このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
田舎の寺は昔のままである。多分、何かあれば村人はまず住職に相談に行くのだろう。住職も決して威張っていない。昼時に寺を訪ねた時、住職が、丁度、ミカン畑から帰ってきたばかりで、野良着姿である。そこらのお百姓さんとちっとも変わらない。そして、同じ野良着姿の 女の人、 「御朱印は着物を替えてから押しますからね。」と言う。忙しいひと時である。申し訳なくなる。「着物、そのままでいいです。」と言うが、着替えて出てくる。ここでは朱印にそれだけの威厳があるのだろう。その上、帰り際には、「よく来てくれたねー。」と、言って収穫してきたばかりのミカンを二つのビニール袋につめてくれた。 もっとも、街でも昔ながらの雰囲気を感じさせてくれる寺もある。ある寺では留守居をしていた白髪の老婆が、「よくいらっしゃった。」と 、言い、大師堂まで案内してくれたが、歩き方がぎこちない。目が不自由なのである。だから戸を開けるのにも、手で鍵穴を探りながらである。だが、戸が開くと、そこにはりっぱな大師像が祀られている。土地の人が昔寄進してくれたものだという。「この大師様をお迎えに行き、列車にお乗せした時は、ちゃんと大師様の運賃も支払ったんです。荷物にしてはいけないと思ってー。」と言う。ここには、まだ、昔が残っている。
寺めぐり 3
寺のある村
街の寺を離れて、また、田舎の寺をまわり始める。八十八ヶ所めぐりともなると、さすが道に迷うことも多い。それで、よく寺までの道をたずねる。そして、田舎と街の違いを改めて実感する。田舎では、村人は、最初、よそ者を警戒する。だが、寺のことを聞くと急に親しげになり「お寺さんはーー」と、敬愛をこめて教えてくれる。街ではこうはいかない。「寺?知らんね。」である。たとえ知ってる人に出会っても、素っ気ない。こういう雰囲気では寺も変わるはずである。街の寺を責めてばかりはいられない。
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