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ローカル私鉄紹介
別府鉄道 更新 1997.8.15 PAGE 1
このページでは兵庫県、加古川市にあった別府(べふ)鉄道を1977年に訪れた時の様子を紹介します。
別府鉄道は大正10年(1921年)に別府軽便鉄道として誕生し、創立者、多木久米次郎の経営する多木化学の積み出し線として、又地元の人々の足として長い間、活躍してきましたが、1984年1月末に廃止されました。
路線は別府港と山陽本線の土山駅を結ぶ4.0kmの土山線と、別府港と高砂線(廃止)の野口駅を結ぶ3.6kmの野口線からなり、V字型の路線を形成していました。
軌間は1067mmの標準軌(JRと同じ)で、非電化、単線でした。この2線が交わる別府港駅から別府港まで貨物の積み出し線が延びていました。
別府鉄道へは近くを通っている山陽電鉄の駅から別府港駅まで歩いて行きました。
キハ101、別府港駅にて
別府港駅に到着すると野口行の 気動車キハ101が発車するところでした。この気動車はすぐ近くを走っていた片上鉄道よりやってきた車両で、別府鉄道の中では近代的な車両でした。この頃の非電化のローカル私鉄では国鉄の古い気動車がよく使われていて、このキハ101も元は、国鉄のキハ41057で、片上鉄道キハ301として使用された後、別府鉄道に移籍されました。近代的といっても、1934年製です。
気動車キハ101の出発後、土山線の列車が別府港駅にやってきました。小さなディーゼル機関車にオープンデッキの2軸の客車が連結された列車で、なんともレトロな編成でした。
土山線の列車 DB201+ハフ7
土山線は貨物輸送が中心で、旅客輸送は貨物列車に客車をくっ付けて行われていましたが、貨物輸送がない休日はディーゼル機関車と客車だけの編成が見られました。
客車 ハフ7
このオープンデッキの客車は別府鉄道の名物車両のハフ7で、この様な古典客車が現役で働いている姿には驚きました。
ハフ7は木造で元は神中鉄道(現在の相模鉄道)のハ24として1926年に製造され、その後三岐鉄道のハフ16として働き、別府鉄道にやってきました。
別府鉄道の車庫は別府港駅のすぐ隣にありました。
別府港駅周辺と客車ハフ7
訪れた時は冬で、周囲に人影はほとんどありませんでした。又この頃、別府鉄道を訪れる鉄道ファンはほとんどなく、この時も他に鉄道ファンの姿は見ませんでした。
写真で左奧に車庫の入口があり、車庫は赤茶けた古いトタンで囲まれていました。
別府鉄道、車庫全景
車庫に入るとバケット付きの気動車や客車、ディーゼル機関車が停車されていました。
車庫内 キハ2、DC302
別府鉄道には、野口線用の気動車として、バケットカーが2両在籍していました。
車両の前後に荷台が付いている古典的な気動車です。
写真のキハ2(上)は元は三岐鉄道のキハ5で、1930年に日本車輌で製造されました。
バケットカー キハ3
このキハ3も元は国鉄のキハニ40605で、1930年の日本車輌製です。
さらにこのキハ3は国鉄小海線の前進、佐久鉄道の車両で、佐久鉄道の国有化に伴い国鉄に編入された経歴を持っています。
何度も車番を変更し三岐鉄道を経て別府鉄道にやってきました。側面に荷物室の痕跡が残っています。
客車 ハフ5
客車はハフ7の他にハフ5が使われていました。写真の2軸の客車ハフ5も1930年の日本車輌製です。
別府港よりハフ7に乗り土山に向かいました。編成はディーゼル機関車DB201とハフ7です。機関車は別府港に到着した時と逆向きに連結されていました。
土山行き列車
デッキを上がり、薄暗い客車内に入りました。客車には車掌さんが乗務していました。
別府鉄道乗車券
この様な切符が使われていました。この切符がこの時のものかは不明です。
別府港を出発した客車ハフ7はゴトゴト揺れながら進みました。決して乗り心地は良いものではありませんでした。又暖房もありませんでした。
土山駅に停車しているハフ7
約15分で土山駅の別府鉄道のホームに到着。無事、現代に生還したような感じがしました。国鉄山陽本線で帰路につきました。
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