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       ローカル私鉄紹介

    琴平電鉄(高松琴平電気鉄道)   1998.3.2  

 3.琴平線 その1(瓦町〜琴電琴平)

 琴平線は、JR高松駅のすぐ向かいの高松築港から、こんぴらさんの名で親しまれている金刀比羅宮の門前町、琴平町に至る、琴電で最も長い32.9kmの路線です。元々、こんぴら参詣客の高松〜琴平間の輸送路として開業したため、観光路線の性格が強かったが、近年は高松への通勤通学路線へ変貌しています。又3線の中で乗降客が最も多く、輸送力の増強、近代化が進められ、その反面、旧性能車が次々と姿を消していっているのが現状です。このページでは、1980年前後の様子を紹介します。写真はモノクロが多いです。

  琴電琴平駅、発車を待つ810

 写真はこんぴらさんへの玄関口、琴電琴平駅です。訪れた時は、観光客の姿はなく、ひっそりしていました。駅に停車しているのは、810+820です。

  8000形810 琴電琴平にて

 写真の8000形810は元豊川鉄道のクハ101で、国有化後、クハ5610となり、国鉄より1962年(昭和37年)に譲渡され、現在も相棒の820と編成を組んで活躍しています。1942年(昭和17年)の木南車両製です。現在、姿は2灯化されるなど車体更新され大幅に変わっています。

   820形820 琴平駅待合室より

 写真の820形820も元豊川鉄道のクハ102で、国有化後、クハ5611となり、国鉄より1962年(昭和37年)に譲渡され、810と同様に現役です。1942年(昭和17年)の木南車両製です。820は入線当初、810と同様に8000形を名乗っていましたが、すぐに電動車化され、形式も820形になりました。

 780形790 仏生山にて

 仏生山には琴平線の車庫、工場があり、多くの旧性能車を見ることができました。写真の780形790は1974年(昭和49年)に廃止された山形交通三山線のモハ112で、元は西武鉄道のモハ200形モハ204(クハ1224)です。1941年(昭和16年)の梅鉢車両製、琴電には1976年(昭和51年)に入線しました。電動車でしたが、1983年に制御車になり860形870に変更されています。前面は現在では唯一の非貫通の湘南スタイルです。現在870は長尾線にて活躍中です。

   780形780 仏生山にて

 写真の780形780も元山形交通三山線のモハ111で、元は西武鉄道のモハ200形モハ205(モ255→モ225)です。1941年(昭和16年)の梅鉢車両製、780の前面は貫通化されていました。電動車でしたが、790と同じく制御車化され、現在860形860になっています。

  720と1011 仏生山にて

 写真は7000形720です。元は東武鉄道(総武鉄道)1000形モニ1002で、1948年(昭和23年)に琴電に譲渡されました。1929年(昭和4年)の日本車輌製です。この720はすでに廃車されています。左は1010形1011です。

   1021と730 仏生山にて

 写真は突然カラーですが、1020形1021と7000形730です。730も複雑な経歴を持っています。元は東武鉄道(総武鉄道)の1200形クハ1201で、1000形と共に琴電に譲渡され、制御車で9000形910を名乗っていましたが、その後、電動車化され、7000形730になりました。それから今度は1983年(昭和58年)に電装をとかれ、制御車に戻り、880形880になっています。880は今も現役ですが、予備車となっています。1929年(昭和9年)の日本車輌製です。これら7000形は昔の東武の雰囲気を知る貴重な存在でした。

  1020形1021は元名鉄の3700系のク2700形です。1020形は琴平線に16両が在籍していましたが、新性能車の登場により次々に廃車となり現在は1029〜1032の4両のみとなっています。1957年の日本車輌製です。

  12000形1202 仏生山にて

 写真は12000形1202です。5桁の形式といえば近鉄であればビスターカー等の特急車両群ですが、琴電では古強者が名乗っていました。1202は元富士身延鉄道のクハユニ302です。国有後(買収国電)琴電にやってきました。1927年(昭和2年)の日本車輌製です。原型に近く貴重な存在でしたが、1981年(昭和56年)に廃車となりました。写真のドアの間は元荷物室と思われます。

  520と1002 仏生山にて

 写真は5000形520と10000形1002です。これらは両者とも琴電の自製車両です。5000形は1000形、3000形と共に琴平電鉄からの生え抜きの車両で、1928年(昭和3年)生まれの加藤車両製です。5000形は3両製造され、この520は1985年(昭和60年)に惜しくも廃車されていますが、500、510は現在も健在で、長尾線に配置されています。

 10000形は戦後初の自製車両で、1952年(昭和27年)の日立製作所製、かつては「こんぴら号」として活躍していましたが、すでに廃止されています。

  1020形1027 

 昼間は1020形が走行ることが多く、路線は直線的で、他の2線のローカルムードとは異なっていました。

  950形960 瓦町にて

 写真の950形960は昭和初期に製造された国鉄のオハ31229の台車と台枠を利用し、車体を自社工場で新製した車両です。960はすでに廃車になっています。又この瓦町駅は再開発により大きく姿を変えています。

 琴平線の瓦町〜高松築港間は路線の性格、生い立ちが異なるため次の機会に紹介します。

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