このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

特別ルポ:さよなら「あさかぜ」





*予想もしなかったニュース
2004年の11月だったか・・・「あさかぜ」と「さくら」を2005年3月で廃止するというニュースが流れました。
「あさかぜ」と言えば、ブルートレインの草分け、日本を代表する長距離夜行特急です。
まさか廃止になるとは・・・・その衝撃は、計り知れないものがありました。

故郷が山口にあるOKIと違い、私は東京生まれで、これまで「あさかぜ」に乗る機会はありませんでした。
鉄道研究会に所属していた学生時代、24系「ゆうづる」で上野から盛岡、
同じく24系「日本海」で秋田から京都、24系25型(だったと思う)「出雲」で静岡から松江(だったかな)、
そして20系が使用されていた急行「銀河」で大阪から東京・・・これが、ブルートレインに乗った全てです。

以来20年以上・・・・ロビーカーもソロも知りませんでしたが、
このニュースで「なくなる前に一度乗っておこう」という気持ちが高ぶってきたのです。

*決行
年末年始を避け、マニアで混雑することが予想される廃止直前も避け・・・・
決行日に選んだのは、2005年1月14日です。
小学生の息子とふたりで、広島まで乗車することにしました。
広島より手前だと朝早すぎるし、それより遠いと帰りが大変です(^-^;

2004年12月中旬、インターネットから予約をすると、いとも簡単に予約できました。
廃止になるということで、マニア利用者が増えるかなと、多少の覚悟はしていたのですが。。。

そしてついに、2005年1月14日を迎えました。
生涯最初で最後の、特急「あさかぜ」乗車です。

*ルポ・・・

東京駅10番線。
発車時刻の10分前、EF65PFに牽かれた9両編成の客車が入ってきました。
もうちょっと前に入ってきてくれないと・・・撮影の時間が少なすぎです!
ホームを走って、先頭車まで行くと、既にたくさんのマニアがカメラを構えていました。


昔は駅まで牽引してきたロコを、10番線の横にあった機回し線(11番線)で、
下り方向に付けかえていたのですが、今はそこは新幹線ホーム・・・・
品川方面から、本務機EF66が登場します。この日は50号機でした。
ロコの登場で、いっせいに撮影が開始されます。
しかし、発車までもう数分しかありません!急いで乗車しなければ・・・


4号車は、客車なのにパンタ付きの、スハ25ラウンジカーです。
偶然この1週間後、 模型を入手 する事になります。。。


B寝台の車内。
学生時代から20年以上も経ったのに、この車内は何も変わりませんでした。
もはやレトロとさえ思えます。
なんだか・・・昔にタイムスリップしたような雰囲気です。


上段と下段。
車内は清潔に保たれていますが、どうしても「古さ」は否めません・・・
下段は座席としても使用する前提で設計されていますが、ヘッドカバーの布は省略されています。

乗車の数日前、品川駅を通過する「あさかぜ」を見た時は、
1車両あたり2人乗っていればよいという惨状でした。
でもこの日は金曜日ということもあってか、家族連れなどで意外と賑わっていました。
ラウンジカーなどは、発車前に既に席取りが終わっていたくらいです。。。(^-^;

しかし19時東京発なら、新幹線を使えば当日中に広島まで行くことが可能です。
旧さだけではなく、こういったところにも、利用者減の原因もあるのではないでしょうか。
JR各社にとって、手間がかかって定員の少ないブルートレインよりも、
新幹線を使ってもらった方が儲かる・・・ということなんでしょうか。


乗車したのは5号車、オハネ25171でした。
「あさかぜ」引退後は、どうなるのでしょう?


列車内をすみずみまで息子と探検しました。
喫煙車には、昔懐かしいJNRマーク入りの灰皿が常備されています。
しかも・・・それがなぜかピカピカでした。

洗面所は旧い陶器製。
レバーを捻っている間にしか水が出ないので、両手を揉み洗いすることができないという、
不便な構造が懐かしいです。
2つの洗面の間にあるのは、今じゃ使う人がいるのかどうかわからない・・・タンツボでしょうか?


3号車は個室A寝台。
20系時代のあさかぜは、1人個室、2人個室、開放型と、いろいろなタイプのA寝台車が連なる豪華編成で、
「走るホテル」と呼ばれたものでした。
それから考えると、A寝台車が1両だけのモノクラス編成は・・・淋しいものがありますね。

写真にはありませんが、最後尾のオハネフ25は、「展望車」になっています。
貫通扉のところまで行けるので、去り行く線路を眺めることができるのです。
昔24系に乗ったとき、全く眠れず・・・そこでしばらく線路を眺めたことを思い出しました。


いつまで経っても寝台のセッティングはしてくれません。
3台寝台の頃は、確か21時頃だったと思いますが、
数名の作業員がやってきて、ドタンバタンと寝台をセットしてくれたもんですが・・・
自分でシーツを敷き、枕を置いて・・・・味気ないもんですね。


通路の上には広大な荷物置き場があります。
反対側には寝台上段があり、網棚を設けることができない構造だから、ここに置くのでしょう。
これは、20系の頃から変わっていません。


夜遅くまで利用者が多かったラウンジカー。
もうすっかり・・・喫煙所&宴会場という感じになっていました。
4つ(?)あるボックスのうちのひとつは禁煙席でしたが、
車内にはパーテーションも何もないので、煙は車内に充満します。
非喫煙者はここではくつろげないと思います。。。

隅には車販コーナーがありますが、固く閉ざされていました。
昔はここで軽食やアルコールも買えたのでしょうか。
そういえば終点まで、車内販売すら来ないと聞き、それも淋しかったです。


ラウンジカーの片隅にあった、シャワー室。
結構利用されていました。利用者がいるので、内部は撮影できませんでした(^-^;

ひととおり撮影し、車内の探検も済ませた私と息子は、22時半には就寝することにしました。
夜行列車というものは、どうしても音や揺れで目が覚めてしまうもの・・・
ぐっすりというわけにはいきませんが、それでも結構眠れました。
心配された息子も、日付が変わる頃から5時頃までは眠れたと聞き、ほっとした次第です。

それにしても、車内は暑かった。。。。
寒くて凍えるよりは数倍マシではありますが。。。


まだ真っ暗の広島駅で。
東京よりかなり西にあるので、6時半を過ぎてもこの暗さです。
(右写真に写りこんだのは・・・一緒にあさかぜに乗ってきた、マニアのひとりです。邪魔だっつぅの)

降りるときに確認したら、B寝台の下段はほぼ満席、A寝台も満席でした。
新幹線の終わる時間帯に停車する浜松や名古屋で、結構乗ってきたところを見ると、
やはり新幹線や飛行機をうまく補完できる時間帯に走らせるべきではないかなと思いました。
加えて、料金を下げるとか、逆に豪華にするとか、何らかの手を打たないといけないでしょうね。

昭和時代の車両のまま、場末の安ホテルのような雰囲気では、衰退するのも仕方ないと思います。


さようなら「あさかぜ」・・・
この姿を見られるのも、あとわずか。。。






このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください