このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ローカル私鉄紹介
筑豊電鉄 更新 1999.6.7 PAGE 1
西鉄北九州線の熊西から分岐し、筑豊直方までの15.4kmを結ぶのが筑豊電鉄です。路面電車スタイルの連接車が走る路線ですが、路面は無く、全線複線の専用軌道です。運転は西鉄北九州線の黒埼駅前まで乗入れています。
筑豊電鉄 筑豊直方〜感田 1980.9.3撮影
路線はJR筑豊本線の直方駅に近接する高架駅の筑豊直方駅より、すぐに写真の遠賀川橋梁(370m)を渡り、住宅地を抜けて北九州工業地帯に向います。このため今は北九州工業地帯への通勤路線の性格が強い路線になっています。
遠賀川橋梁を渡る西鉄1000形1027 1980.9.3撮影
訪れた時は写真の様に西鉄北九州線の連接車1000形が乗入れていました。この筑豊電鉄は1976年までは、自社の車両を持たず西鉄北九州線の電車が乗入れて営業運転を行っていました。
又この路線は、筑豊炭田地帯を経由して、北九州市と福岡市とを結ぶ高速鉄道として計画され、戦後、1951年に会社を設立し、1956年3月に熊西〜筑豊仲間が開通、1958年に筑豊仲間〜木屋ノ瀬、1959年に木屋ノ瀬〜筑豊直方が完成し、さらに、飯塚を経由して、福岡市を目ざして延長される計画でしたが、エネルギー革命による石炭産業の急速な衰退によって、路線延長は断念されました。
立派な遠賀川橋梁を見ると、この鉄道が福岡を目ざして建設された意気込みを感じる事が出来ます。
3連接車2000形2001、筑豊直方にて 1980.9.3撮影
写真の3連接車2000形2001は、福岡市内線の1975年11月の第一次廃止時に余剰になった連接車1301を購入し、中間車として北九州線の1000形を利用して組み合せ1976年に登場した車両です。1976年には同様の組み合わせで2001〜2005の5編成が登場しました。
3連接車2000形2006、筑豊直方にて 1980.9.3撮影
又、写真の3連接車2000形2006は1980年に北九州線の連接車3編成を購入し、組合せ改造し登場した車両で、同様の方法でこの年に2006、2007の2編成が登場し、3連接車は合計で7編成となり今も元気で活躍しています。
これらの3連接車は西鉄の路面電車の黄金時代を今も伝える車両です。又現在の西鉄北九州線の運行業務は1995年より、この筑豊電鉄が委託管理しており、さらに現在残っている北九州線も廃止の検討がされていて、この筑豊電鉄が西鉄路面電車の最後の砦となっています。又、筑豊電鉄は1988年より自社オリジナルで近代的な3000形を登場させるなどサービスを向上しながら、地域に密着した路線として頑張っています。
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