このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  鉄道コーナー幻軌道 MaboroshiKidou

 * <1> 嵐山の謎の電車?

  愛宕山鉄道の路線跡紹介

 現在の愛宕山鉄道の路線跡の様子と、1970年代後半、嵐山の小公園の片隅で見た電車の廃車体が今もあるかどうかを確認するために、京都嵐山に出かけました。(撮影 1998.1.25)

 愛宕山鉄道は戦前に嵐山から清滝までの3.2km(平坦線)を走っていた電車鉄道で、さらに清滝川から愛宕にいたる2.0kmの鋼索線(ケーブルカー)もあり、愛宕山にある愛宕山神社への参拝の経路を中心とした観光が主体の鉄道でした。1929年(昭和4年)に開業し、1944年(昭和19年)に廃止され、営業期間が15年足らずの短命の鉄道でした。

 起点は京福鉄道嵐山本線(嵐電)の嵐山駅で、駅やホームは共有していました。周囲は渡月橋など、京都屈指の観光地で、民芸品や京料理の店が立ち並ぶ道に沿って駅舎はあります。駅の規模に比べて敷地は広く不自然な感じがしますが、これは昔、愛宕山鉄道の駅も存在していたことで、納得できます。

  嵐山駅と嵐電600形

 写真は嵐山駅のホームより四条大宮方面に向かって撮影したものです。愛宕山鉄道は併設したホームから写真ですぐに左にカーブし跨線橋にて国鉄山陰線を越えて清滝方面に向かっていました。愛宕山鉄道、嵐電共に複線であったためこの辺りは、見かけ上複々線であり、この様子は想像するしかありません。嵐山駅より跨線橋に向かう路線跡は住宅地になっており、路線跡を確認することは、かなり困難です。又跨線橋があった部分は嵐山高架道路になっており、自動車道として利用されています。

  嵐山〜釈迦堂の路線跡

 これ以降の平坦線の路線跡は全て道路になっています。写真は嵐山高架道路にて山陰線を越えてしばらく進んだ地点です。ここからしばらく行くと次の駅、釈迦堂がありました。電車線には、釈迦堂と鳥居本の二つの中間駅がありました。釈迦堂には電車庫があり、この電車庫跡の小公園に京都市電200形の廃車体が置かれていたそうですが、私も曖昧な記憶をもとにこの周辺を探しましたが、小公園も、電車の廃車体も見つけることは出来ませんでした。

  釈迦堂駅跡付近

 写真は清涼寺(嵯峨野釈迦堂)に隣接していた、釈迦堂駅のあった藤ノ木町付近の路線跡です。今はレストランや京料理の店が建ち並び駅の跡は何も残っていません。

 路線跡は釈迦堂清滝道という、この辺りの主要な観光道路になっていて整備されています。

  釈迦堂〜鳥居本間の路線跡

 路線は緩やかなカーブを描きながら北嵯峨の山里に向かい登っていました。写真は鳥居本の手前で、遠くに京都市街を望むことができます。ここを走っていた愛宕山鉄道は山岳観光鉄道であったと感じました。

 鳥居本を過ぎて、しばらく進むと交互通行の狭いトンネルが見えてきます。

  清滝トンネル嵐山側入口

 この清滝トンネルは愛宕山鉄道、唯一の現存している遺構です。路線はこの手前まで複線で、これ以後、清滝駅までは単線でした。そして、トンネルを過ぎるとすぐに清滝駅がありました。

 清滝駅跡は、今は京都バスのロータリーになっています。昭和38年頃までは島式のホームが残っていたそうです。今は何も残っていませんが、ロータリーの端にレールで作られた、柵があります。古さから愛宕山鉄道のものでないかと思われます。

   清滝駅跡に残るレールでできた柵 

 愛宕山鉄道の創業から、廃業までの詳細な歴史はYamazaki氏のHP 鉄道工房 で紹介されています。

  

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