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国鉄特急 |
<本州>
あいづ 〔AIZU〕 EC特急 2007年8月25日更新 2012年8月18日更新( 写真追加 ) 2012年9月2日更新( 写真追加 )
東京と福島県東部を直通で結んでいた特急、運転区間は上野〜会津若松間で、東北本線で北上後、郡山で分岐し磐越西線で西に進み、会津若松に達していました。東北新幹線開通後も300km弱の運転距離であることから、しぶとく存続していましたが、1993年11月末で一旦、廃止されました。その後、あいづは、複雑な経緯を辿りながら、現在に至っています。
写真は上野駅に到着した上り特急あいづ、先頭車は485系クロ481です。1976年頃にToyoshima様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
特急<あいづ>485系 上野駅にて 1976年頃 Toyoshima様撮影
写真は川口付近を走行する特急あいづです。この頃の編成は9両編成で、先頭車はクハ481、4両目は食堂車サシ481も見えます。1976年頃にToyoshima様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
特急<あいづ>485系 川口付近にて 1976年頃 Toyoshima様撮影
写真は、EF65とすれ違う特急あいづです。車両は485系ボンネット、文字マーク。1976年頃にToyoshima様が撮影された貴重な写真を掲載しています。
特急<あいづ>485系 1976年頃 Toyoshima様撮影
写真は上野駅で出発を待つあいづ、1976年3月に撮影、先頭車はクロ481、485系、この頃のヘッドマークはイラスト無しで、写真の様に、かなりくたびれた物が使われていました。
特急<あいづ>485系 上野駅にて 1976年3月25日撮影
下の写真は、快走する485系下り特急あいづです。車両は485系200番台、列車は1037Mレ、鶯谷〜日暮里間にて、1984年3月にTakazawa様が撮影された写真を掲載しています。
特急<あいづ>485系 鶯谷〜日暮里間にて 1984年3月 Takazawa様撮影
下の写真は、JR化直後、1987年8月に郡山駅に停車する485系特急あいづです。デジアナ様の写真を掲載しています。
特急<あいづ>485系 郡山駅にて 1987年8月 デジアナ様撮影
下の写真は、特急あいづの先頭車で、JNRマークとJRマークが、共存している貴重な写真です。これもデジアナ様の写真を掲載しています。
特急<あいづ>485系 郡山駅にて 1987年8月 デジアナ様撮影
下の写真は、上野駅に停車する485系下り特急あいづです。車両は485系1000番台、列車は1037Mレ、上野駅にて、JR化後の1988年4月にTakazawa様が撮影された写真を掲載しています。
特急<あいづ>485系 上野駅にて 1988年4月 Takazawa様撮影
特急<あいづ>485系 上野駅にて 1988年4月 Takazawa様撮影
下の写真は、特急あいづのイラスト入りHMのアップです。会津の磐梯山と猪苗代湖をモチーフにしたデザインです。1988年4月にTakazawa様が撮影された写真を掲載しています。
特急<あいづ>485系 上野駅にて 1988年4月 Takazawa様撮影
その後、1993年12月からは、ビバあいづと愛称を変更し、磐越西線内の郡山〜会津若松間にて運転され、2002年3月23日からは、土曜日、休日に限り、ホリデービバあいづに愛称が、変更されました。
2002年12月1日には、ビバあいづは、特急あいづに、愛称が変更となり、特急あいづは復活。ホリデービバあいづは、ホリデーあいづとなりました。ところが2003年10月1日から特急あいづ、ホリデーあいづは廃止され、快速列車に格下げされ、愛称もあいづライナーとなりました。2004年10月16日からは、快速あいづライナーは廃止され、愛称を持たない快速として運転されました。
2005年7月1日〜2005年9月30日まで、会津観光キャンペーンとして、特急あいづは、期間限定の季節列車として運転されました。この夏季の観光キャンペーンは、毎年続いているため、季節列車として、特急あいづは、存続しています。又2007年からは、485系による快速あいづライナーも復活しています。
あいづは形態を複雑に、変えながらも首都圏と会津を結び続けている列車です。
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