このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ローカル私鉄紹介
新潟交通 パノラマ画像:月潟駅広景 更新 1999.1.5
パノラマ画像、画像に一部、連続していない部分が有ります。
1999年1月3日午前7時55分、月潟駅周辺を望む、月潟駅にモハ18形18が停車しています。
中ノ口川の堤防の上から周囲を見渡しています。図の様に月潟駅の駅舎から、川の下流から上流側に向かって撮影しています。信濃川の分流である中ノ口川は水量も豊富で、鉄道が開通する前は蒸気船が航行していたのも解ります。画像の右端では以前、燕まで路線があった方向に、線路は延びていますが、すぐそこで線路は途切れています。いちばん端には新潟交通の創業者、奥山亀蔵の石碑も一部見えます。
新潟交通は大半を中ノ口川の堤防に沿って走っていますが、中ノ口川との関連は深く、それは創業の歴史にさかのぼります。信濃川は新潟県三条でふたつに分流し、河口近くの大野付近で再び合流します。その分岐した川が中ノ口川です。この中ノ口川は明治以降、蒸気船による船運が行われていましたが、昭和2年に上流の堰が陥没し、蒸気船の運行ができなくなり、かねてから計画されていた電気鉄道が具体化し、奥山亀蔵らが中ノ口電気鉄道を設立し、建設が始まり、昭和8年に全線(燕〜県庁前)が開通、社名は開通前に新潟電鉄に改称されました。建設費低減のため、中ノ口川の堤防を利用して路線が建設され、これが新潟交通の特徴であり、又高速化や沿線開発の障害となったと思われます。やがて他のローカル私鉄同様、乗客が減少し、平成4年には東関屋〜白山前が、平成5年は月潟〜燕間が廃止されました。
この様に、月潟駅から周囲を見渡すと、新潟交通電車線の歴史を垣間見る事ができます。
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