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ローカル私鉄紹介
京阪 交野線 更新 1998.11.9 PAGE 2
このページでは、春の交野線の美しい風景と、交野線の歴史について紹介します。古くは「太平記」に桜の名所として記されている交野を走る交野線は、自然が豊富で、春には、桜並木の間を、抜けて走る京阪電車を見ることができました。
桜が満開の私市駅を出発する1300系 1981.4
写真は生駒山系をバックに、終点、私市駅を出発する、1308先頭の1300系編成です。私市周辺は大阪都心から僅か40分圏にかかわらず、自然が多く残り、古くから、手軽なハイキングコースとして親しまれています。又くろんど池へのコースなど、子供でも気軽にハイキングを楽しむ事ができ、大阪の小学生の遠足の定番コースになっています。この私市から、生駒山系の北端の磐船峠を越えると、近鉄生駒駅に抜けることができます。
この交野線の開業は、生駒への観光路線が目的でなく、本来は生駒山麓の大阪外環状を企図したものでした。この大構想を企図したのは1919年(大正8年)に創立した信貴生駒電気鉄道で、交野線は同鉄道の枚方線として、1929年(昭和4年)に開通しました。その後、1939年(昭和14)に設立した交野電鉄を経て、京阪と阪急が合併した京阪神電鉄により1945年(昭和20年)5月に買収され、戦後、1949年(昭和24年)12月1日に京阪、宇治、交野、京津、石山坂本の5線による現在の京阪が新発足し、京阪の一路線になりました。
一方、信貴生駒電気鉄道は生駒〜王子間の路線と、合併した元、大和鉄道の新王子〜西田原本間の路線を有していましたが、1964年(昭和39年)に近畿日本鉄道に合併され現在の近鉄生駒線、田原本線になっています。構想では私市と生駒を結ぶ予定でしたが、実現しませんでした。私市の駅前には生駒に向かう敷地が確保され、現在は駅前公園になっています。
田園風景が残る交野線河内森周辺 1981.4
写真は桜咲く丘の上から、河内森、枚方市方面を望んでいます。路線は河内森から枚方市駅の手前の宮之阪までほぼ直線に伸びています。この辺りは大阪平野の端にあたり、淀川水系で発達した平野部で、京都府との府境に近く、歴史的に古くから登場する在所が多くあります。
河内森駅へ向かう枚方市行1300系普通 1981.4
写真は上の写真の同じ位置から望遠で写したものです。電車は1300系編成1311(手前)+1356+1305+1302です。上に見えるホームは単線の頃の河内森駅です。河内森は国鉄(JR)片町線、河内磐船駅の接続駅で駅を出て数分歩いて河内磐船駅に行くことができます。路線は河内森を過ぎるとすぐに片町線をオーバークロスします。現在の河内森駅は複線化時にモダンな対面2ホームの駅に生まれ変わっています。交野線は当初、全線単線でしたが急速な沿線の宅地化で以下の経緯で複線化されました。
1929年(昭和4).7.10 交野線(信貴生駒電気鉄道、枚方線)開通
1971(昭和46).6.6 中宮〜村野間1.3km複線開通
1971(昭和46).6.20 中宮から宮之阪に駅名改称
1972(昭和47).4.2 村野〜交野間1.9km複線開通
1987(昭和62).5.29 交野〜河内森間1.7km複線開通
1992(平成4).9.12 河内森〜私市間0.9km複線開通
1992(平成4).11.28 枚方市〜宮之阪間1.0km高架完成により交野線全線複線化完成
夕日を浴びて天野川を渡る1310
写真は夕日を浴びて、枚方市〜宮之阪間の天野川橋梁を渡る1300系1310です。交野市は七夕伝説のふるさとしても有名で、生駒山麓から交野市を縦断し淀川に注ぐ天野川の命名もこれに由来しているらしく、交野市のキャッチフレーズは“星のまち”です。現在の交野線は2600系等に混じり、往年の特急車1900系が走り、京阪のかつての“スター”が今も走り続ける路線です。
現在の交野線、河内森付近 1998.12.13
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