このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
ローカル私鉄紹介
下津井電鉄 更新 1997.4.6 PAGE 1
瀬戸内海に囲まれた半島の先端部に小さな電車が走る鉄道がありました。それが下津井電鉄です。
下津井電鉄は一般旅客用の軽便鉄道として単独で最後まで残っていた鉄道です。
下津井駅にて
又 下津井電鉄は四国への連絡路にあり、このため特異な運命を辿った鉄道でもありました。
下津井電鉄は本州と四国を結ぶ瀬戸大橋の本州側のふもと、岡山県の児島半島の先端部の海沿いを走っていました。
路線は被服産業で有名な児島から古い漁港がある下津井までの6.5kmを走っていました。
(1) 下電を訪ねて
山陽新幹線が1972年3月開通する以前、関西方面より四国方面に行くには、山陽本線、宇野線経由の特急“うずしお”、急行“鷲羽”などを利用し宇野まで行き、宇高連絡船にて、四国の玄関口、高松に行くのが一般的でした。
この途中、宇野線の急行停車駅でもあった茶屋町より小さな電車が走る路線が枝分かれしており、茶屋町駅で乗り換え客を乗せ発車していく様子が見られましたが、山陽新幹線が開通後、いつのまにかそれは消えていました。
その後、ローカル私鉄に興味を持つ様になり岡山県の下津井に下津井電鉄という軽便鉄道があり、以前は茶屋町まで路線があり、茶屋町で見た小さな電車が下津井電鉄であることを知りました。
そして1976年12月31日に下津井電鉄を訪れました。このページの写真はその時のものです。
児島駅にて
下津井電鉄へは他の鉄道が接続していないため倉敷からバスで児島駅に向かいました。
児島に到着するとバスターミナルの片隅に下津井電鉄のホームがあり、派手な塗装の小さな電車が止まっていました。
初めて見た 下津井電鉄は軽便鉄道と言っても近代化された郊外電車と言う印象を受けました。
私は電車に乗り込み下津井へ向かいました。
電車は最初、町中を走りますが、やがて電車は急勾配を登り瀬戸内海が見える山沿いを走ります。
そして鷲羽山のふもとを通り抜け約18分で下津井に到着します。
下津井駅に到着
下津井駅は下津井港のすぐ近くにあり小さいながらも瀬戸内海航路への連絡駅の風格がありました。桟橋への連絡路があり、そこから四国香川県の丸亀行きのフェリーが出ており、下津井港がかつて四国連絡の中心であったことを示していました。
下津井駅全景
又下津井駅は下津井電鉄の中心であり、鉄道としての機能が集約されていました。又車庫があり、古びた車両などが、雑然と放置され、軽便鉄道の雰囲気が立ちこめていました。
電車モハ110
写真の放置されている電車は 路線が JR(国鉄)宇野線の茶屋町まであった頃、走っていたのではないかと思われます。
下津井電鉄の児島〜茶屋町間は1972年3月に廃止されました。
貨車ホトフ5、なぜかボートが積まれている
他にも、路線がJR(国鉄)宇野線の茶屋町まであった頃、活躍していたであろう車両や設備がありました。
下津井駅構内の奧からの風景
駅構内は軌間(レールの幅)が762mmであることもあり、まるで鉄道模型のレイアウトの様な風景が広がっていました。
下津井駅を発車するモハ103とモハ102(右)
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