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        JR(国鉄)コーナー

   国鉄のつわもの   UP(1998.11.22)

なつかしい国鉄時代の機関車、列車等を紹介します。

クハ86 キハ81キハ391DD50DD54DF50EF52EH10

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* クハ86形1次形 

クハ86形は1949年(昭和24年)に誕生した“湘南電車”の80系の制御車で、1949年度形は写真の様な、半流線形の3枚窓で、登場しました。1950年度からは、あまありにも有名な、2枚窓の“湘南タイプ”となりました。80系は一世を風靡しましたが、新性能111系等の登場で、都会を追われ、晩年はローカル輸送で活躍していました。

r1101.JPG (21363 バイト)クハ86 1次形  1977.3.

写真は赤穂線で使用されていたクハ86形です。見慣れた“湘南タイプ”とは対照的なスタイルで珍しく、片上鉄道に行った帰りに、撮影しました。赤穂線、山陽本線の80系は1978年12月に引退し、飯田線でも1983年に引退しています。

* キハ81形

キハ81形は在来線の特急電車181系“こだま形”のディーゼル版として華々しくデビューした日本最初の特急用ディーゼル動車です。

キハ81特急“くろしお” 天王寺にて 1975年8月24日撮影

東北特急“はつかり”として1960年登場し“つばさ”、“いなほ”、“ひたち”を経て晩年の1972年5月からは、南紀をめぐる天王寺〜名古屋間の特急“くろしお”として活躍していました。特急電車181系のスマートなスタイルとは対照的な、いかついボンネットスタイルの先頭車が異色を放っていました。“くろしお”では、82系との編成で使用されました。

キハ81天王寺駅を出発する特急“くろしお”

キハ81形に続くキハ80形はおとなしい貫通式のスタイルとなりキハ81形は1編成6両のみにとどまりました。振子電車381系の登場まで活躍し 、1978年9月に引退、同9月30日にはサヨナラ運転が行われました。現在キハ81 3が大阪の交通科学博物館で保存されています。

くろしお天王寺駅に停車するキハ81“くろしお” (モノクロ)

* キハ391形(ガスタービン車)

国鉄は1971年に新しい動力方式としてガスタービン車391系を試作しました。3両連接車で、エンジンはヘリコプター用のものを使用、地方線区の特急用として田沢湖線、伯備線等で試験運転を行っていました。

ガスタービン車ガスタービン車(キハ391形)米子にて

その後石油ショックとなり燃費が悪いガスタービン車はこの試験車両のみで、実用化されませんでした。写真は試験終了後米子に留置されいた時のものです。同時期に試験を開始した振子電車が量産され発展しているのとは対照的な結果となりました。1986年には正式に廃止され、現在JR東日本大宮工場で、保存されています。

* DD50

DD50は1953年に登場した異色のディーゼル機関車です。このDD50は2両1組の重連運転が原則で外観は電気機関車EH10のディーゼル版でようでした。

DD50ディーゼル機関車DD50 米原にて

戦後初のディーゼル機関車で当初、北陸本線の柳ヶ瀬、木の芽峠で活躍しましたが、晩年は交直接続区間に使用され、米原機関区に在籍していました。1975年の廃止後、6両すべてが、米原機関区の転車台の付近にしばらく留置されていて、写真はその時のものです。この時すでに、ナンバープレートは外されていました。

DD50DD501 米原にて

潜水マスクの様な独特のスタイルをしていました。

* DD54

欧風スタイルのDD54は1966年に無煙化のエースとして登場したディーゼル機関車です。風貌も技術も西ドイツの流れをくむ機関車で異色の存在でした。三菱重工と西ドイツマイバッハ社の技術提携により開発され、メキドロ形液体変速機(DW5)と1820PSのマイバッハ機関(DMP86Z)を持ち、卓越したドイツの技術が採用されていました。

DD54DD5432 山陰本線 太秦にて 1977年撮影

華々しくデビューしたDD54ですが、製造当初より液体変速機等にトラブルが相次ぎ故障の修理もできないまま使用休止となるものもあり、1978年6月18日の播丹線645列車を最後に10年余りの短命で姿を消してしまいました。DD54が駅のホームに停車しているとその轟音と油の焼けた様な排煙はすごく、異様な迫力がありました。

* DF50

DF50は本線用ディーゼル機関車として1958年に登場しました。DD50を改良した電気式ディーゼル機関車で量産型大型ディーゼル機関車としては国鉄最初のものです。138両が製造され、四国を中心に山陰、日豊、紀勢各線で活躍して いました。凸型のディーゼル機関が多い中でスマートなスタイルをしていました。

DF50DF5019、DF501 高松運転所にて1980年撮影

DF50にはスイスのズルツァー機関とドイツのマン機関の2種類あり、前者はDF501〜65、後者はDF50501〜573と区別されていました。

瀬戸内を行くDF50瀬戸内を行くDF50 高松にて

四国で最後まで活躍していましたが、1983年8月末、予讃本線の定期列車を最後に引退、同9月25日には、高松〜高知間でサヨナラ運転が行われました。保存されていたDF501はJR四国により、車籍が復帰され、現在も健在です。

* EF52

EF52は1928年(昭和3年)に鉄道省と各メーカーが共同設計により誕生した国産初の本格的電気機関車です。全長約21mという超大型機関車でした。 旅客用機関車として、9両が製造されましたが、EF52 8、9の2両は後に、改番され、EF54となり、さらに戦時中に貨物機に改造され、EF14となりました。1949年(昭和24年)からは阪和線で準急を牽引し、晩年は竜華〜和歌山間の貨物を牽いて活躍していました。

EF52EF52 7 天王寺にて

写真は1975年8月24日のサヨナラ運転で急行「きのくに53号」を牽引するEF52 7(川崎重工業製)です。天王寺〜和歌山駅間の往復で行われ、往路は急行「きのくに53号」、復路は「きのくに54号」を牽引し最後の花道を飾りました。これまで電気機関車のサヨナラ運転は国鉄でも例がなく、EF52の功績を買われてのものでした。

少し以前までこの様なオールドスタイルの電気機関車が各地で走っていました。

* EH10

1954年(昭和29年)、増大する東海道の貨物輸送のために製作されたのがEH10です。わが国初の8動軸を持ち二両連結のマンモス電気機関車でした。登場以来、東海道、山陽本線から離れることはなく働きつづけましたが、1981年4月1日のEH10 12牽引の宇野発吹田操車場着3370列車を最後に引退。この写真は廃車のため、加古川に集められていたEH10です。なかなか渋い風貌をしていました。

EH10廃車を待つEH10

1980年12月の撮影


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