっと宗教心とは遠い。心のどこかに、シールがほしくて夏休みのラジオ体操に行く子供のような心境 がある。

寺の中には多角経営で金儲けに専念している所もある。もっとも、宗教は現世の利益を願うところから生じた一面がある。昔の加持祈祷には、病の平癒に始まって憎き者への呪いまである。寺で賽銭をあげて祈ること言えば「ーーーお願いします。」である。あまりひとのことは言えない。ただ、弱き人間の心から宗教が生まれたことも事実である。強い人間には神仏は要らない。八十八ヶ所をまわる人の中には悩みをかかえ、仏に一縷の救いを求めている人もいるだろう。やはり、寺はそうした人の救いの場であってほしい。留守寺では弘法大師を拝めない場合がある。金儲けの寺では悩みを聞いてはくれないであろう。

「八十八ヶ所めぐり」の副題に新四国と言う文字がついている。多分、四国のお遍路さんブームにちなんで寺を集めたのだろうが、数が多いせいかすごくいい寺と悪い寺が混在している。いい寺にめぐり合うと、ほっとして手を合わせたくなる。

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