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ローカル私鉄紹介
南海電鉄 平野線 更新 1997.5.4 PAGE 1
南海電鉄、平野線は大阪の下町を走っていた鉄道です。
阪堺線、上町線(現在は阪堺電気軌道)と共に、大阪に残る“チンチン電車”として親しまれてきましたが、1980年11月27日のサヨナラ運転を最後に66年の歴史を閉じました。
恵美須町にて
写真はサヨナラ運転が行われた1980年11月27日のものです。
この日、平野線は無料開放され、別れを惜しむ市民でにぎわいました。
平野線の電車と阪堺線の電車
平野線は阪堺線の今池から大阪市東南部の平野に至る5.9kmを走っていました。今池〜平野間は大正3年4月26日に開業しました。
電車は阪堺線の始発駅である恵美須駅より出ていました。
今も阪堺線及び上町線は市民の足として活躍しています。
阪神高速の下を走るモ235
路線は今池で阪堺線と分岐し、その後ほとんど阪神高速の下を走ります。
阿倍野付近では、路面を走り、阿倍野にて上町線と交差します。
現在阪神高速の下には地下鉄谷町線が走っており、この地下鉄谷町線の天王寺〜八尾南の延長完成により平野線は廃止となりました。
平野駅に到着するサヨナラ電車
平野付近で南に曲がる阪神高速と別れまっすぐ進み平野駅に到着します。
平野駅の駅舎は八角形の古風な洋風建築で通称“六角堂”で知られていました。
平野駅の駅舎
平野駅は商店街の中のパチンコ店や商店に囲まれた場所にあり、別れを惜しむ人や買い物客でごった返していました。
平野駅のホーム
又、狭い場所に無理矢理押し込んだ様な小さな駅でした。
電車モ225と車止、平野駅にて
平野線の電車はモ205型が活躍していました。この電車は開業当初の木造車を昭和10年代に鋼製化したものです。
別れを惜しむ人々平野駅にて
サヨナラ運転は終始、なごやかな雰囲気で行われました。
平野線の電車はワンマンカーではなく最後の日まで車掌さんが乗車していました。
車掌さん
次のページでは現在の平野線及びその周辺を紹介します。
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